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英彦山神宮

秋風が気持ちの良い季節。
シルバーウィークに、英彦山神宮に行ってきました。

絶好の行楽日和でした。
いつものように貫山にごあいさつから。
「貫山」
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行橋から、ひたすら自転車で国道496号を南下してゆきました。
国道496号は、福岡県行橋市と大分県日田市を結ぶ国道です。

「496号 みやこ町」
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本当に気持ちい天気。道もきれい。

「伊良原」
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祓川という川の上流です。
ダムを作るようです。
仕方がないのだろうけど、自然を大切にしたいものですね・・・
少し、残念。

「祓川」
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川沿いにひたすら自転車をこいでゆきます。

「帆柱地区」
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みやこ町の帆柱地区です。
変わった人形がいましたので撮ってみました。

「永沼住宅」
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国指定の重要文化財だそうです。
江戸時代後期1839年の建築。詳細な建築記録が残っているので特に評価が高いそうです。この地区で中心的な役割を担った、永沼家の私邸ですが、藩の役人などの公の宿泊所にもなっていたそうです。

「帆柱地区2」
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綺麗な景色です。
でも、実はこのあたりから坂の傾斜が厳しくなってきています。

「496号」
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深山幽谷、という単語がぴったりな感じです。

「496号2」
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坂また坂。カーブまたカーブ。

「県境」
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このまま496号を行くと、大分県です。
英彦山を目指すなら、ここから国道500号に入ります。
野峠という場所です。
標高700ml地点です。
国道500号は、大分県別府市と佐賀県鳥栖市をつなぐ国道です。

国道200号も筑豊を通りますので、200と500とメモリアルナンバーが筑豊にそろい組です。

「500号」
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本当、森林浴という感じで、気持ちよかったです。
葉っぱ同士が風で触れ合う音以外は全く音のない世界です。
まさに、自然と一体になる瞬間。

時々、爆音を立ててツーリングをするバイク集団には辟易です。
ただ、逆にかわいそうな気がします。
彼らは、自然と一体になれていない。
バイクを走らす爽快感はあるでしょうが、
自然と一体仁なれる自転車でのツーリングの方が、圧倒的な爽快感です。
いや、爽快感を超えた次元の感覚を味わえるのです。

身体は疲れますけどね・・・・

「500号2」
なんていう山でしょうか。イメージ 12























さらに500号を進むと、標高800mlのところの豊前坊とい場所にたどり着きます。
ここに神社があります。
はじめはここが、英彦山神宮かと思いましたが違っていました。
ただ、この神社も非常におもむきがありました。

「高住神社」
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「高住神社2」
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この鳥居と杉の木の共演、渋すぎます。

「高住神社 拝殿」
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結構、参拝客がいました。
拝殿の後ろの大岩がかっこいいです。

「高住神社 拝殿2」
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拝殿の中には、英彦山らしく、天狗の装飾品が多数飾られていました。

「高住神社 本殿」
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外削ぎ、鰹木は3本。
主祭神は、豊日別大神・天照大神・天火明命・火須勢理命・少名毘古那命で、継体天皇(1500年前)の時に創設されたとも。

ここからやや坂を下ると、久しぶりに信号機のある交差点にぶつかります。
「英彦山」
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この交差点を曲がって、しばらく行くと、ついに英彦山神宮参道にたどり着きます。
ここで、しばし愛車とお別れです。

「英彦山神宮参道」
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「英彦山神宮参道2」
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ひなびた感が非常にいい感じの山道を登ってゆきます。
石の階段や、杉や灯篭のコケ具合が非常にいい。

この参道の横に、スロープカーもあるようですが、足腰がしっかりしている人は断然参道で。

「英彦山神宮参道3」
さらに参道は続き、
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杉の木がいいですね。
そしていよいよ、

「英彦山神宮 奉幣殿」
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さすが、「神宮」と呼ばれるだけの神社です。
立派な奉幣殿です。
遠い道、きつい坂を乗り越えて来ただけのことはあります。
ちなみに、この奉幣殿は標高720mlの所にあります。

