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宇佐めぐり2

続きです。
イメージ 7
「宇佐航空基地 滑走路あと」
 
ここから、戦闘機が離着陸していたそうです。
周防灘へまっしぐら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8「柳ヶ浦小学校」
 
もともと国民学校だったようで、数多くの人が避難していたようです。
 
宇佐は航空基地があったため、B-29の標的になっていたようで、実際に壁に機銃掃射の弾痕が残っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9「弾痕」
女・子供が避難している国民学校にまで機銃を向けるとは。
 
アメ公、許せじ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10「柳田何某の石碑」
 
空襲で、真っ二つです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11「忠霊碑」
 
宇佐航空隊の、特攻隊の忠霊碑です。ひっそりとありました。
 
誰も気づかないような場所に建ってました。
ただ、新鮮なお供え物があり、日本もまだまだ捨てたものではないなと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 12「エンジン調整室」
だそうです。
 
こちらも、貴重な戦跡なのに、一般人の物置になってます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13
「通信室」
だそうです。
草、ぼうぼう。
保存する気あるのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 14「レンガの建物」
何の、建物かはわかりません。
ただ、壁に所せましと、機銃掃射の跡が残っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1「レンガの建物」
 
弾痕。
畜生、アメ公め!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2「電信室」
 
何も知らない、平成の子供たちが、電信室跡で遊んでました。
何の、建物だったかも知らずに。
 
父祖達が、命がけで守った、この祖国に感謝する心を、この子ども達もいずれ自覚してくれるのでしょうか?
 
なんか、現代を象徴するような1枚ですね。
 
 
 
 
 
 
イメージ 3「宇佐航空基地 遠景」
 
天気は悪かったですが、のどかな田園風景です。
 
とても、ここに一大航空基地があって、多くの人々が「祖国を守る」という共通の目標に向かって、純粋に、必死に、手と手を取り合って生きていたとは・・・
 
この田園一帯に莫大なるエネルギーが存在していたのですね。
 
 
 
 
 
 
いつものプチ旅行のように、今回も本当に思いがけない発見ばかりでした。
本当に自転車に出会えた事を感謝してます。
自転車最高です。
 
宇佐市は、宇佐八幡宮がやはりメインです。日本全国の八幡総本山なのですから。でも、双葉山しかり、宇佐航空基地しかり、見どころ満載です。
双葉山の求道心は、文章では知ってましたが、やはり、その現場に行くと伝わってくるものが違います。
宇佐航空基地跡も、もう少し整備されていればもっといいのでしょうが、祖国を守った人々の息遣いを感じることができました。大東亜戦争は決して遠い過去の話ではないのです。実際に掩体壕は民家の横に存在するし、弾痕の残る建物は普通に住宅地にあるのです。どうして、現代の日本人は、このような戦跡をみて「我々の先祖が、必死な思いをして祖国を守ろうとしていたんだな。」という発想で考えないのでしょう。米国の非道な絨毯爆撃に対して、一死報いようとして、虎の子の戦闘機を守るために掩体壕を作った、そんな日本人の心意気をなんで評価しないのでしょうか。
戦争が良くないのは当たり前です。そんなの、改めて言う必要がないくらい自明のことです。わざわざ「戦争はよくないです。」って、街頭で高らかに謡うやからは、それを堂々と言っているのが、はたから見てこっちが恥ずかしいくらい当たり前のことです。
でも、大事な人を守るため、大事な祖国を守るために立ち上がらなくてはならない時があるのです。それを実践して散華していった人々になぜ感謝しないのでしょうか。
 
 
イメージ 4「滑走路跡地のモニュウメント」
 
定番の、安っぽいモニュメントです。
なんでしょうか。
平和への願いっていうのは。
 
完全に宇佐海軍航空隊滑走路跡が、「負の遺産」として扱われています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
みんな、「戦争」の反対を「平和」と勘違いしてます。
「戦争」をしていたって、本当に民族が団結して、人と人とのつながりが強ければ「平和」という状態はありうると思います。
「戦争」の反対は「交渉」。同じ、外交用語なのです。
「平和」の反対は「混沌」「混乱」。
よっぽど、現代のほうが、「平和」と反対の道を進んでいるのではないでしょうか。
 
なんて、思いを馳せながら、宇佐から帰宅の途に就きました。
たった、10時間程度のプチ旅行でしたが、充実したものとなりました。
「いまだ木鶏たりえず」 個の境地に少しでも近づきたいものです。
 
