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好きな音楽 ♪♪(邦楽)
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自分の好きな音楽やアーティストの情報や、youtubeから動画をチョイスしたものを保存する書庫です。

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広瀬香美4歳からピアノ、そして5歳から作曲を習い始める。幼少期から和声学などクラシック音楽の作曲法を学ぶ。第1号作品を作曲したのは6歳で、タイトルは「パパとママ」である。 初めて買ったレコードはバッハの「マタイ受難曲」。この作品には作曲法が詰まっていて作曲のルールを見につけるための勉強になるからという先生からの教えで夕食中などにも聴き続けていた。 小中学生の頃が自身の作曲家人生のピークだったと本人が語っている。日夜、夢の中でもひたすらメロディーを考え、頭の中に浮かべ続けていたという。 新しいメロディーが浮かぶとその場ですぐ紙に五線譜を書いてメモを取っていた。広瀬香美の作品として発表している楽曲の中にこの当時に作成したメロディーを使っていることも多い。当人の楽曲にはなぜメロディーの起伏が激しいものが多いかというと、元々人が歌うためのものではなく、ピアノやバイオリンなどの楽器のために書いていた曲だったからである。 広瀬香美 出生日:1966年4月12日 出身地:福岡県 血液型:O型 ジャンル:Jポップ 職業:シンガーソングライター
ポップ・ミュージックの勉強をしながらLAに滞在していたときに、マイケル・ジャクソンのヴォイストレーナーである、セス・リグス氏のオーディションを受ける。そこでマイケルに少しでも近づくために、作曲やプロデュースの勉強もさせてくれないかと直訴した。結果、歌ものの曲を書きたいのならヴォーカルトレーニングも受けておくことを勧められ、東洋人で初めての合格者となり約3年間講師する。トレーニング修了後、ロサンゼルス在住の日本人ギタリスト平野T.Jヨーイチ氏と出会い、デビューに向けてデモテープを制作した。 帰国後の1992年7月、アルバム「Bingo!」でビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)からデビュー。 その後「ロマンスの神様」などが大ヒットし、さらにその後もヒット曲を連続して出し続けた。
なお補足だが、冬にヒットする曲が多いことから「冬の女王」とも呼ばれていたが、そんなことはない。 本人もそんな意識はないという。 そして、作曲に関しては夏の曲も書いており、広末涼子などに提供したこともある。 |

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あみん岡村孝子は1962年生まれの愛知県出身。加藤晴子は1963年生まれの同じく愛知県出身。 同じ大学の同級生として知り合った2人は意気投合してヤマハの作曲・編曲教室に通うようになる。そして、ヤマハのポピュラー・ソング・コンテスト(通称:ポプコン)への出場を決め結成したデュオが「あみん」。
ユニット名の由来は、さだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から取ったものらしい。 当時の岡村孝子は可愛いかったなぁ〜。。。。 (今でも綺麗な人だけど。)
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倉木麻衣1999年に17歳でリリースしたデビューシングル「Love,Day After Tommorrow」が売上140万枚の大ヒットとなり、一気に人気アーティストとなった。立て続けにシングルもヒットし、めざましい活躍を見せた。 倉木がデビューした1999年の日本業界は小室哲也を頂点とするいわゆるコムロファミリーの勢力が落ち込み宇多田ヒカルなどのR&Bの全盛期でもあった。 倉木麻衣 出生日:1982年10月28日 出身地:千葉県 血液型:B型 ジャンル:R&B、Jポップ
倉木はデビュー当時より地上波のテレビ番組に出演することは好まない歌手に含まれる。 しかし、デビュー当時から比べると地上波への出演は増加している。 立命館大学の入学式では、インタビュー無しの写真撮影のみだったのに対して、卒業式には倉木自身がインタビューに答えている。 また、地上波以外への出演は比較的多い。 アルバムなどの発売に合わせてラジオや雑誌に多く出演したりというもの。
当時のR&Bのブームもあったのもあってか、デビュー成功に至るところもあるのだろうが、倉木の本物志向の響くような歌唱法は素晴らしい☆ また、全ての作品において倉木は作曲を一切せず、作曲家の曲の提供を受けている。 大野愛果が約半分を作曲している。
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