「英彦山神宮 奉幣殿2」
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立派な神社です。
テンション高まります。
大きな鈴も魅力的です。

「英彦山神宮 奉幣殿3」
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堂々とした、官幣中社です。
主祭神は、あの天照大神の子供、瓊瓊杵尊の親である、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)です。

継体天皇の御代に、北魏の僧である善正(ぜんしょう)が英彦山の山中で修行をしていたそうです。その時、たまたま狩猟をしていた藤原恒雄というものに会いったそうです。そして、殺生の罪を説いたそうですが、恒雄は聞く耳もたず、狩猟を続け、1頭の白鹿を射止めたそうです。その時、死んだ白鹿の所に、3羽の鷹が舞い降りて、白鹿に檜の葉に浸した水を与えた所、たちまち白鹿は生き返ったそうです。それをみた恒雄は、この白鹿は神の化身なのだと悟り、殺生をやめ、善正の弟子となって、この神社を建てたという言い伝えがあるそうです。

面白いですね。

また、「英彦山」という山名は、社伝では、昔は、主祭神の天忍穂耳尊が天照大神の子どもなので、「日の子」、「日子山」と呼ばれていたそうです。それが、その後、「彦山」に変わり、江戸時代に、霊元天皇から、天下に抜きに出た霊山なので、「英」の一字が授けられ、今の「英彦山」なったそうです。
昔は、「日子山」だったんですね。

「英彦山神宮」
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山全体が、神聖な感じですね。
事前にインターネットで、英彦山の山頂に上宮とい神社の本社にあたるものがある。というのを知っていたので、その本社を目指すこととしました。
ただ、本当に軽く考えていました。10分くらい山を登ればたどり着くだろうくらいの感じで、上宮への参道を登り始めました。

「英彦山神宮上宮 入口」
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「英彦山神宮 奉幣殿4」
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奉幣殿を上からみたところです。
この屋根のそり具合。芸術です。

「英彦山神宮 下宮」
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山全体に、いろいろな摂末社が存在します。

そして参道を登っていくのですが、これが結構、急峻なのです。
参道ではなく、本当に山道でした。

「上宮 参道」
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そして愕然としたのが、途中の距離の表札で、上宮まで1.7km(奉幣殿まで0.6km)と書かれてありました。
えっ。
一瞬目を疑いましたが、もう登るしかありません。
覚悟を決めて登ることしました。
ただ、安易に考えていなので、昼ご飯は食べていないし、水分は飲かけのお茶が250ml位しかありませんでした。
いつもの旅のように準備不足は否めません。

でも、もう、山伏になったつもりで、修行のつもりで登ることしました。

英彦山は耶馬日田英彦山国定公園の一部をなします。
新潟県の弥彦山、兵庫県の雪彦山とともに、日本三彦山と呼ばれるそうです。

また、山形県の羽黒山、奈良県の熊野大峰山とともに、日本三大修験山に数えられます。
山伏の生活跡が多数残っているようです。最盛期には数千名の僧兵を山に養っており、大名に匹敵するような力を持っていたそうです。

「上宮 参道2」
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時には、鎖を使って登らないといけない場所もありました。2か所ありました。

シルバーウィークだからでしょうか。結構な人が、上宮を目指していました。
そして子供が特に多かったです。
家族で来ている子供はもちろん、子供会か、スポーツクラブで来たのか、集団で来ている子供もたくさんいました。
そこで、うれしかったのが、この子供たちが、本当に良く挨拶をしてくれるです。
上宮から下山してきて、すれ違うのですが、本当に笑顔で「こんにちはぁー」と言ってくるのです。
街のなかでうだうだしている子供たちと、やっぱり違うのでしょうか。
まだまだ、日本も捨てたもんじゃないな、と思いました。

「中津宮」
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参道の途中にあります。宗像三女神を祀っています。

「上宮 参道3」
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s
風雨などの影響だと思いますが、参道にかかる鳥居がみるも無残です。
でも、あらためて、これは登山ではなく、あくまでも英彦山神宮の参拝なんだと気づかせてくれます。

