常長は藩主伊達政宗公の命により遠くスペイン・ローマへ通商交渉のため慶長18年(1613)秋牡鹿郡月の浦を出港。7年の歳月をついやして元和6年(1620)秋帰朝したが、時既に鎖国と切支丹弾圧が全国に強行されていた。 仙台藩は元和8年常長死亡の報告を幕府に提出したが、長途の困難な使命を果たした功臣常長を人目に触れないこの山林の中に隠し静かな余生を送らせた。 帰朝後30年承応3年2月常長は84歳の天寿を全うした。以来、支倉別家で常長の義弟新右衛門家中の者が代々堅く世に秘して墓をまもってきたものである。
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写真(伊達関連)
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支倉六右衛門常長、藩主伊達政宗公の命により遣欧使節として慶長18年、月の浦を出帆。使命遂行8か月の苦難を経て元和6年帰朝。 時に切支丹禁制の時期に当たり、当地成田村に隠棲、元和8年52歳病死と報じるも実は承応3年当地成田村山中の隠棲にて84歳の寿を保ち永眠した。 この縁由によりこの像を建てる。 |
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