実りの森へご招待Champion the challengers

吉野弘「生命は」の詩。光をまとって飛ぶのは華やかな蝶ではなく虻であることの意味を深く考えてみては如何でしょうか。

全体表示

[ リスト ]

今日は死ぬのにもってこいの日だという詩をご存知ですか」

 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている
 すべての声が私のなかで合唱している
 あらゆる悪い考えが、私から立ち去っていった
 私の畑はもう耕されることはない
 私の声は笑い声に満ちている
 子どもたちもうちに帰ってきた
 今日は死ぬのにもってこいの日だ


たしか、こんなです」
 
これは大井玄さんが知り合いの方と交わした会話の中の言葉だそうです。

調べてみるとアメリカの先住民族、インディアンの挨拶の言葉は
 "It's a good day to die" 
或いは  
 "Today is a very good day to die"
なのだそうです。.
この詩が紹介されている『今日は死ぬのにもってこいの日だ ナンシー・ウッド著(メルクマール社刊)という本の原題はMany Winters です。
アメリカ先住民インディアンの生命観・死生観は命の回帰、輪廻転生を前提にしています。

冬になれば木は葉を落とします。

新しい命を育むために死と言う形で土に還るのです。

細胞の世代交代は細胞の自死行為=アポトーシスによって為されます。

枯葉も1つのアポトーシスという生命行動の表現だと思います。

生死は表裏一体でその両者を統合したものが命です。

細胞は絶えず死と生を繰り返します。

枯れた落ち葉・死んだ屍は地に戻り土壌を豊かにして新たな生を育みます。

アポトーシスと言う言葉の語源はapo-が離れる、ptosisが下降を意味します。

つまり、命を育み、繋ぐ為に自ら枯れた落ち葉が落ちるがアポトーシスの意味なので

す。

何らかの命は必ず他の命を育み繋がります。

アポトーシスと言う細胞の自死がなければ新しい細胞は生まれ代われずに機能しませ

ん。

生の中に常に死が入れ子のように組み込まれています。

命は死によって絶えずリニューアルされて生を裏支えして保証しているのです。

冬は死を明示しているのです。

プエブロ・インディアンの古老の語る生命観・死生観をこの本から紹介します。



大井さんの会話の中の詩はその生命観・死生観を語る詩の一部なのです。
老の言葉 (本書より引用)
 
イメージ 1

 

たくさんの冬を
わたしは生きてきた
終わりない夏と戯れ、疲れきった大地を
最初の雪が降ってきて覆いつくした
時のそもそもの始まりから。
たくさんの冬

わたしは山々の頂に水を捕らえて放さなかった、
月と太陽がみごとな円環を創り出した大地の始まり以来
まだ冷めやらぬ山々の頂に。
たくさんの冬
わたしは星たちを至るところに吹き飛ばした、
それぞれの星が落ちゆく先を
冬の陽の路に沿って
海と川が流れゆくように。
たくさんの冬
木々はわたしとともに寝た、
獣たちはわたしの胸の上を歩きまわり
鳥たちも夜寒の辛さを和らげようと
わたしの火のそばに近づいてきた。

たくさんの冬
わたしは孤独な月を友として生きてきた、
その月があとを追う灼熱の太陽は
大地を冬から解き放つ前
わたしたちの感謝の歌に聴き入った。
たくさんの冬を
わたしたちは生きてきた、
融けてゆく雪の中から、ひ弱な花が現れて
わたしは春の精です、と言った
時のそもそもの始まりから。

冬の木は
まるで親父の顔の皺みたいだ、
それとも
わたしがまだ若くて
悟りへの明快な一本道を
探しあぐねていた頃に通ろうとした
たくさんの小道みたいかな?
一本一本の枝には
さらに小さな枝があり
辿っていくと
いろんな結末、いろんな悲しみが待っていた。
枝は、わたしの体重を支えるには
どれもこれもひ弱すぎて折れてしまい
まごついてわたしは下に落っこちた。
冬、
たくさんの小道のように
絡まりあった裸の枝を
空に向かって高々と伸ばしている木を見た、
だが道は
それぞれが目的をもっていて
その木の根っこに帰ろうとしていた。

もしもおまえが
枯れ葉ってなんの役に立つの?ときいたなら
わたしは答えるだろう、
枯れ葉は病んだ土を肥やすんだと。
おまえはきく、
冬はなぜ必要なの?
するとわたしは答えるだろう、
新しい葉を生み出すためさと。
おまえはきく、
葉っぱはなんであんなに緑なの?と
そこでわたしは答える、
なぜって、やつらは命の力にあふれてるからだ。
おまえがまたきく、
夏が終わらなきゃならないわけは?と
わたしは答える。
葉っぱどもがみな死んでいけるようにさ。

冬じいさんは
雲に乗って北の方から吹き込んできた、
山の上に寝っ転がって
雪で山を包んでしまった。
下の谷まで手を伸ばして
木から葉っぱをはぎ取った。
両手で湖を包んだら
底まで冷たく凍ってしまった。
うなり声のような息を吐き出すと
国中の川が、その源で止まるのだった。
冬じいさんが地上を歩いたら
草という草が全部凍てついた。
仕事がすっかり片付くと
冬じいさん、体を丸めて横になり
グウスカ眠ってしまったとさ、
みんなを自分に引き寄せて
獣も
土地も
人間も。

大地だけが生きつづける。
自分の人生がわからなくなったり
自分がなぜ人に聞き入れられないのか、わからなくなったとき
わたしが話しかけるのはいつも大地だ。
すると大地は答えてくれる、
かってわたしの先祖たちが
悲しみの涙で太陽が見えなくなったとき
彼らに歌ってやったのと同じ歌で。
大地は歌う、歓喜の歌を。
大地は歌う、称賛の歌を。
大地は身を起こして、わたしを嗤う、
春が冬に始まり、死が誕生によって始まることを
わたしがうっかり忘れるたびに。

