|
今回は対岸から撮影です。
こちらは800型804号、Zパンタグラフが付いてます。
自社製ではなく山陽電気軌道からの譲渡車で801から804までの四両が現在も在籍しています。
こちらは横位置での撮影です、旧の鉄橋は現在の鉄橋と国道橋の間にありましたが現在は撤去されています。 橋梁が堤防天端より上に嵩上げされたことで歩道橋も嵩上げされているのがわかります。
この道路は旧線路敷きです、現在は左に見られるように嵩上げされているのがわかります、1m程度は上がっています。
三回に分けて投稿しましたが40年以上の時間経過で可成りの変化が見られたことが過去の画像からわかります。
|
土佐電気鉄道
[ リスト | 詳細 ]
|
前回は歩道橋から西の画像、今回は東の画像です。
昭和47年7月の画像。
堤防が改修されてパラペット(波返し)が出来、堤防高が上がっています、線路はまだ嵩上げされていません。
橋梁も12径間のガーダー橋です、制限速度も25kmと低めですね。
対岸の家屋に昭和を感じます。
こちらが昨日の画像。
手前の荒れ地と対岸の護岸の色が変わっている場所が旧の線路跡です。
橋梁を河川の上流に新設したので旧橋は撤去されています。
橋梁も三径間の大きなトラス橋に変わり往時を思い起こすことは出来ません。
この新橋と旧橋の間隔が線路のカーブの原因です。
また橋梁の高さも嵩上げされていて橋梁の前後の勾配が急になっています。
新橋には600型、さでん交通色が通過中です。
少し斜めの画像がこちら、前回の左側の道路に接続する橋梁は工事中です。
こちらが昨日の画像です。
なにやらごちゃごちゃしています。
建設中の橋梁が完成し上部工もかなり広くなっています。
鉄道橋のすぐ左は旧道の橋梁が架け替えられさらに複雑感は否めません。
通行中の600型は四国電力の宣伝電車です。
その3に続きます。 |
|
こちらは土佐電気鉄道葛島橋界隈の昭和47年7月の画像です。
国分川右岸にある歩道橋からの撮影です。
第二次世界大戦の無差別空襲で一面の焼け野原になった高知市は戦後の翌年、戦災都市に指定され戦災復興都市計画が実施されることになり土地区画整理事業が始まりました。
そのおかげで土佐電気鉄道の市内線は両側に片側2〜3車線の広い道路が計画されました。
その区域の東端がこちらの葛島、東雲町あたりです、昭和47年には土地区画整理事業は終了して広々とした道路が見て取れます。
しかし都市計画が終わった所は広い道路ですがそれに接続する道路は旧態依然の狭い道路、画像右側で狭い道路と接続しています。
左側の道路は新しい橋梁が出来るまで通行は有りません。
左の交通案内板はおおざっぱで簡単ですね。
こちらが今日の画像、昔と違って車の多さに驚かされます、沿道も中高層ビルが建ち道幅が狭く感じられます。
レールが曲がっているのは国分川に架かる橋梁の架け替えで橋梁位置が変わったための取り合わせで曲がっています。
通行中の車両は600型、左は土佐電鉄の塗装、右はとさでん交通になってからの塗装です。
こちらが歩道橋直下の変則な交差点です。
道路がダブルクロッシング(シーサスクロッシング)のような交差点ですね。
|
|
昭和52年9月の高知駅前、「電車のりば」のおっきな看板が二箇所設置されてます。
迷うことは無いでしょう。
|
|
昔高知のシンボル的な構造物が高知橋北詰におったっていました。
ようこそ南国土佐へと書いてあります。
空が広い、高層ビルはまだまだ先のことです。
昭和45年8月の暑い日でした。
|



