|
Jackson Browne Before The Deluge
Before The Deluge
夢を追い求める奴も居る
バカで愚かな奴も居る
無垢なエネルギーを持った未来のことばかり考えて
それは無邪気に計画を練っている
彼らは道具を集めていた
自然に戻る旅を始めるために
彼らには必要だったんだろう
隙間から砂がこぼれ落ちるのに
金の指輪を求めて彼らの手が伸びる
心とともに
彼らはお互いの意志を隠れ家を作るために向ける
大洪水が到来する前の
この苦難の歳月に
喜びを知っている人々
苦痛を知っている人々
現在のこの瞬間だけを刹那的に生きる人々
血気に任せて勇敢で狂気じみた翼に乗り
彼らは雨の中を飛び立った
かつて美しかった羽は引き裂かれずたずたに
結局くたびれた翼は
平穏な人生への服従のために取引され
愛の輝きとほのかなぬくもりに交換されてしまった
きらめきとルージュのために
大洪水を前にしてたちまち人心は押し流された
さぁ、音楽で我々の気持ちをハイ(高揚)にしよう
建物の中で子供たちを濡らさないように守ろう
天地創造の秘密を明らかにして行こう、少しずつ、少しずつ
我々の心の中で失われた光が空に届くその時に
権力で美しさを偽造できることを学んだ者たちによって
地球が残酷な扱いを受けていることに怒りを覚えた人々
彼らがこの地球を守ろうと奮闘しても
混乱を招くだけ
最後に審判が下されるときの地球の猛烈なマグニチュードにより
砂がさらわれ覚悟の時が到来し
丸裸にされた夜明けの中では僅かな人々しか生き残っていない
彼らがこんなに単純で壮大な出来事だったのだと理解しようと思案する中で
彼らは生き続けなければならないことを悟るだろう
この大洪水の後で
この曲は1979年のスリーマイル島の原発事故以前に作られた曲ですが、予言的な警告の曲です。
この曲ではJackson Browneのメッセージは西洋的な視点から聖書のノアの箱舟・大洪水を念頭に置いた大洪水=Delugeが驕り高ぶった人類を破局へと導く終末思想が語られているのですが…私たち日本人には巨大地震・巨大津波が分かり易いのですが……30数年後にそれが現実となり、更に放射能被曝の恐怖に慄いています。
巨大地震・大津波による福島原発事故のもたらした放射能被曝の悲惨さは、人類のクリーンで安価なエネルギーが地球環境を救うと言う安易で愚かな「夢を追い求めて、愚かな幻想に過ぎなかった安易に想定された甘い見積もりの未来のことばかりを考えて原発推進計画練って、それこそ無謀なエネルギーを集結した」末に、私たちは取り返しのつかない地点まで、地球の将来を担う子供達の命を脅かしています。
これと同じ様な視点に立つ浜田省吾の曲に関する記事を以前、福島原発事故の直後に紹介しましたが未だの方は、以下のURLにて読んで頂けたら幸いです。
旅せよ若人、冬の精神を持ち続けよ-東日本大震災と福島第一原発事故に寄せるメッセージ―砂の祈り http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/51783037.html
福島原発事故に対するメッセージー君を守りたい
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/51769249.html
追記;
最初この記事を投稿してから暫くしてジャクソン・ブラウンの
この曲に対する述懐のコメントを見つけましたので紹介して置きます。
「60年代後期は、社会の構造が崩れる寸前だったんだと思う。国民はいつも貧乏くじを引かされ、ずっと虐げられて、挫けそうになっていた。すべてが一触即発の状態にあったような気がするんだ。60年代にはワッツの暴動があったし、ヴェトナム戦争反対のデモもたくさんあった。われわれには見えない巨大な、よからぬ何かに取り囲まれているような、そんな感じがあったよね。それはいまももちろん同じだと思う。大洪水が起こるようなことを(ビフォー・ザ・デリュージ)で書いて、少し後悔したこともあったよ。『これほど惨事を、何もしないでただ予測するだけでいいわけがない。大勢の人が流され死んでいくというイメージを抱かせて、混乱させていいわけがない』って思ったんだ。でも、だからといって、これをうたうのをやめたりはしないー同じことを考えている人は多いと思うんだ」