「英彦山 眺望」
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ここらあたりにくると、かなり体力を消耗していましたが、振り返るとこの景気です。
少し、天気が悪かったですが、でもこの景色を見ると元気がでます。
正面に見えるのはおそらく、田川市でしょう。
おそらく、英彦山からみる景色で、ここが一番きれいなのではないでしょうか。

そして、いよいよ、上宮が見えてきます。
テンションまる上がりです。

「英彦山神宮 上宮」
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なんだか、いい感じでないですか。
千木もなんだかかっこいいですね。

「上宮 参道4」
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そして、最後の参道、石の階段を登ると、、、、

「英彦山神宮 上宮2」
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「英彦山神宮 上宮3」
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「英彦山神宮 上宮4」
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んんん・・・。
正直、神社ファンとしては、少しがっかりでした。
確かに、自然環境が厳しい場所とはいえ、もう少し管理されてほしかったです。
おごそかさが感じられませんでした。
奉幣殿の感動に比べると、2.3kmを登りぬいた感動を加えても、上宮は今一つ心に響きませんでした。
残念。
でも、英彦山頂上は、とても気持ちよかったです。

「英彦山 頂上」
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標高、1180mlです。
奉幣殿から460mlも登った計算です。
うひゃぁ。

「英彦山 頂上2」
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大分方向を見ます。
相当、いい景色です。
田川方向は、残念ながら頂上は周囲の木で今ひとつでした。
田川方向は、登ってくるときの途中の地点が一番の絶景でした。

名残り惜しいですが、頂上を後にします。

奉幣殿に戻ってきました。
「英彦山神宮 奉幣殿5」
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やっぱり、奉幣殿がいいです。
かっこいい。

その後、奉幣殿を後にして、再び自転車にのり、英彦山を下山することとしました。
行きとは違って、今度は、山の反対側、西側を添田町におりて帰る事しました。
720ml地点からのノンストップ下り坂です。
相当、気持ちよかったです。

その途中、「銅の鳥居」なるものがありました。


「銅の鳥居」
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本来なら、この鳥居が、「英彦山神宮」の正門になるようです。
僕が自転車をおいて登りだしたところは、参道の途中になるようです。

「銅の鳥居2」
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きれいな参道ですが、ここから登り始めると、相当にきついものと思われます。

「銅の鳥居」
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「官幣中社 英彦山神社」 とあります。

明治時代の神仏分離により、修験道が廃止され、天台山伏の本山であった霊仙寺(現:霊泉寺)を分離して、神社のみとなり、「英彦山神社」に改称したそうです。
1898年に官幣中社に列されました。
そして、1975年、現在の「英彦山神宮」に改称されています。


そもそも、「神宮」を名のるには、やはりそれなりの格があります。
「神宮」といえば、もう、これは別格中の別格の「伊勢神宮」になります。

「日本書紀」には、「伊勢神宮」と「石上神宮」が、
「延喜式神名帳」には、「石上神宮」にかわって「鹿島神宮」と「香取神宮」の名が記されています。
江戸時代までは、この三社のみが「神宮」を名乗っていました。

ただ、明治以降、天皇、皇室の祖先神、大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社の一部が、社号を「神社」から「神宮」に改めました。終戦までは、「神宮」を名乗るのに勅許が必要だったそうです。

戦後は、神社の国家管理は廃止されたため、「神宮」を名乗る際に勅許は必要なくなりましたが、それでもなお、神社本庁のもとで、「神宮」を公式に名乗るには特別の由緒を持つものに限られています。

戦後、神社本庁の特別な承認を受けて改称したのは、「北海道神宮」、「伊弉諾神宮」、「英彦山神宮」の三社のみだそうです。
(ただ、神社本庁に属さない神宮や、通称で呼ばれている神宮、伊勢神宮から分霊されて神宮とよばれている神社などもあるそうです。)

日本の神宮
皇室祖先神:伊勢神宮・伊弉諾神宮・霧島神宮・鹿児島神宮・鵜戸神宮・英彦山神宮
天皇:橿原神宮・宮崎神宮・気比神宮・宇佐神宮・近江神宮・白峰神宮・平安神宮・赤間神宮・水無瀬神宮・吉野神宮・北海道神宮・明治神宮
その他:熱田神宮・石上神宮・國懸神宮・日前神宮・鹿島神宮・香取神宮・山上大神宮

