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本日は曇っているものの温かい朝でした。
準備開始時間はすこし遅かったですが、慣れてきたのか そこそこの時間で完了
9:54の国歌斉唱から 開始できました。
今日の開場を待つ人は40-50人 昨日よりは多いですね。
開場を待たれておられた若き女性が、国歌斉唱を我々の後ろで聞いていただきました。
手短に「チベット至宝展」に抗議していることを説明し、とにかく今日は展示会に入られておかしいと思われた事を、主催者にぶつけてほしい事を要請しました。

次に入場前に 熊本から来られたお母さんと大学生?らしき娘さんが天海僧正の毛髪塔前に、・・・・・本覚院の事を聞かれ  毎週のガイドのお話をしていたら、
そこに「おじ様」登場、中途半端なわが説明を根本から修正していただいて、
―上野の森の成り立ち、
―天海僧正の生い立ち
―日本の仏教伝来についての歴史
―チベット仏教と、中国仏教、の流れ
―日本の仏教の変遷
―日本の歴史の教育
   おもしろいな〜〜と思っていると、やはりこの方は 文化庁の審議会の委員の方のようです(すげ〜〜〜)。
我々が抗議している 中国政府のやっている「チベット至宝展」に対しても 十分な認識
でおはなししてくれました。  今日は リンカを 訪ねてくれる お客さんが多そう。

次に寄ってくれた中年の方 どうも「日蓮正宗」の方のようでしたが、縦板に水のように
天台宗からの日本仏教からのお話をしていただきました。
まだ 朝の時点でしたので眠たくならず、真剣にお話を聞かせていただきました。

この抗議運動を始めて、幸福なのは いろんな人と、いろんな話題でおはなしができます。
箱根のK女史はメモをつけておられますが、ふつうは右から左で その中でこれと言
つた話はこころに止めようと思いますが、難しいですね。

上野の森の住民である Yさんが久しぶりに、新しい靴をはいて登場、すこし朝から
昨日のアルコールが残っているみたいだが 元気は元気のようです。
Yさんには 「いくら夜が冷えるからと言ってアルコールで暖をとるのは 体に悪い
しまだまだ寒くないので2月3月の寒い時にこそ アルコールを取ることで、
アルコールを使わない事を 忠告はした」が、これも難しいようですね。

本日 「I LOVE TIBET」の長田氏が 法王のジャーナリストとツアーを
やられたようです。 たまたま出てこられたときに お会いさせていただき、ブログ上での
御無礼 行き違い を謝らせていただきました。 チベット問題のプラカードの前で少し立ち話を
させていただいて、当方が20回分やってきた抗議行動で 気になることを話させてい
ただきました。
本日このあと 早稲田でジャーナリストを交えてシンポジユームを予定されているとのこと。

毛髪塔前で対応されている Iさんが 「大勢のインドやらチベット人が来てます」の話。
「長田氏のツアーで来ている 法王のジャーナリスト」で納得されたようです。

今日からは 新しいプラカードが増えて 「勝谷さんのSPA」の記事の拡大と
8陣さんが作ってくれた 先日の「チベット4人 銃殺刑に対しての抗議」の2枚が
美術館の前にあがりました。

イメージ 1
プラカードに見入る 通行人、これからはいる人、見終わった人 そこで 我々に近寄ってくれて 同意、質問、同情、逆に指摘とか いろいろと草の根の方々との交流が起きています。 我々が置かれている状況は 結構 古くからの、チベット支援者からは 疎まれているようであ りますが、一般の人たちへの啓蒙 には 十分に役に立っていると、手ごたえは毎日増えてき ています。 本日の 印刷カンパは ¥5204 ありました。
イメージ 2

チベット支援者のかたに
この仏像の影に隠れた歴史はよくご存じだとおもいます。
もしこの展示会が 中立な立場で行われておれば 下記のような記述が仏像の横に
立つはずです。
今回それが立っていない現実を見ると、我々 日本人、特にチベット支援者は 
「踏み絵」を踏まされているのかもしれません。なんと残酷な事でしょう。

仏像を「美術作品」としてみる事はいいのかもしれませんが、仏像であれ、
芸術品であれ この仏像の周りで かって 12000人 のチベット人が虐殺され、今も
その人たちの霊は ノルブリンカで法王の帰庁を待っているのです。
12000人のチベット人が、死をもって守り抜いた 「法王様」、そして「仏像たち」
の事をご存じであれば、「今回上野の森美術館で 聖地チベット 天空の至宝展」の
主催者、並びに協賛者に 抗議せざるを得ないのではないでしょうか?。
抗議の方法はいろいろあります。抗議FAX,署名活動、講演会参加などあるとおもいます。
美術館前でも 毎週土曜、日曜、休日に 草の根有志が抗議活動をしています。
有志の皆さんは抗議することで、一般の方にこの展示会およびチベットの現状を伝えています。
<あるべきはずの記述>

1959 年3 月、ダライ・ラマ14 世(当時23 歳)はノルブリンカで政務を執っていたところ、中国人民解放軍から観劇の誘いを受けた。その劇は中国軍の陣地内で行われ、ダライ・ラマ14 世は護衛をつけずに一人で見に来るように要求された。ダライ・ラマが拉致されることを予感したチベット民衆たちは、1959 年3 月10 日にノルブリンカを取り囲み、中国軍に抵抗した(チベット民族蜂起)。民衆の数は数万人にのぼり、武力衝突を避けるためにダライ・ラマは暗闇に紛れノルブリンカから脱出、騎馬と徒歩でインドに亡命した。ダライ・ラマの亡命に気付かなかった中国軍はチベット民衆に発砲、およそ12000 人を虐殺、僧侶の遺体の中からダライ・ラマを探したが見つけられなかった(死者数は「チベット政治史」WDシャカッパ著、より引用)。これにより、チベット中央政府は消滅し、後にインドでチベット亡命府が発足した。

最後に 支援者の方で「講演会参加のチラシ」を配る方も、単にチラシを配るのではなく
この「至宝展」の間違っているところを十分にお話しして配っていただきたいと
おもいます。

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旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。

2009/11/9(月) 午前 8:56 [ nanking_atrocities ] 返信する

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