(『Jackson Browne - His Life And Music』マーク・ビーゴ著、水木まり訳、P.124 蒼氷社 2007年)より
註の註;ワッツの暴動
1965年ロサンジェルス近郊のワッツ市の黒人居住地域で起こった事件。事件当時黒人居住地域がスラム街となっているのはアメリカ全域で見られたことであり、折からの公民権運動の高まりによる人種差別への反発から同種の暴動は、この頃全土で発生していた。政府も州も暴動の鎮圧には力を振るったものの、根本的な原因となった居住地域における生活改善や人種差別の解消には更なる時間が必要となった。
|
浜省フリーク
[ リスト | 詳細 ]
|
Jackson Browne - Farther On
Running On Empty
ジャクソン・ブラウン - RUNNING ON EMPTY
Looking out at the road rushing under my wheels
Looking back at the years gone by like so many summer fields In sixty-five I was seventeen and running up one-o-one I don't know where I'm running now, I'm just running on Running on(running on empty) Running on(running blind) Running on(running into the sun) (But I'm running behind) Gotta do what you can just to keep your love alive Trying not to confuse it with what you do to survive In sixty-nine I was twenty-one and I called the road my own I don't know when that road turned onto the road I'm on Running on(running on empty) Running on(running blind) Running on(running into the sun) (But I'm running behind) Everyone I know, everywhere I go People need some reason to believe (I don't know about anyone but me By Jackson Browne
俺の車輪の下を流れていく道路を眺めながら いろんな夏の草原のように過ぎ去った年月を振り返ってみる 1965年、その時俺は17歳で101号線を北上していた 今俺はどこを走っているのかわからない ただ走り続けているだけさ 走り続けるのさ(空しいままに) 走り続けるのさ(ただやみくもに) 走り続けるのさ(太陽に向かって) (でも遅れちまってるけどね) 君の愛を失わないようように、できることはやってるよ 生き残るためにやるべきことと混同しないようにしないとね 1969年、その時俺は21歳で、その道が俺の進むべき道だと思った いつのまにその道が今自分のいる道に変わったのか、わからないけどね 走り続けるのさ(空しいままに) 走り続けるのさ(ただやみくもに) 走り続けるのさ(太陽に向かって) (でも遅れちまってるけどね) 俺が知っている誰であれ、俺の行くどんな場所であれ 人は信じるに足る理由が必要なのさ (俺以外の人については知らないが) もし一晩かかるというなら、それでいい 俺が出て行く前に、君が微笑んでくれるなら 俺の車輪の下を流れていく道路を眺めながら この生活がどんなにクレイジーなことか どう君に話したらいいかわからないけど 