日本では、二十五神宮のようです。(戦前は、台湾神宮・朝鮮神宮、関東神宮)
そうそうたる神社ですね。

その中に、英彦山神宮が入っているのはすごいことだと思います。

そんな、神社に参詣できたことを誇りに思いつつ、
自転車、トップスピードで下山しました。

ふもとは、秋の風に包まれていました。
「彦山川」
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「彦山川」の横の帰り路です。
充実した疲労感と、一つの物語が終わった寂寥感でいっぱいです。

「金辺川」
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いつもの、香春町のみなれた光景です。
既に、英彦山のことが遠い昔のように思えてしまう、そんな風景です。

シルバーウィーク、一番のイベントでした。

やっぱり、この国がすきです。
こんなに素晴らしい風景を見せてくれるこの国は、やっぱり素敵な国です。
この国がすきでたまりません。
それを、また実感できました。

そして、自転車とカメラさえあれば、他に何もいらない。
自転車にのって、自然を味わい、写真をとって、感動を記録する。
これ以上の道楽がありましょうか。
そのことも、また実感しました。

おしまい


三種の神器

自分は北九州市に住んでいますが、北九州市では、市の中心部にある八坂神社が一番人気で、初詣なども本当に人が多いです。古くから「こくらのぎおんさん」とよばれ、小倉祇園太鼓はこの神社の例大祭です。
非常に趣のある立派な神社です。
「八坂神社」                                                              
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「八坂神社 拝殿」
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立派な拝殿です。

「八坂神社 本殿」
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これまた、立派な本殿です。
主祭神:(北殿)櫛名田比売命・須佐能袁命・天之菩卑命・天之忍穂耳命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須比命・市付島比売命・多紀理比売命、多岐津比命
     (南殿)大名牟遅命・少比古那命・須佐之男命・櫛名田比売命
社格:県社
本殿も、流造の外削ぎ、鰹木9本の堂々たるもので、小倉藩の総鎮守にふさわしい神社です。

ただです。
ただ、実は、この小倉八坂神社よりもっと歴史のある神社があるのです。
あまり知られていないと思いますが、それが
「蒲生八幡神社」
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「蒲生八幡神社 参道」
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いい雰囲気の神社です。

「蒲生八幡神社 拝殿」
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「蒲生八幡神社 本殿」
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外削ぎ、鰹木3本の立派な本殿です。
鰹木の数では、八坂神社に負けますが、
実は、この神社。小倉で最古の歴史を有し、氏子の多さも県下、屈指だそうです。
御幣殿は北九州市で最古であり、御本殿は旧豊前国で最古だそうです。

それに、もう一つ、この神社にまつわる面白い話が。

それが、今回のタイトルにある「三種の神器」にまつわる話なのです。

1185年に、平氏と源氏が壇ノ浦にて最後の決戦を行います。そこには、「三種の神器」と一緒に西国に逃れ落ちたわずか8歳の安徳天皇がおられたのです。
平氏は、ここ壇ノ浦でも惨敗し、いよいよ滅亡の時を迎えるのです。
死を覚悟した、二位尼は安徳帝および三種の神器とともに入水します。
「吾妻鏡」の元暦二年三月二十四日の条で、
「二位尼は宝剣を持って、按察の局は先帝を抱き奉って、共に海底に没する。」とあります。
また、同様に元暦二年四月十一日の条に、
「内侍所(八咫鏡)と神璽(八尺瓊勾玉)は御座すが、宝剣(天叢雲剣)は紛失、愚虜をもってして捜し奉る。」と書いてあります。

