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三種の神器

自分は北九州市に住んでいますが、北九州市では、市の中心部にある八坂神社が一番人気で、初詣なども本当に人が多いです。古くから「こくらのぎおんさん」とよばれ、小倉祇園太鼓はこの神社の例大祭です。
非常に趣のある立派な神社です。
「八坂神社」                                                              
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「八坂神社 拝殿」
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立派な拝殿です。

「八坂神社 本殿」
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これまた、立派な本殿です。
主祭神:(北殿)櫛名田比売命・須佐能袁命・天之菩卑命・天之忍穂耳命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須比命・市付島比売命・多紀理比売命、多岐津比命
     (南殿)大名牟遅命・少比古那命・須佐之男命・櫛名田比売命
社格:県社
本殿も、流造の外削ぎ、鰹木9本の堂々たるもので、小倉藩の総鎮守にふさわしい神社です。

ただです。
ただ、実は、この小倉八坂神社よりもっと歴史のある神社があるのです。
あまり知られていないと思いますが、それが
「蒲生八幡神社」
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「蒲生八幡神社 参道」
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いい雰囲気の神社です。

「蒲生八幡神社 拝殿」
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「蒲生八幡神社 本殿」
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外削ぎ、鰹木3本の立派な本殿です。
鰹木の数では、八坂神社に負けますが、
実は、この神社。小倉で最古の歴史を有し、氏子の多さも県下、屈指だそうです。
御幣殿は北九州市で最古であり、御本殿は旧豊前国で最古だそうです。

それに、もう一つ、この神社にまつわる面白い話が。

それが、今回のタイトルにある「三種の神器」にまつわる話なのです。

1185年に、平氏と源氏が壇ノ浦にて最後の決戦を行います。そこには、「三種の神器」と一緒に西国に逃れ落ちたわずか8歳の安徳天皇がおられたのです。
平氏は、ここ壇ノ浦でも惨敗し、いよいよ滅亡の時を迎えるのです。
死を覚悟した、二位尼は安徳帝および三種の神器とともに入水します。
「吾妻鏡」の元暦二年三月二十四日の条で、
「二位尼は宝剣を持って、按察の局は先帝を抱き奉って、共に海底に没する。」とあります。
また、同様に元暦二年四月十一日の条に、
「内侍所(八咫鏡)と神璽(八尺瓊勾玉)は御座すが、宝剣(天叢雲剣)は紛失、愚虜をもってして捜し奉る。」と書いてあります。

実は、この間に物語があって、「三種の神器」が海中に沈んだことを嘆いた、源頼朝が、規矩郡(企救郡)高浜浦の漁人の長、岩松与三に神器を探すように命じたそうなのです。岩松はここ、蒲生八幡神社(その時は高浜、現在の小倉井筒屋の近くに神社はあったそうです。)に神器発見、安全を祈願した後、海に入っていったそうです。鏡と勾玉は、密封性の高い箱に入っていたため海面近くに浮き上がってきて岩松の網に引っ掛かり回収することができたそうですが、宝剣はそのまま地中深く沈み、回収はできなかったようです。
岩松は、この鏡と勾玉を源頼朝に献上します。岩松はこの功績により規矩郡一郡を与えられますが、蒲生の神々のご神徳によるものとして、一郡をすべて蒲生神社に寄進したとのことです。
真偽ほどは、定かではありませんが、物語が隠れていますよね。

で、ちょっと、「三種の神器」について調べたのですが、「三種の神器」とは言うまでもなく、「八咫鏡」と「八尺瓊勾玉」と「天叢雲剣」の三つです。いうまでもなく、皇位継承のシンボルです。
実はこのうち、八咫鏡と天叢雲剣は、崇神天皇時代に、形代(分身のようなもの)が作られていたようです。それで、壇ノ浦で沈んでしまった天叢雲剣は、どうやら形代のようです。しりませんでした。

ちなみに、現在、「八咫鏡」は、本体は伊勢神宮、形代は皇居賢所に。
「八尺瓊勾玉」は、本体は皇居剣璽の間に。
「天叢雲剣」は、本体は熱田神宮に。それと、順徳天皇時代に伊勢であらたなる形代が作られたそうで、その形代は皇居剣璽の間にあるそうです。

そう考えると、壇ノ浦で沈んだ「八咫鏡」は形代だったとしても、「八尺瓊勾玉」は本体ですので、それを回収できたことは、相当な功績です。岩松与三、やりましたな。

そんなことに思いを馳せつつ、壇ノ浦にいってみました。

「壇ノ浦」
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ちょうど830年前、ここで激戦があり、今回の隠れた物語があったのですね。

「赤間神宮遠景」
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関門海峡を挟んで、赤間神宮が見えます。

「壇ノ浦2」
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源義経と平知盛の銅像だそうです。

「壇ノ浦3」
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二位尼の辞世 今ぞ知る みもすそ川の 御なかれ 波の下にも みやこありとは

「壇ノ浦4」
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この波の下のどこかに、天叢雲剣が眠っているんですね。
ロマンを感じますね。

「赤間神宮」
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本当に久しぶりの参詣です。

「赤間神宮2」
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旧社格は、官幣大社。堂々たるものです。
やはり、天皇そのものを祀る神社は、社格が高いですね。

「赤間神宮3」
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幼い安徳帝を思い、竜宮城を模したそうです。

で、実は、ここでも、また、物語というか、発見がありました。
この赤間神宮の横に、ひっそりと「安徳天皇御陵」がありました。
「阿弥陀寺陵」です。

「阿弥陀寺陵」
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おごそかな雰囲気があります。
天皇陵っていう感じがあります。

「阿弥陀寺陵2」
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宮内庁の管轄になります。

「阿弥陀寺陵3」
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こっそり中をのぞくと、由緒正しい、明神鳥居がありました。
さすが、天皇御陵。

で、またすごいのが、ほとんどの天皇御陵は、関西にあります。
京都府、大阪府、奈良県:ほとんどの天皇
兵庫県:淳仁天皇
滋賀県:弘文天皇

そして、関西でないところに存在するのが、3か所。
東京:大正天皇、昭和天皇
香川:崇徳天皇

そして、この安徳天皇の「阿弥陀寺陵」です。

そう考えると、いままで思っていた赤間神宮が違って見えてきました。
小さいころから赤間神宮の前を車で通っていましたが、このような天皇御陵が間近にあるとは、露しりませんでした。
実は、昔から赤間神宮はあまり好きでありませんでした。
でも、日本建国以来、万世一系でつながる天皇の一人が、この赤間神宮の横の地で眠っておられるということを考えると、赤間神宮を参詣することは、脈々と続く皇統の繁栄を祈ることであり、日本を大切に思うことに繋がると思いました。

蒲生八幡神社から始まった物語は、こんな思いで閉じたいと思います。

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