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いや、読み終わりました。
一気に読みました。
陸軍戦略の先駆者 小川又次」
面白かったです。
小川又次(またじ)は、ここ小倉の出身。1848年8月22日生まれですから、乃木大将の1つ上、同郷の奥保鞏元帥の1つ下になるのでしょうか。
小倉藩士、小川兼宣の長男として小倉城下の葭原で生まれます。現在、この葭原という地名はありませんが、おそらく、現在の足原なのではないでしょうか。
「小倉北区 足原」
小川又次も幼少期、足立山を見上げていたのでしょうか。
その後、江川熟で学び、小倉藩兵として、奥元帥(為次郎)と小川又次(助太郎)は、我ら長州藩と戦うのであります。
なかでも、激戦といわれたのが赤坂の戦い。
ちょうど、鳥越峠からなだらかな丘陵が関門海峡に飛び出たような恰好になっており、ここを突破されたら小倉城は目と鼻の先という場所です。
「赤坂から小倉市街」
うーん、やはり目と鼻の先です。
ここに、激戦のあとを記した碑があります。
と書かれてます。
ここで、熊本細川藩の猛攻を受け、長州兵は次々に倒れ、一時撤退を与儀なくされます。
その後、小川又次は、大阪の兵学寮に入り、台湾征討を経て、歩兵第13連隊大隊長(熊本)となり西南戦争に出征します。ちなみに乃木大将は歩兵第14連隊大隊長(小倉)でした。
ここで、小川又次は谷干城司令官の元、薩軍の囲みを突破するなど、奥保鞏とともに獅子奮迅の働きをするのであります。
そして、参謀本部第2局長(作戦担当)に就任します。ちなみにこの時の参謀本部第1局長(編制動員担当)は、かの児玉源太郎です。
クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9f/Jacob_Clemens_Meckel.jpg/200px-Jacob_Clemens_Meckel.jpg
この年、あの、クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケルの講義を聞き、メッケルから「児玉か小川が優秀」と言わしめます。そして、野砲・山砲の使い方に関して、こともあろうにメッケルと激論を交わすのであります。恰好よすぎます。メッケルは狭い日本の風土を考え身軽な山砲使用論、小川は重厚な野砲論。
メッケルはその後、、「日本陸軍にオガワあり。彼の人は、作戦の何たるかを理解せり。ただし、その器局の狭いことを遺憾とする。」と述べたそうです。
創作かもしれませんが、本の中で、第一軍参謀長として出征した、日清戦争、田庄台の戦いで、小川又次が野砲を集中させて勝利した際に、「野砲の威力かくの如し。メッケル親父、思い知ったか。」と叫んだのは痛快ですね。
小川又次は作戦立案能力にたけていたため、川上操六から、上杉謙信になぞられて「今謙信」と評価されました。ちなみに、小川又次のライバル田村怡与造は「今信玄」と呼ばれてました。
そして、ついに、1897年、陸軍中将に進み、1903年、日露戦争では、第二軍奥保鞏司令官の元、第4師団長として、南山の戦いで大活躍をします。敵左翼への集中攻撃を進言し、攻略の糸口を作ります。弱小?第8連隊が小川師団長の元、活躍するのです。
その後、遼陽会戦で負傷し、師団長を辞して帰国。
1909年10月20日、62歳で没し、正二位に叙されました。
そのお墓が、小倉北区の菜園場という地名の共同墓地にあります。
「為朝墳」と、どっしりと書かれております。
源為朝を父祖とする小川又次が生前に、生まれたこの小倉の地に建てたそうです。
「為朝墳 からの眺め」
今は、都市高速に囲まれておりますが、小高い丘の上にあり、昔は相当、見晴が良かったのではないでしょうか。
その、周囲に、碑文が刻まれております。
正面から時計回りに
「東側」
為朝墳之記
清和天皇第六ノ皇子貞純親王第八垚(?)
ノ孫贈内大臣源為義ノ第八子鎮西八
郎為朝第三十世ノ商孫小川又次謹テ
此連山ノ地ヲト曩祖為朝公竝ニ家
祖為次公以下二十六垚(?)ノ霊位及ビ曽
祖父為利公祖父利兼公先考兼宣公等
ヲ首ノ一族男女ノ遺骨ヲ合葬シテ以
「南側」
テ永世祭祀ノ所ト為ス夫レ曩祖公ノ
伊豆大嶋ヲ出テ豊前ニ来ルヤ一子ヲ
舉テ此ニ苗ム為次公是ナリ爾来氏ヲ
小川ト稱垚(?)垚(?)企救郡ノ郷土タリ刈
田蒲生金田菜園場ノ數荘ニ転住シ小
笠原氏小倉城主ト為ニ及ビ其藩士
二列ス降テ又次ニ至リ
皇室中興ノ盛運ニ際會シ中外ノ戦役
ニ従軍シ勲位爵禄ノ優恩ニ浴ス是レ
蓋シ先考先妣遺徳ノ致ス○(?)抑モ又曩
祖忠孝ノ餘慶ニ由ルモノナリ因テ此
墳ヲ號シテ為朝墳ト稱ス後嗣子孫其
レ念祖報本ノ志業ヲ懈ル勿レ
明治三十五年八月十日
陸軍中将 従三位 勲二等 功三級 男爵 小川又次記
写真を頼りに描出してみました。
疲れましたが、なかなか面白いですね。
本当に、先祖に対する思いが伝わってきます。
最後に著者があとがきで、
この明治という、生まれたての、何かしら、誇らしげな時期を生き抜いた人々を
書きたかったと。
また、
高浜虚子の句
「明治とは 誇らしき名や 春の風」
を引用しています。
確かに、明治期の人は、何かしら、肩肘張って、窮屈そうだけど、どこか、楽観的で、誇らしげな感じがします。
いい本でした。もっと、みんなに知ってほしいです。、
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