|
はじまり
11月2日、3日と仕事が落ち着いていたので日田参りをしてきました。
2日は生憎の曇天。紅葉シーズンだというのに、夕方には雨も降ってきました。
「曇天の松山」
遠征開始です。
「豊前市」
天気がいいと、この高台から周防灘を見渡せるのですが、残念です。
「県境」
福岡県と大分県の県境に流れるのは・・・
「山国川」
この下流に先日いった中津城があります。
今回は、ひたすらこの川をのぼってゆきます。
「国道212号線」
2012年7月13日にこの地方を襲った豪雨にて「青の洞門」も被害を受けたそうです。「青の洞門」に行ったことがなかったのでニュースを聞いてもあまりピンと来なかった記憶があります。
「耶馬溪入口1」
「耶馬溪入口2」
国定公園、耶馬溪の入口です。
北海道の「大沼」、静岡の「三保の松原」と並んで、新日本三景に選ばれています。
「オランダ橋」
山国川にかかる、116mlの石アーチ式橋。
石アーチ式橋としては国内最大だそうです。
また、8連アーチ石造橋も我が国唯一のものだそうです。
美しいですね。
観光道路として架橋されたそうですが、軍事面では日出生台演習場への要路の考慮もあったと言われているそうです。
「青の洞門1」
そしていよいよ、たどりつきました。「青の洞門」
「青の洞門2」
連続した洞門の前後に信号があり、車を向こう側とこっち側で止めて片側交互通行をさせていました。
ということで、車が全く通らない、シャッターチャンスの機会がありました。
「青の洞門3」
トンネルのことを日本語では「隧道」というそうです。
「洞門」とは、山肌などで、片側がひらけている通路をいうそうです。
「青の洞門4」
やっぱり、迫力がありますね。
「青の洞門5」
よく写真とかで見かける風景です。
迫力はあるのですが、いかんせん、天気が・・・
「青の洞門6」
江戸時代、1750年ごろ、諸国遍歴の旅にでていた越後の禅海和尚がここに立ち寄り、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、一大誓願。ここに隧道を作り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工達を雇って、ノミと槌だけで、30年かけて堀抜いたといわれているそうです。
1750年の第1期工事の完成後には、通行人から4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われているそうです。
1906年ころには、陸軍日出生台演習場への輸送路整備のため、大改修が行われ、車両が通行できるようになったそうです。
「禅海和尚の像」
この話を菊池寛が、「恩讐の彼方に」という短編小説で書いているそうです。
「羅漢橋」
兎に角、この地方は、こういった石造りのアーチ橋が多いです。
もともとこの地方は、溶岩石が多く、多くの優秀な石工がいたそうです。
また、川は浅く広いため、このような石造りアーチ橋が有用であったそうです。
「平田城跡」
鎌倉時代に宇都宮一族の野仲重房が築いたそうです。野仲氏の討伐に戦功のあった、黒田家の家老栗山利安(あの善助ですね。)が居城としました。利安の息子の利章が10歳まで過ごしたそうです。栗山家が福岡に移る1600年ころまで使われていたそうです。
ただ、今回はスルーしました。
「耶馬溪1」
いい眺めです。天気が・・・
「耶馬溪2」
山と川と紅葉。
「耶馬溪3」
まさに、秋、「山装う」ですね。
「耶馬溪4」
紅葉はいいですね。
いい気持に浸っていると、
前方に未確認飛行物体が。
「かかし」
なんぢゃこりゃ?
山国地区は「かかし」の故郷をウリにしているらしく、山国支所に浮かんでいるPR風船です。
まさか、この風船は耶馬溪六十六景に入っていないだろう、と思いつつ、
「耶馬溪5」
きれいですね。
「大石峠」
ここが日田との市境。おそらく、212号線で一番高いところでないでしょうか。
ゆっくり登ってきた感じで、そこまで苦労はしませんでした。
ただ、このあたりから、大雨が。
私の、自転車遠征の際には必ず大雨が。
鹿児島しかり、唐津しかり、徳山しかり。
いつも水浸し。
僕は、鵜飼の鵜か!!
