好きな音楽 ♪♪(邦楽)

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EXPO

TMN

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1991年にリリースされたアルバム。
TMN名義での2作目のアルバム。
NETWORK通算では8作目のアルバムである。
1曲1曲が博覧会のパビリオンのイメージを持つアルバム。レコーディングしていたスタジオの窓から月が見え、グランドピアノのあるスタジオに月明かりが照らされていた風景を見て「月とピアノ」という裏テーマが生まれた。





EXPO
発売日:1991年9月5日
ジャンル:Jポップ、ハウス、フォーク、へヴィメタル、ハードロック
プロデュース:小室哲哉
*オリコンチャート1位




[Love Train]






「Love Train(Club Mix)」本アルバムに収録するためのリミックスされたバージョンであったが、TMNの最大のヒットとなったために、シングルバージョンでの収録に急遽差し替えられた。このため、「Love Train(Club Mix)」は本アルバムの購入者特典として、1曲のみ収録のCDシングルとしてプレゼントされ、長い間、幻のバージョンとされていた。
また、本アルバムに収録されている「Crazy for you」では伊集院光の笑い声をサンプリングしている。
ところで、何故「EXPO」というものを取り上げた理由は二つある。
一つ目は、youtubeでのTMの動画は多く存在すること。二つ目は自分がTMのアルバムを持っている中でも「EXPO」がわりと好きだからというもの。(TIME CAPSULEなど他のものはまた別の機会に取り上げたいと思う。)





[あの夏を忘れない]






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[We Love The Earth]

平松愛理

平松愛理

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1989年、シングル「青春のアルバム」とアルバム「TREASURE」でポニー・キャニオンよりソロデビュー。
1992年にシングルカットした「部屋とYシャツと私」で大ブレイクした。
また他の歌手に対する楽曲の提供活動も行っている。




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平松愛理
本名:平松絵里
出生日:1964年3月8日
出身地:兵庫県
ジャンル:Jポップ
職業:シンガーソングライター




[Single is Best!?]





平松はデビュー当時から自分の持っている病気と毎日闘い続けたという。。
2002年には乳癌を自ら公表し活動も休止した。
2004年に歌手活動を再開するとともに、闘病手記「部屋とYシャツと(私の真実)」も上梓した。これ以外にも雑誌、新聞にエッセーを執筆している。
また、平松自身が自らの故郷である神戸(阪神淡路大震災)の記憶を風化させまいとチャリティーライブなども行っていた。





[素敵なルネッサンス]






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[部屋とYシャツと私]

広瀬香美

広瀬香美

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4歳からピアノ、そして5歳から作曲を習い始める。幼少期から和声学などクラシック音楽の作曲法を学ぶ。第1号作品を作曲したのは6歳で、タイトルは「パパとママ」である。
初めて買ったレコードはバッハの「マタイ受難曲」。この作品には作曲法が詰まっていて作曲のルールを見につけるための勉強になるからという先生からの教えで夕食中などにも聴き続けていた。
小中学生の頃が自身の作曲家人生のピークだったと本人が語っている。日夜、夢の中でもひたすらメロディーを考え、頭の中に浮かべ続けていたという。
新しいメロディーが浮かぶとその場ですぐ紙に五線譜を書いてメモを取っていた。広瀬香美の作品として発表している楽曲の中にこの当時に作成したメロディーを使っていることも多い。当人の楽曲にはなぜメロディーの起伏が激しいものが多いかというと、元々人が歌うためのものではなく、ピアノやバイオリンなどの楽器のために書いていた曲だったからである。




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広瀬香美
出生日:1966年4月12日
出身地:福岡県
血液型:O型
ジャンル:Jポップ
職業:シンガーソングライター




[ロマンスの神様]





ポップ・ミュージックの勉強をしながらLAに滞在していたときに、マイケル・ジャクソンのヴォイストレーナーである、セス・リグス氏のオーディションを受ける。そこでマイケルに少しでも近づくために、作曲やプロデュースの勉強もさせてくれないかと直訴した。結果、歌ものの曲を書きたいのならヴォーカルトレーニングも受けておくことを勧められ、東洋人で初めての合格者となり約3年間講師する。トレーニング修了後、ロサンゼルス在住の日本人ギタリスト平野T.Jヨーイチ氏と出会い、デビューに向けてデモテープを制作した。
帰国後の1992年7月、アルバム「Bingo!」でビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)からデビュー。
その後「ロマンスの神様」などが大ヒットし、さらにその後もヒット曲を連続して出し続けた。





[ゲレンデがとけるほど恋したい]





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[Promise]





なお補足だが、冬にヒットする曲が多いことから「冬の女王」とも呼ばれていたが、そんなことはない。
本人もそんな意識はないという。
そして、作曲に関しては夏の曲も書いており、広末涼子などに提供したこともある。

あみん

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あみん

岡村孝子は1962年生まれの愛知県出身。
加藤晴子は1963年生まれの同じく愛知県出身。
同じ大学の同級生として知り合った2人は意気投合してヤマハの作曲・編曲教室に通うようになる。そして、ヤマハのポピュラー・ソング・コンテスト(通称:ポプコン)への出場を決め結成したデュオが「あみん」。




待つわ





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琥珀色の想い出





ユニット名の由来は、さだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から取ったものらしい。
当時の岡村孝子は可愛いかったなぁ〜。。。。
(今でも綺麗な人だけど。)




ペパーミントの香り

倉木麻衣

倉木麻衣

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1999年に17歳でリリースしたデビューシングル「Love,Day After Tommorrow」が売上140万枚の大ヒットとなり、一気に人気アーティストとなった。立て続けにシングルもヒットし、めざましい活躍を見せた。
倉木がデビューした1999年の日本業界は小室哲也を頂点とするいわゆるコムロファミリーの勢力が落ち込み宇多田ヒカルなどのR&Bの全盛期でもあった。





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倉木麻衣
出生日:1982年10月28日
出身地:千葉県
血液型:B型
ジャンル:R&B、Jポップ





Secret of my heart






倉木はデビュー当時より地上波のテレビ番組に出演することは好まない歌手に含まれる。
しかし、デビュー当時から比べると地上波への出演は増加している。
立命館大学の入学式では、インタビュー無しの写真撮影のみだったのに対して、卒業式には倉木自身がインタビューに答えている。
また、地上波以外への出演は比較的多い。
アルバムなどの発売に合わせてラジオや雑誌に多く出演したりというもの。





Reach for the sky






当時のR&Bのブームもあったのもあってか、デビュー成功に至るところもあるのだろうが、倉木の本物志向の響くような歌唱法は素晴らしい☆
また、全ての作品において倉木は作曲を一切せず、作曲家の曲の提供を受けている。
大野愛果が約半分を作曲している。





Time after time
〜花舞う街で〜






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Simply Wonderful

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