わたしは醜いものを眺めながら、そこに美しいものを見る。
はるかわが家を離れていながら、故郷の友たちに会う。
うるさい音を聞きながら、その中にコマドリの歌を聞く。
人込みの中にいても、感じるのは山の中の静けさだ。
悲しみの冬の中にいて。思い出すのは悦びの夏。
孤独の夜にあって、感謝の昼を生きる。
けれど悲しみが毛布のように広がり、もうそれしか見えなくなると
どこか高いところへ目をやって
胸の奥深くに宿るものの影を見つける

わたしたちは、次のことを信じている。
わたしたちすべての母は大地だ。
父は太陽だ。
祖父は、彼の心でもってわたしたちを洗い
すべてのものに命を与えた創造主だ。
わたしたちの兄弟は、獣や樹木。
姉妹は、あの羽根のある生き物。
わたしたちは大地の子、
だからそれを傷つけない。
朝の挨拶を忘れて
太陽を怒らすこともするまいぞ。
わたしたちは、祖父が創ったすべてのものを
心から讃めたたえる。
わたしたちは、みんな一緒に同じ空気を吸っている
獣も、樹木も、鳥も、人も。

この土地は、静かで落ち着きがある。
黄金色の光を浴びていて
それがへりのギザギザを削ってくれる。
だからすべてが、ぴたりと決まってるのだ。
いつも太陽を目に入れてるから
曇り日にしか見えない欠点は
見ようたって見えやしない。
冬でも、この土地にいると心が安まる。
起伏が実になだらかなので
地平の彼方まで目をやると、目が疲れて重くなる。
眠っている木々が、あちこちで枝を天まで伸ばしている。
わたしたちの畑や馬たちも、あちこちで眠っている、眠っている。
だから、わたしたちがこの土地をこんなに愛していても
別に不思議はないだろう?
地の鼓動に合わせて踊り、そして気づくのだ
これこそわたしたちのリズムだと。

冬の手が
世界の支配権を太陽に譲り
川面の堅い氷が
春の訪れを口ずさみはじめたなら
わたしは大地そのものの中へ入ってゆかねばならない、
わたしが生まれ出たその源を知るために。
わたしはうつ伏せになってみる、
木の葉の歴史を積み重ねた地面に。
わたしは嗅ぐ、
身を震わせて、無垢で緑なるものの誕生を許す
豊かに湿った土の匂いを。
指で柔らかな土に触れてみる、
この土地が、かって起こった
すべての誕生と死を含むことを知って。
わたしは耳を傾ける、
自らに満ち足りて
今、目覚めようとしている大地についての
ささやきのような叫びに。
小枝を楊枝のように歯にくわえ
わたしは感じてみる、
太古の死から生まれた命が流れる、木々の生長を。
自分の体を土で覆ってみる、
わが生の季節がどんなに快いものか
まだ生きているうちに知ることができるように。

大地の皮膚は
その欠点を覆い隠す、
わたしの顔が
その膨大な頼りなさを覆い隠しているように。
土の乾いた割れ目を見れば
それが傷を負い、血を流したことがわかる、
ちょうどわたしの精神が
人に負った傷から血を流したと同じように。
土は自分で自分を治した、
痛めつけられたその顔を、時が横切ってゆく間に。
けれど、いったい何がわたしを治してくれるというのだろう?
わたしの土地とわたしが一体となれるよう
わたしの顔に皺を刻んでくれる、あの太陽以外に。

この手で翼の折れた鳥を
わたしは運んだものだ。
この手で太陽の下
わたしはわたしの子供たちに触れたものだ。
この手で、わたしは生きた土の家を建てた。
この手で、育ちゆくトウモロコシ畑を耕してきた。
この手で、生きる術を学んだと同じくらい、殺す術も学んだ。
この手は、わたしの精神の道具だ。
この手は、わたしの怒りの戦士だ。
この手は、わたしの自我の限界だ。
この手は年老いて
わたしが昔知っていた世界に触れるべく伸ばされたが
触れることのできたのは、見知らぬ壁ばかりだった。

ここから昔を振り返って
自分の人生で憶えていることのすべては
いくつかの巨大な丸石
そして、小さくても馬鹿にはできない石たちだ。
わたしは知っている、
わたしは傷を負ったが
年ごとに新しい葉で身を装う木にように
それがひとりでに癒えてしまったことを。
わたしは知っている、
かつては悲しみにうち沈んで歩いたこともあったけれど
わたしが今憶えているすべては
心安らぐ、あの秋の光だということを。
わたしは知っている、
もし立ち止まって
世の中は失意の歌しか歌わないことに。気づいたならば
わたしの人生はもっと不幸になったろうことを。
しかしわたしは
わたしの歌のすこやかさを映す
畑や小川の世界に生きることを選んだのだ。

昼間がその目をぴったり閉じて
空がぐっすり眠ったら、
月は片顔で昇りそめ
星は夜空に穴をあける
("Today is a very good day to die"ープエブロ・インディアンの古老の語る死生観-その2へ続く)

閉じる コメント(1)

顔アイコン

何度も繰り返し、声に出して、そして無言で読んでいます。
本当に本当に素晴らしいですね。

何がそのように導いたのでしょうね。
どうしてそのようになったのでしょうね。

都会の中では、人の中では、・・・到達できないのでしょうか?

そこに達する道筋にへと、自然と思いがいきます。

2013/11/18(月) 午前 8:23 [ ohb*_k*ouka* ]


.
【yosh0316】
【yosh0316】
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事