 
イメージ 5
「虹」
 
帰宅の途中、大雨にあいました。
いわゆるゲリラ豪雨というやつでしょうか。すぐにやみました。
 
ふと東の空を見上げると、うっすらと虹がかかってました。
 
虹をみたのなんて、いつ以来でしょうか。
本当は見ていたのかもしれませんが、気づかなかった、認識していなかっただけなのかもしれません。
 
 
 
 
ちょっと足をのばせば、もとい、タイヤをのばせば、物語っていっぱい落ちているものですね。
高級な車も、海外旅行もいりません。
「近所にある小さな物語を、愛車にのって探しに行く」
これで十分です。イメージ 6
 
 
 
「花子」
 
「ま、ご勝手に。」
って言ってそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おしまい。

宇佐めぐり

6日、研究会の発表もすみ、思ったより、その日の夜、お酒が入らなかったので久しぶりのプチ自転車旅行してきました。本当は、豊前市をプラプラしてみようと思っていましたが、欲が出て、宇佐まで足を、いやタイヤを伸ばしました。
宇佐神宮は、以前、参ったので、今回は、前から行ってみたいと思っていた、「双葉山の生家」を目指しました。
 
イメージ 1「城井川河口」
築上町です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
「山国川」
 
いつもの越境川です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13「宇佐」
 
だめだ、ここを通るたびに写真に
おさめてしまう。
 
好きです。
U S A
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 17「八面山 遠景」
 
ここで、豪雨にあってしまいました。
でも、かなり暑かったので
恵みの雨となりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 18「天津」
 
10号線から、双葉山生家へ
至る道です。
きれいな道でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 19「天津小学校」
 
なんか、中国に来た感じです。
 
でも、アマツと読みます。
 
中津→今津→天津
 
つーつーつー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 20「天津小学校」
 
の一角に、二宮金次郎像がありました。
久しぶりに見ました。
まだ、このような像があるなんて。
 
宇佐の町の風土なのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 21
「天津地区遠景」
 
広がる田んぼが青くて
気持ちいいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 22「双葉の里」
 
念願の双葉山の生家です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 23「超六十連勝力士碑」
 
過去に三人
 
谷風(江戸時代)63連勝
双葉山(昭和)69連勝
白鵬(平成)63連勝
 
のみだそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3「白鵬 63連勝」
2010年1月場所から、11月場所まで
第69代横綱
モンゴル ウランバートル出身
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4 「谷風 63連勝」
仙台出身
第4代横綱
1778年3月から1782年2月まで
 
「双葉山 69連勝」
宇佐出身
第35代横綱
1936年1月から1939年1月まで
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5「双葉山記念館」
 
一人旅行なので、
顔を入れることができませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
記念館の中に入りました。
まず目に飛び込んでくるのが、
 
 
イメージ 6
「双葉山銅像」
 
昭和の大横綱
 
威風堂々
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
双葉山の生い立ちが、年表で紹介された後、
ついに、僕の大好きな名言が。
 
 
イメージ 7
「双葉山名言集」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
以下、記念館にあった解説をうつします。
 
「われ、未だ木鶏たりえず」
70連勝をかけて臨んだ昭和14年一月場所四日目、約3年間勝ち続けいていた双葉山は、ついに安芸ノ海によって黒星を喫する。双葉山はいつもと変わることなく、土俵に一礼をして東の花道を下がっていったが、その日の夜、知人に宛てて打った電報がこの言葉である。
「木鶏」とは、中国の故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じることない最強の状態にある闘鶏をさしている。無心の境地至れなかった自分を戒めた双葉山だが、相撲道に対する更なる精進を重ね、連勝記録がストップした後も3度の全勝優勝を含む7度の優勝を数えることとなる。
 
「後の先」
生涯1度も「待った」をしなかった双葉山。立ち合いでの相手を受けて立つ姿勢は、一見、立ち遅れているように見えるが、組んだ時には既に先手を取っていることから、「後の先」(ごのせん)と呼ばれている。
双葉山は幼い頃の事故で右目が見えず、右手の小指にも怪我によるハンディを負っていた。立ち合いに「待った」せず、「後の先」を完成させたのも、これらのハンディを乗り越えるために生み出されたものであった。
 
「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」
双葉山が現役を引退後、親方として弟子達に説いていたのがこの言葉である。
「稽古は本番のように緊張感をもって取り組みなさい。本場所では硬くならず、リラックスして臨みなさい。」という意味と考えられるが、あえてこのような表現に抑えることで、弟子たちへの押し付けでなく、個々の自覚を促す教訓となって聞こえてくる。
技術面を口にせず、「心気体」を相撲道の理念とした双葉山らしい言葉である。
 