俺を救い出してくれたかつて頼った友達がいないか見回したんだ その友達の目をみると、その友達もまた走り続けているのがわかるんだ 走り続けるのさ(空しいままに) 走り続けるのさ(ただやみくもに) 走り続けるのさ(太陽に向かって) (でも遅れちまってるけどね) 恋人よ、君は魅力的だ 君は親切そうにふるまう術を心得ているよね ゆっくりしたいけど、遅れてしまってるからそうもできないよ ねえ、自分は何を見つけたいかもわらなくなっているのさ 太陽に向かって走るのさ、でも随分遅れちまってるけどね 1965年高校2年生の僕は人生の疾走を開始した。
1969年、ジャクソン・ブラウンと同学年(早生まれ)の僕は20歳で、人生は走り続けることが全てだと迷うことなく感じていた。
打算も無く、上昇志向を拒否して権力に反抗して思いのままに信じる道を生きていこうと考えて……行く先の見えない人生の旅を始めた。25歳の時、ジャクソン・ブラウンの歌に出会った。そして、数年後、イルミネーションというアルバムで浜田省吾「Midnight Blue Train」を聴いた。疾走感と喪失感のハザマの彼の楽曲・音楽は僕の魂を揺さぶった。ジャクソン・ブラウンと浜省と僕は、空とこの道がきっと何処かの地点で何時の日にか出会う刹那を求めて走り続ける魂の相似形なのだと思っている。あの時から33、4年が経っているが僕らは還暦を過ぎ、或いは迎えようとしているのにまだ走り続けている途上の存在なのだと思っている。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- ミュージシャン
|
やっと試験に受かったと 喜び勇んで歩く並木道
肩にセーターと 下ろしたてのバスケットシューズ
髪を翻し駆け上がる校舎 初めて あの娘に出会った朝は 僕は20歳で まだキャンパスも春 赤いヘルメットの奥の瞳に 見透かされたようで何とか照れ笑い 遠くへ 遠くへと 願った日々
僕は泣いてる 君のために
ポケットの中僅かなバイト料 最終電車を待つプラットホームから あの娘に電話 「やぁ〜僕さ 元気かい?」 「今から出て来ないか 何処かで飲もうぜ」 駅前通りの馴染みの店で グラスを重ねてそして初めての夜 その日あの娘の恋が終わったとは 知らない僕も一人淋しかったし 遠くへ 遠くへと 願った日々 真直ぐに見ておくれ 僕は泣いてる 君のために 紺と銀色の楯の前で 空を仰いで祈り続けた 「神よ僕らに力を貸して でなけりゃ今にも倒れてしまいそう」 振り向くと遠くにあの娘の眼差し 笑っているのか泣き出しそうなのか 違う違う こんな風に僕は 打ちのめされる為に生きて来た訳じゃない
遠くへ 遠くへと 願った日々
真直ぐに見ておくれ 僕は泣いてる 君のために「星がひとつ空から降りて来て あなたの道を照らすのよ」と 話してくれた きっとそうだね いつまで経っても石ころじゃないさ 遠くへ 遠くへと 願った日々 真直ぐに見ておくれ 僕は泣いてる 君のために
ふと、この歌を聴きたくなって、午前1時過ぎから聴いていました。最近、浜田省吾ファンの若い人が増えているようで、それなりに、思うことがあります。この曲は遠くへ−1973年・春・20歳というタイトルでも分かるように38,9年前のキャンパス風景を歌った曲です。浜田省吾20歳、私23歳の時代の歌です。カラオケでこの曲を歌うのですが……カラオケの映像に苦笑いをさせられて、調子が狂うことが多々あります。
『赤いヘルメットの奥の瞳に 見透かされたようで何とか照れ笑い』
この部分の映像がバイクに乗った女の子なので苦笑いを禁じえません。彼女は学生運動をしている女子活動家の学生に決まっているのですが……以前に1965年生まれの浜省ファンの女性にこのことを説明するとキョトンとしていました。彼女も赤いヘルメットはバイクのヘルメットだと思っていたそうです。
赤ヘルとは左翼過激派共産同・ブント系の象徴なのですが…この1年前の2月に連合赤軍は浅間山荘事件を惹き起こし悲惨で酸鼻な内ゲバ・総括と言う名前の殺戮・内部リンチ事件を起こし学生運動は衰退の一途を辿りました。