「日田市境」
ついに日田領内へ
ここから、ノンストップで400mを駆け下るのですが、
兎に角、寒い。寒い。
薄着過ぎました。
ニセコのスキーより寒かったです。
真冬のゲンレンデ並。
「日田駅」
何とか、日没前に到着。
雨は上がっていましたが、近くのスーパーで安いコートを買いました。
折角なので観光を。
「豆田町1」
日没際で、逆に人が少なくて雰囲気を楽しめました。
「豆田町2」
風情ありますね。
「豆田町3」
人が多い時は、こんな写真撮れないでしょう。
と、調子にのっておりましたら、
「咸宜園」
閉館していました。
咸宜園は言わずと知れた広瀬淡窓によって創立された私塾。全寮制。「咸宜」とは「みなよろし」という意味で、どんな身分でも男女を問わず受け入れていたそうです。
淡窓は、儒学者、漢詩人でしたが、咸宜園では、四書五経のほか、数学や天文学、医学のような様々な学問に関する講義が行われたそうです。毎月試験があり、その成績で一級から九級まで上がり下がりするそうです。
塾生は遠方からも集まり、その頃には日本最大級の私塾となり、80年間でここに学んだ塾生は4800人にも及んだそうです。
塾生には、高野長英、大村益次郎、清浦圭吾、上野彦馬など、そうそうたる顔ぶれがそろっています。
「三隈川」
仕方がないので、寒い中、川を見に行きました。川を。
実は、この「三隈川」、筑後川のことなんですね。
筑後川の水源は阿蘇山外輪山。そこから、「田の原川」→「杖立川」→「大山川」となり、日田市で玖珠川と合流すると「三隈川」さらに下ると「筑後川」となり有明海へ。5回も河川名を変えるのだそうです。
日田で一泊することにしましたが、
急遽とったホテルが凄い。
ビジネスホテルで素泊まり6000円なのですが、最上階に展望風呂がありました。
冷えた体、疲れた足腰には最高のサプライズでした。
あの感動は忘れられません。
また、日田に来るときにはこのホテルに泊まりたいものです。
日田市内は日曜日のせいなのか、ほとんど人通りがなく、お店も少なかったです。
駅の横にお好み焼きやさんがあったので、そこで一人打ち上げしました。
結構おいしかったです。
その時、知人に日田に来た事をlineで知らせると、日田といえば「慈恩の滝」。そこに行けというのです。
地図で調べると直線距離でも11kmあるので、少し萎えていましたが、あまりにも勧めるので早起きをして「慈恩参り」をすることに。
3日、6時に起きて出発。
ひたすら、210号線を東へ、東へ。
「天瀬町」
思えば遠くへ来たもんだ。
「久大本線」
玖珠川、久大本線、210号が入り乱れながら東に進んで行きます。
「210号線」
耶馬溪に劣らず、きれいな景色です。
「観音の滝」
行きがけの駄賃と言ったら失礼ですが、道路のわきにひょっこりありました。
滝に紅葉が映えます。
「天ケ瀬温泉郷」
雰囲気のいい温泉郷です。
「210号線2」
このころから、すこしづつ天気が良くなってきました。
やっぱり、紅葉は陽光がないと映えませんね。
「玖珠町」
「慈恩の滝」は天瀬町でなく、さらにその隣の玖珠町にありました。
そして、ついに。
「慈恩の滝1」
きれいです。感動です。二段式の滝は初めて見ました。
「慈恩の滝2」
渋みのある紅葉と、真っ白な滝と、真っ青な池。
爆音が無の境地に誘ってくれます。
早朝に訪れたので、観光客がまだ1,2組しかおらず、ほぼ独占状態。
「慈恩の滝3」
爆音が聞こえてきそうです。
「慈恩の滝4」
きゃー。大迫力。
そして、この滝の、最大の魅力が、「裏見の滝」。
「慈恩の滝5」
滝の後ろに小さな洞があって、そこから、滝の裏からの景色が見られます。
こんな、景色、生まれてみたことありません。
「慈恩の滝6」
圧巻です。
アドレナリンの大安売りです。
「慈恩の滝7」
あの滝の向こう側に行っていたと思うと、興奮が冷めやみません。
正面から落ち着いてみると、やはり二段式は美しい。
いやあ、知人の推薦通り、ちょっと遠かったですが、「慈恩の滝」に来てよかったです。興奮しました。
来た道を戻って、また、日田、耶馬溪経由で帰ろうとも思いましたが、折角なので、このまま東へ向かって玖珠経由で中津に戻ることとしました。
また、210号線をひたすら東へ。
「伐株山」
玖珠町内に、変わった形の山があったので採ってみました。
帰って調べてみると、この山の名前は「伐株山」「きりかぶ山」でした。
この山に関する童話があって、もともと、この玖珠盆地に木のてっぺんは天に届き、その影は有明海に届くといわれる大きな楠の木があったそうです。
この木のせいで、この地方一帯はいつも日蔭になっていたそうですが、ある日、一人の大男がやってきて、悪戦苦闘の末、その楠の木を切り倒したそうです。そのきりかぶ跡がこの山だそうです。これにより日が当たるようになって、日田、夜明、朝日、光岡などの地名が付き、楠の木から、「玖珠」になったそうです。
面白いですね。
「玖珠川」
玖珠川に別れをつげ、387号線をひたすら北上。
「387号線1」
天気がいいと、紅葉もきれいで、きつさも忘れます。
「387号線2」
結構な坂が続きます。
いやあ、387号もなかなか紅葉がきれいです。
本当に疲れを忘れます。
つづく。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