「心・気・体」
一般的にスポーツの世界では、「心技体」が重要な理念であるとして知られているが、双葉山は相撲道の理念として「心技体」ではなく、「心気体」が重要であると説いた。また、双葉山が目指した「木鶏」こそ、この「心気体」の象徴であったと考えられている。
稽古場での時津風親方(双葉山)は、ほとんど技術面のことを口にせず、「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」を指導理念とし、「心技体」ではなく「心気体」を強調していた。師匠(双葉山)が稽古場に現れると、私語をかわすものは誰一人となく、体と体がぶつかり合う音と荒い息づかいが聞こえるばかりで、その指導力は優れていたという。双葉山はなくなるまでの25年間親方を務め、1横綱3大関を含む多くの関取を育成した。
 
「勝負師は寡黙であれ」
前人未到の69連勝など、土俵上で無敵を誇っていた双葉山であるが、幼い頃の事故で失明となった右目と、家業を手伝っている最中に潰してしまった右手小指という2つの大きなハンディを負っていた。しかし、現役中、そのことを決して他人に語ることなく相撲を取り続け、引退まで黙り通している。
2つの大きなハンディを乗り越えるため、必死の努力を続けてきた双葉山のこの言葉は、「木鶏」を目指し、たとえ買っても喜ぶ姿を相手に見せなかった双葉山の土俵哲学といわれている。
 
番外編〜笠置山の言葉〜
「双葉山関に勝ったらその場で引退しようと思っていた」
戦前の土俵を沸かせた力士の一人に笠置山という出羽の海部屋の力士がいた。彼は当時としては珍しい早稲田大学出身のインテリ力士であった。
関脇まで昇進するものの、双葉山にはどうしても勝てなかった笠置山は、昼夜を問わず双葉山の取り口を研究し、ついには雑誌に論文を載せるほどであった。笠置山が記した「双葉山論」を参考に出羽の海部屋の力士達稽古を重ね、ついに昭和14年一月場所、安芸ノ海が打倒双葉山を果たすことなる。
結局、笠置山自身が双葉山を倒すという願いを叶えることができなかったが、後に笠置山が語ったこの言葉は、打倒双葉山に対する思いがいかに強かったのかを伺い知ることができる。
 
「我未だ木鶏たりえず」。かっこいいですね。こんなこと言われると、恥ずかしくなります。「我、未だ、ひよこのもなりえず」。道というのは、究めることができないということですね。自我を押し殺して、感情に流されず、もくもくと人生を生きたいものです。
また、とかく人間は、自分の自慢話、苦労話を他人にしたがるものですが、双葉山はその真反対ですね。確かに自分もその傾向がありますが、とかく自分の話を他人にベラベラ話して、同情を誘ったり、賞賛を求めるのは、一歩引いてみると情けない感じがします。
過去の偉人で、その道を究めた人は、以外にもその道にハンディがあるものですね。不思議なものです。
また、隻眼の乃木大将に通ずるものもあります。
 
あと、ここに載ってはいませんでしたが、僕の好きなエピソードを一つ。
双葉山の70連勝を阻止した安芸ノ海は、部屋に戻ってから師匠の出羽の海に報告した際、出羽の海は、「勝って褒められる力士になるより、負けて騒がれる力士になれ」と諭したといいます。
 
 
イメージ 8「双葉山の生家」
 
質素な邸宅です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9「生家の内部」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10「双葉の里から八面山」
 
双葉山も幼少期、
このような風景を
目にしていたのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんて、感慨にふけっていたら、「双葉の里」の観光案内板に、「城井一号掩体壕」という表示があるではないですか。これは、行かないと。と、例のごとく、地図を一見した後、感を頼りに。
 
 
イメージ 11「城井1号掩体壕」
 
今回初めて知りましたが、宇佐には海軍の航空基地があったそうです。
 
この「掩体壕」とは、米国の空襲、B-29の空襲から航空機を守るための防御壕のことだそうです。
 
このような「掩体壕」が、宇佐の田んぼ地帯に、ぽっこり、ぽっこりあるのです。
現在では、計10個、「掩体壕」が残っているそうです。
 
 
 
 
イメージ 12
「掩体壕」
 
きれいに戦闘機の形になってます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 14
「掩体壕内部」
 
陛下から頂いた戦闘機をどのような思いで格納したのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 15
「神風特別攻撃隊」
 
この宇佐航空隊からも、
150名近くの若者が、特攻隊として散華したそうです。
 
本当に、感謝申し上げます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 16
「掩体壕」
 
と、英霊たちに思いを馳せてましたら、その近くの掩体壕。
 
ひどくないですか?
トラクターの物置にしてます。
 
こんな、トラクター、誰も空爆しません!!
 
 
 
 
 
 
 
 
続きます。

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