紺と銀色の盾の前で 空を仰いで祈り続けた
「神よ僕らに力を貸して でなけりゃ今にも倒れてしまいそう」 紺と銀色の盾とは警察の機動隊の制服の色が紺で盾の色が銀色なのですが……キャンパス内で内ゲバ事件が起こり機動隊が学内に導入され抗議の学生達のデモが蹴散られ隊列が乱れて逃げ惑う学生達の様子が絶望的に歌われています。
文字通り、神奈川大学に入学して、活動家の女子大生に恋をして、権力と学内の内ゲバの前では自分達学生は石ころのような無力な存在であることの切なさが見事に描写されています。
1969年8月に広島で路上に燃え上がるいくつもの幻想(ゆめ)をみた浜田少年は1973年春に人生の岐路に立ちやがてキャンパスを離れてドラムを敲くミュウジシャンの道へと旅立ったのでしょう。当時の
広島は吉田拓郎のフォーク村の活動で音楽好きの私の教え子達も沢山八丁堀の河合楽器にたむろして沢山の音楽的な夢を語りあっていたのです。教え子達が目を輝かせて沢山はなしてくれました。
当時の広島は無力感に苛まれる首都圏の学生生活とは違って、熱気に溢れた気心の知れた音楽仲間が集う…「星がひとつ空から降りて来て あなたの道を照らすのよ」…と語っても違和感の無い、貧しくても夢に満ち溢れた雰囲気の若者が生き生きとしていた街だったとの印象があります。23歳の若者だった私にも、20歳の浜田君にも
「いつまで経っても石ころじゃないさ、遠くへ 遠くへと 願った日々」
が共通してありそして、辿り着くべき地点まで歩き続けて空とこの道が出会う遠くの場所まで行くんだと言う意思の力を信じて生きていたのが1973年でした。そして、3月11日の東日本大震災。原発事故。反核・反原発の想いは広島で若い日々を過ごした人間には身に附いた信念です……あの時代の信念を……特に浜田君の場合は警察官の父親が広島の原子爆弾の被爆者なのですから……
『違う違う こんな風に僕は 打ちのめされる為に生きて来た訳じゃない…僕らはいつまで経っても石ころじゃないさ 』
同じ思いで浜田省吾と私たちは繋がっているのだと思っています。
これから、「恋の西部新宿線」「さよならにくちづけ」、「ミス・ロンリーハート」「明日なき世代」「生まれたところを遠く離れて」を万感の想いを持って朝まで何度も繰り返して聴こうと思っています(~ )(o~ )(~o~)( ~o)( ~)
特に「ミス・ロンリーハート」「生まれたところを遠く離れて」は愛奴時代の駆け出しのミュージシャン浜田省吾のステージ活動の初々しさが感じられる曲で「ミッドナイト・ブルートレイン」などと一群をなす名曲だと思っています。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- ミュージシャン
|
砂の祈り
TVニュースに 映る砂の嵐
いとしい人の 姿さがす
身を切るような 不安と哀しみを
誰が分かち合えるのだろう
あなたの 名前も行方も
知らない人達
今日も街を行き交う
血の味で 目覚めた夜の静寂(しじま)
くちびる 噛みしめ 朝を待ってる
あなたのいない この部屋のどこに
空しくひとり 座ればいい?
ささやかな日々 視界の向こうに
さらわれてく 砂と共に
あなたの 誕生日には
家族と 友達が 集まり
あなたのことを話した
―抹の 砂と共に今夜
訪ねて来て笑顔で 夢の中へ
何気ない 小さな出来事
山茶花 咲いては 涙こぼれて落ちる
いつの日か
この世のすべてが
等しく 平和で あるように
地平に 揺れる 陽炎
あなたの 無事を
祈ってる
奄美大島出身の我那覇美奈と言う女性ボーカルのカヴァー曲もお聴き下さい。女性の声質もこの曲にはマッチしていると思います。
イラク戦争中に所謂人道復興支援活動に派遣された方々の家族の思いを歌った浜田省吾の抗議メッセージソングですが……大震災後のこの時期に聴くとまた違った、趣の深い曲だと思います。それは、放射能汚染の不安と怖れの中でも命の繋がりを信じて原発災害拡大防止・復興支援に派遣され果敢に挑む消防署始め各機関の方々とその家族、ボランテア支援活動に携わっている方々とその家族、そして未曾有の震災で愛する人を喪った方々、地震とそれに連動する津波に愛する人をさらわれて、プッッリと途絶えた消息を不安の中で待ち続ける被災地の方々の想いに寄り添う曲だと思いこの曲を紹介します。
