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Yoshのコメント:次のアインシュタインの言葉を読んで子供の発達と言う事について思いを巡らせて下さい。 『光、時間、空間などについて疑問を持った子供は、ありきたりの説明で満足し、大人になってから考えなおしたりしない。だが、自分はそういうことを考えるのが人より遅く、そうした『簡単な』疑問を大人になってから考えたので、他のどんな子供より深く突っ込み、辛抱強く追及したのだ』 子供の学力の遅れ、能力が発達の遅れが原因で人並み以下なのだとの悩みを抱えている保護者の方々に本当の知識、学力、能力とは何だろうかについて深く考えを掘り下げて戴きたいのです。物理学のもう一人の立役者ニュートンも12,3歳まで能力の無い劣等生と思われていました。現代の社会なら2人とも間違いなく発達障害を疑われ、療育を受けさせられ、後の天才の閃きを確実に鈍化させ並みの能力にさせられただろうと言うのが私の思いです。療育・教育を否定・批判しているのではありません。もし、お子さんに望むような学力、成績の向上が得られずそれが発達障害に起因すると言われた時の気構えとして是非頭の中に留めて戴きたいのです。 数学者、物理学者、発明家などの人並みでない発想力の源は実は発達の遅れなのだとアインシュタインは語っているのです。早期教育とはありきたりの大人の説明を丸覚えする教育です。そして丸覚えの理解力の優れた子供が優秀で発達が良いとされます。小学校、中学校の授業もありきたりの説明に終始します。発達障害があると言う事、学校の成績が不振と言う事は考え直せば、我が子がありきたりの子供ではなくありきたりの説明を機械的に丸覚えする事にに適さない、物をじっくりと理解する子供だと言えるのではないでしょうか?誇りにしても良い事だと思います。そもそも、子供達になにを期待するのかを考える際に子供の特質・性格を考慮せずに人並みの能力を望むという方向に機械的に意識形成されてしまう社会通念を考え直して戴きたいのです。長島茂雄には数学者は無理です。彼は野球選手に生まれるべく生まれてきた人間です。アインシュタインに普通の人になるように説得しても無理なのです。彼が彼でなくなります。子供の学力が望めなくてもお笑いの天才かもしれません。親の物の考えかたの雛形に無理やり子供を押し込めようとしていませんか?何かの光る部分を消失させる罪な親心を発揮しているのではと考えるだけの心の余裕がなければ子供の教育など出来ないと思いませんか?考えて戴きたいのです。人並みの学力がそれほどお子さんに必要な事ですか。好きなことを極めたいと言う意識を持たずに漫然と勉強をする事は不幸だと思いませんか?もっと大切な事に気づいてお子さんと一緒にそれを探す冒険の旅立ちをしませんか?そう考え直し、発想を変えれば人生の深い意味を考えさせてくれる子供の発達障害は悩みでもなく、まして恥でもなく、子供が子供らしくあるという意味で誇りなのだと私は自分の子供と向き合う度に気づかされています。 **アインシュタイン、ニュートンともにアスペルガー症候群、あるいはADHDではなかったかとと考えられています。幼い時には遅れた子供でした。また、かのエディソンも同じような発達障害を抱えていたようです。天才数学者と言われる人は幼児期から天才であってわけでなくネオティニー(幼形成熟)の時期を遅延してのみ天才が初めて生まれるとも考えらるのです。** 或るブログへのYoshの投稿コメントです。 『テレビの月〜金放送番組に拘りがある子の場合土、日はどうするのかについて』 Yosh:土、日をちゃんと認識してますよ。私達と認知構造が違うけど、意外と私達の方が思い込み、背景に捉われた思考をするのに、ものを関連抜きで直接捉えるのでジグゾーパズルなんて殆んど天才的な子もいますね。
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仰るとおりです。私もその考えにほぼ賛同ですが…偉大になるのは、定型発達者同様、発達障害者の中でもほんの一握り…彼らの「独学」力が皆天才学者のようにいくとは限りません。「独学の人」であるが故に「人から教わる」ことができないのは如何なものかと。発達障害者が全て人生の糧となるような特殊才能(?)を持ってるわけではないのでは。
2006/7/13(木) 午後 7:12
侮ってはいないし、個性は大切にしたいし、型にはめた教育や療育理念を振りかざすつもりもないですが…やはりある程度は一般社会の型も意識してしまいますね。う〜ん、深く難しい問題だけに、このコメ欄だけではうまくまとまらない…失礼になったらごめんなさい。ただ、常に子どもの個性・性格は、日本社会の通念と切り離して、尊重するようにはしています。
2006/7/13(木) 午後 7:18
特殊才能を持つとは限らないし、独学できるわけでもない、全くその通りです。偉人のコメントで誤解されたかなぁ。子供なりの好きな道がありそれを生かして行く事が自立に繋がると思います。療育をこれから始めるスタンスと、過ぎてきた時間を後戻りできない子供たちのスタンスの違いでしょうね。人から教わることについては、限界というか自閉症児の特性がくっきり出たものになるでしょうね。シュン君の場合言葉といい、知識といい、これから様々な困難に遭遇するでしょうが、頭の隅に記憶して貰えればの趣旨の記事ですので。
2006/7/13(木) 午後 10:11
付け加えると、私は自閉症者の立場での発言を意識し、また長い受験指導の経験で物を言います。発達に定型があるとは考えない私は個人的に通念、一般社会の型を生理的に受付ないようです。貴女のように定型発達をしてこられた方の場合この壁を乗り越える事にかなりの抵抗感があるでしょうね。生理的に受け付けない子供を指導しきれないのが発達障害児教育の現状です。
2006/7/13(木) 午後 10:37
そうですね〜。偉人を引き合いに出してしまうと、少々抵抗強いですね。発達障害をよく知らない人が読むと、短絡的な図式ができかねないので。勿論、記事の趣旨自体は十分理解しておりますし、子育てにあたって、頭の隅にきちんと留めておきたいです。
2006/7/13(木) 午後 10:58
たった今も、5歳の子で英単語しか発語しなかった子が日常の保育園のやり取りの中で言葉を発するようになった報告がありました。言葉の教室の指導では滑らかな言葉は出てこないのです。言葉は日常の場面、場面で展開されるものです。教室の場面に貼りつく危険、生理的拒否の両面から一工夫が必要です。
2006/7/13(木) 午後 11:33
ぷちゅさんに対して失礼を覚悟で助言できることは、『頭の中で思う事は自分の母親としての立場の思いで、必ずしもシュン君の生理的・内面的特性迄達する程深まっていないかも』との思慮を絶えず言い聞かせてと言う事です。自閉症者に近いスタンスを感じられない 親の場合、幼児期の熱意の反動か、特性がくっきり現れてしまう思春期の子供に対するアプローチを放棄する例が多すぎるのです。5年生で打ち切りが多発しています
2006/7/14(金) 午前 0:51