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苅田めぐり

今月の週末は、決まって雨で、どこにも出かけられませんでした。
本当に久しぶりの天気でした。
ただ、午前中仕事があったので、近場の旅です。
前から登ってみたかった、松山城跡です。
「松山」
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北九州空港に向かう道路の付け根にあります。
128mの小さな山です。
 
「松山登山道入り口」
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「松山登山道入り口2」
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「松山城跡」
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山頂まで、僕の足で、15分くらいでしょうか。
階段状に、ほぼ全路、整備されているのですが、逆に歩幅が
合わずに歩きにくいような・・・。
 
「松山城跡2」
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うーん、歴史を感じさせますね。
 
「松山城跡3」
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ここに、城があったのですね。
 
松山城に関して。
時代はさかのぼり、740年。
太宰権帥、藤原広嗣が朝廷に反旗を翻した際(藤原広嗣の乱)に築かれたそうです。
940年には、藤原純友の乱の際に、神田光員の居城となります。そのご、神田家が在城していたが、1157年に平家によって滅ぼされ、その後、平氏の居城となります。1196年には、城井氏の始祖である宇都宮信房が支配。ここでも、松山城は激しい攻防の舞台どなり、長野氏当主の長野直盛が支配することになります。
その後、足利尊氏に従う小弐家にとってかわられます。
その後、周防の大内氏が豊前国への足掛かりとして松山城を重要視して、重臣の杉興信を守護代に命じ城主とします。
1398年には大友氏が反乱を起こし、城代の杉光治は討死。
しかし、大内氏も松山城奪回に成功し、杉光治の兄の杉弘信が入城。1551年まで、杉氏による支配が行われます。
1556年、大内義隆が陶隆房の謀反にあい自害。毛利氏に帰順するが、大友義鎮の支配下、田原親宏の攻撃にあい、杉重吉は討死、落城。
しかし、中国地方の雄に上りつめた毛利元就は、大内領であった北九州侵攻を開始。豊前国の要衝である松山城を攻略して、勇将・天野隆重、杉重良を入城させました。
1562年、松山城は再び、大友氏の攻撃を受けるが、足利義輝の仲介により、毛利氏と大友氏の間に和睦がなり、松山城は大友氏側に引き渡されます。
その後、長野祐盛が城主となりますが、毛利氏、大友氏が侵攻してくるたびに、その従属先を変えてゆきますが、最終的には、両氏から大規模な討伐を受け、長野氏も城を後にします。
入城した、杉重良ですが、今度は、なんと毛利氏に反旗を翻し、松山城を退去して、近くの簑島城に入ります。しかし、その後、杉重良は高橋元種の攻撃を受け討死します。
1586年、秀吉は九州征伐を開始。主力であった毛利軍が松山城に入ると、近隣の豪族であった、城井朝房、長野氏がこぞって基準。島津攻略後、松山城は黒田官兵衛の所領となり、関ヶ原以降は豊前国を拝領した細川忠興の所領となります。
1606年に廃城となり、800年におよぶ血みどろの歴史にに終止符が打たれることとなります。
 
というの事を、帰宅してから知りました。
すごくないですか?単なる、昔の、出先城というイメージしかなかったのですが、交通の要衝にあったことや、大内(毛利)と大友の所領の間にあったことから、これだけの攻防戦が繰り広げられた城なのです。
載っているだけでも 藤原→神田→平氏→宇都宮→長野→少弐→杉→大友→杉→田原→杉→長野→杉→黒田→細川。しかも、ほとんどが城を奪いとっているのです。
こんな凄い城だったとは知りませんでした。
正直、歴史的な価値としたら、伊予の松山城に勝るのではないでしょうか。言い過ぎか。
 
「貫山方向」
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「足立山方向」
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手前に曽根干潟が見えます。
美しいですね。
 
「苅田方向」
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「北九州空港方向」
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いやあ、そんな歴史を知っていたなら、もう少し、頂上で感慨にふけるべきでした。
この小さな山城をめぐっての、つわものどもの夢の跡を。
いや、物語りは隠れていますね。
 
景色を堪能して、下山です。
帰りがけの駄賃?
「苅田工業地帯」
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決して、北九州市と合併しない町。
それがわかる気がします。
 
下山後、苅田工業地帯を自転車でぶらっとしてみました。
「苅田工業地帯」
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無機質で、すこし不気味な感じもします。
でも、このような産業が日本を支えているのですね。
 
「苅田工業地帯2」
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本当に複雑な構造をしていますね。
ひとつひとつの構造にみんな意味があるのでしょうが、素人からみるとやっぱりすごいですね。
 
ここでもう一つの物語り。
「苅田発電所」
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以前、NHKのテレビニュースかなにかで、「苅田発電所」の再開がどうのこうの
というニュースで、アナウンサーが「かりた発電所」と呼んでいました。
ばかだなぁ、苅田「かりた」と書いて「かんだ」と読むんだよ。
と思っていましたが、なんと、
偶然看板をみたら「KARITA POWER STATION」と書いているでは
ないですか!!
あとで調べたら、1956年の発電所設立時には、町名は「かんだ」であったが、
駅が「かりた」であったため、そちらに合わせたそうです。
では、なぜ、駅名が「かりた駅」であったのか。
1895年に刈田駅(かんだ駅)として開業。
1907年に、苅田駅(かんだ駅)に変更。
1918年、東京の神田駅(かんだ駅)と紛らわしいため、苅田駅(かりた駅)となる。
1959年、やっぱりもとの苅田駅(かんだ駅)に。
ということで、40年近く、かりた駅と呼ばれていたそうです。
そのため、火力発電所は、いまだに「かりた発電所」なのです。
NHKは嫌いだけど、すごいですね!!
ちなみに、この火力発電所の新1号機は、世界最大級の加圧流動床複合発電プラントだそうです。
面白いですね。
 
「苅田工業地帯4」
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こんな大型船が、ほいほい現れます。
苅田もやりますねぇ。。。
 
「苅田町」
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本当に天気が良かったです。
宮崎っぽくないですか?
 
気持ちのいい、一日でした。
 
いや、物語りは隠れていますね。
 
おしまい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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