原爆の悲惨な経験を身を持って知っている広島県に縁の深い人間には心の深いところで現代科学の暴走・思い上がり・傲慢さに対する疑念の気持ちを抱いています。そして世界が等しく平和であるようにとの願いを希求する心が在ります。広島市の隣の呉市出身の浜田省吾もその様なアーチストです。 私自身の出身は北海道札幌ですが、元々は東北地方の南部から開拓移民として北海道に移り住んだ家系に生を受けた人間です。アイルランド魂を持った南部人を自任する私は青春期の17年間暮らした広島への想いと父祖の地の東北への想いは強いのです。
『いつの日かこの世のすべてが等しく 平和で あるように』『この美しい青い地球環境を傲慢な人間達の欲望の浅知恵から護りたい』 との願いを込めてこの記事の構成をしています。
永遠のともだち
いつも観てた地球
暗闇の中 浮かんでいた 青い船 あこがれだった地球 すごくきれいで 夢見ていた 降り立つのを どうすれば あの地球(ほし)を愛せるのかも かつて皆 知っていたんだ その魂 生まれ落ちた瞬間に すべてが光となった 僕は言葉を忘れ ただの子供に戻る (僕らは無力で、いつまでも泣いてた) ママの温もりを感じ それでも何もできずに 窓の外 蜃気楼 ゆらゆらと 揺れていた いつかの夢叶い 大地を踏みしめて 草原を 駆け抜けた でもその大地には チリが積もって 汚れていた 傷ついてた 人間達が 何度もおかわりをしつづけたまま 居座って 暴れていたよ 欲のままに 空は煙に汚れ 鳥は住処をなくし 動物はレジスタンス 人と人 殺し合う 壊れたビルのすきまで 花は命をうばわれ (青空は遠くへ、沈んでく 闇へと) 弱い立場のものから つぎつぎと消えてゆく どうすれば この地球を いやせるのかも すべて皆 知っていたんだ この魂 真新しいランドセル 背負って門をくぐった 6年前のあの春 桜が風に舞ってた (僕らは無力で、いつだって泣いてる) はじめて仲間に出会い 一緒に机をならべ この星をどうすべきか すこしずつ 思い出す みんなで給食わけて たまにはケンカをしたり はじめて誰か恋して 大人の世界にふれた (いとおしい、水の惑星) でもいつまでも忘れない この星は青い星 (永遠のともだち)
僕らは使命を果たす そのためにここにいる 浜田省吾が盟友の水谷公生とユニットFair Life を結成した時の曲が「砂の祈り」でした。
このユニットの準メムバーとして浜田省吾とは広島繋がりでユニットに参加しているポルノグラフィティの岡野昭仁とのコラボ曲の「永遠のともだち」「旅せよ若人」という曲も聴いて下さい。
因みにポルノグラフィティは広島県尾道市の近くの因島出身です。
つまりこの記事は私も含めての広島からのメッセージと言う訳ですね〜(~ )(o~ )(~o~)( ~o)( ~)。
旅せよ若人
旅立て 若人よ 君の体が 燃え盡き 灰になる前 出かけよう 知らない町 名もなき土地 旅せよ いらないもの 全部捨てて 鍵もIDカ一ドも車も全部捨てて ほんの一握りの サバイバル 知恵を 詰め込んで 飛び出せ 青い星へ 荒れた大地を 耕せ 腹が減ったら 食えるものみんな どんな物も食べて生きよ 狩人 命と命がぶつかる 生き残るために必要なものって何? この目で 今確かめたい 鳥の羽ばたきを どうして 人は 生まれた? この星の上 どうして 人に 生まれた? 時空の風の中 追いかけてくる何かを がむしゃらに振り払いながらも 前に進む それでも 拭えない何かを ここで受け止める ここに受け入れる 道は 果てしなく続いてく 旅は 果てしなく続いてく
道は 果てしなく続いてく 旅せよ若人。
冬の精神を持ち続けよ!!
「いまが困難な冬の時代だからこそ、厳しい冬の精神を持たなければならない」
上記のエドワード・サイードの言葉を贈ります。
不屈の魂が人間を人間たらしめるのだと私は信じています。 |
|
Yahoo! JAPANによって記事が削除されました。
|


