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関東地方は、昨日も今日も熱帯のスコールゲリラ集中豪雨でした。その後お元気でしょうか? 8月10日以降にささやかな会を立ち上げます。活動の開始です。今日は仲間たちに宛てたメールの一部を紹介します。 少し私の教育感というかスタンスを述べますね。 ウニヴェルシタスってイタリア語が有ります。自治的ギルドとか自治的職人組合って感じの言葉です。ボローニャってイタリアの街は今も国家より街の自治が優先する街。街の基本的なデザインは絶対に役人に手を出させ無い。昔から政治屋、役人は公僕な訳で街のグランドデザインに口が出せない仕組みで街が運営されています。公務員は市民の奉仕者パシリなんですね。文字通り公僕なんです。ボローニャの街は大学の発祥の地。1088年頃から500年近く1500年代半ばまでキャンパスも大きな校舎もなかったと言います。学生が教師を雇って緩い学びの集まりの集合体が形成されていました。1088年頃から全て学生が運営する組合組織が学ぶ場を維持してきました。ユニバーシティって英語の大学の語源はウニヴェルシタスに有る訳です。学長は学生の中から選ばれました。そんな中で、ダンテもコペルニクスも、ガリレオもこの街の学ぶ場所で学んでいたのです。 同じ頃(100年くらい遅いですが)、フランスのパリの学ぶ空間は教師が生活の安定の保証を教会、有力者等のスポンサー、権力の庇護下に入るなり、スポンサー、権力との連携の中で追求企画されて社会制度の一部になりました。これはイギリスでも同じように展開されています。 ソルボンヌ、オックスフォードの起源ですね。 私はボローニャ的な教育の場を若い頃から模索して、何回か企画してきました〜 広島では33年前に大学院生4、5名と連携してカリキュラムも、教材も全て生徒と検討した手作り、生徒・講師の合議制の大学受験進学ゼミを企画開設しました。経費全てガラスばりで運営しました。(4年後河合塾などの予備校が広島に進出して院生がスカウトされて解体され私1人になりましたが院生の多くはその後広島大学の現役教授になっています) ボローニャの街では知的障害者の経営する農園、レストラン、パン屋に補助金、寄付金は一切出さない、だけど彼らの栽培した野菜を買い、彼らのレストランでの食事をし、彼らのパン屋を日常に利用して愛着を深めるのです。何かに似ていますねェ〜倉敷のぷれジョブ。行政に依存する教育の模索は僕の教育の発想とは無縁だから…学びの場は学ぶ人と教える人が其処に同時に存在して愛着を育て上げる営みの結果形成されて行くんだって思います。だから…紘葉と斉裕の子育ての場も1つの学びの場でした〜 ボローニャ方式ってこういう事です。 「歴史ある建造物の外観はそのままに、中は時代、時代の生活に合わせて変えて行く。人口39万人のボローニャの街で生活の全て(芸術・文化・大学・ビジネス・ショッピング・音楽・自動車・オートバイ生産・勤労・住居・消費・生産・相互支援)が営まれ、他人を助ける事で自らが助けられる実感が育ちます。条例で銀行、企業にも最終利益の50%を社会に還元する事が義務づけられているそうです。私の知識の他に作家の井上ひさしの最新刊「ボローニャ紀行」の本の受け売りもだいぶ有りますけど…読んで見て下さいね。 私の模索する教育は20代の時から今もボローニャ方式の教育です。倉敷に重なりますねェ〜 私が倉敷のぷれジョブに感じた懐かしく心引かれたものがあります。西先生の言葉とあるイタリアの女性図書館長の次の言葉と見事にシンクロしたからです。『古いものの前に立つと歴史が、過去が、そして消えうせたはずの時間が、すべてのものが、一瞬のうちに目の前に立ち現れてきます。そのことによって、自分が現代に孤立して生きているわけではないと言う真理を直感するんですね。そして自分が過去と未来を繋ぐ役目を背負っているという責任を自覚します。こういうことが全て人間を勇気づけるのです。』 上田 吉裕 知恵の街、住みたい街、ボローニャの底知れぬ魅力 ボローニャ紀行 ボローニャキコウ 井上 ひさし |
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