実は、この間に物語があって、「三種の神器」が海中に沈んだことを嘆いた、源頼朝が、規矩郡(企救郡)高浜浦の漁人の長、岩松与三に神器を探すように命じたそうなのです。岩松はここ、蒲生八幡神社(その時は高浜、現在の小倉井筒屋の近くに神社はあったそうです。)に神器発見、安全を祈願した後、海に入っていったそうです。鏡と勾玉は、密封性の高い箱に入っていたため海面近くに浮き上がってきて岩松の網に引っ掛かり回収することができたそうですが、宝剣はそのまま地中深く沈み、回収はできなかったようです。
岩松は、この鏡と勾玉を源頼朝に献上します。岩松はこの功績により規矩郡一郡を与えられますが、蒲生の神々のご神徳によるものとして、一郡をすべて蒲生神社に寄進したとのことです。
真偽ほどは、定かではありませんが、物語が隠れていますよね。

で、ちょっと、「三種の神器」について調べたのですが、「三種の神器」とは言うまでもなく、「八咫鏡」と「八尺瓊勾玉」と「天叢雲剣」の三つです。いうまでもなく、皇位継承のシンボルです。
実はこのうち、八咫鏡と天叢雲剣は、崇神天皇時代に、形代(分身のようなもの)が作られていたようです。それで、壇ノ浦で沈んでしまった天叢雲剣は、どうやら形代のようです。しりませんでした。

ちなみに、現在、「八咫鏡」は、本体は伊勢神宮、形代は皇居賢所に。
「八尺瓊勾玉」は、本体は皇居剣璽の間に。
「天叢雲剣」は、本体は熱田神宮に。それと、順徳天皇時代に伊勢であらたなる形代が作られたそうで、その形代は皇居剣璽の間にあるそうです。

そう考えると、壇ノ浦で沈んだ「八咫鏡」は形代だったとしても、「八尺瓊勾玉」は本体ですので、それを回収できたことは、相当な功績です。岩松与三、やりましたな。

そんなことに思いを馳せつつ、壇ノ浦にいってみました。

「壇ノ浦」
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ちょうど830年前、ここで激戦があり、今回の隠れた物語があったのですね。

「赤間神宮遠景」
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関門海峡を挟んで、赤間神宮が見えます。

「壇ノ浦2」
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源義経と平知盛の銅像だそうです。

「壇ノ浦3」
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二位尼の辞世 今ぞ知る みもすそ川の 御なかれ 波の下にも みやこありとは

「壇ノ浦4」
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この波の下のどこかに、天叢雲剣が眠っているんですね。
ロマンを感じますね。

「赤間神宮」
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本当に久しぶりの参詣です。

「赤間神宮2」
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旧社格は、官幣大社。堂々たるものです。
やはり、天皇そのものを祀る神社は、社格が高いですね。

「赤間神宮3」
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幼い安徳帝を思い、竜宮城を模したそうです。

で、実は、ここでも、また、物語というか、発見がありました。
この赤間神宮の横に、ひっそりと「安徳天皇御陵」がありました。
「阿弥陀寺陵」です。

「阿弥陀寺陵」
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おごそかな雰囲気があります。
天皇陵っていう感じがあります。

「阿弥陀寺陵2」
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宮内庁の管轄になります。

「阿弥陀寺陵3」
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こっそり中をのぞくと、由緒正しい、明神鳥居がありました。
さすが、天皇御陵。

で、またすごいのが、ほとんどの天皇御陵は、関西にあります。
京都府、大阪府、奈良県:ほとんどの天皇
兵庫県:淳仁天皇
滋賀県:弘文天皇

そして、関西でないところに存在するのが、3か所。
東京:大正天皇、昭和天皇
香川:崇徳天皇

そして、この安徳天皇の「阿弥陀寺陵」です。

そう考えると、いままで思っていた赤間神宮が違って見えてきました。
小さいころから赤間神宮の前を車で通っていましたが、このような天皇御陵が間近にあるとは、露しりませんでした。
実は、昔から赤間神宮はあまり好きでありませんでした。
でも、日本建国以来、万世一系でつながる天皇の一人が、この赤間神宮の横の地で眠っておられるということを考えると、赤間神宮を参詣することは、脈々と続く皇統の繁栄を祈ることであり、日本を大切に思うことに繋がると思いました。

蒲生八幡神社から始まった物語は、こんな思いで閉じたいと思います。

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