小説の館

【星の瞬き】近いうちに必ず☆

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 指先でくるくる鉛筆を回しては小さく溜息をつき、今度は開け放たれた窓外に浮かんだ初夏の入道雲に

目をやる。その繰り返し。それでも少女の憂鬱な気分は解消されなかった。
 
 六時間目の授業は国語だった。坂井教諭は来週に迫った学力テストに備え、漢字の書き取りにほとんど

の時間を割いていた。もとから少女は暗記が得意だった。一度覚えたものはすべて、たとえば漢字や英単

語、あるいは歴史上の出来事や年号、そして数学や理科に出てくる数式などを記憶の引き出しから自由自

在に出し入れすることができたのだ。ところがこの二週間というもの少女は勉強に集中できなくなってい

た。あれほどむさぼるように吸収し記憶していた知識や経験という情報を大脳が受け付けなくなっていた

のだ。それは読み書きしたばかりの言葉の羅列が頭の中で勝手に文字化けしてしまうようなある種の気持

ち悪さをともない、少女は何度も吐き気を覚えた。いまにして思えばこれらの異変はあのさくらんぼ狩り

のすぐ後ぐらいから始まっていたのだ。記憶のないまっさらの状態から少しずつ構築してきた自我という

形が足下から音をたてて崩れていくような恐怖を感じ、少女はもっとも自分を理解してくれている進藤由

真に相談したことがあった。

「菜月それはヤバイよ。お前があまりに気にしていたから、霊が憑いたんじゃないのか」

 進藤由真の表情に冗談を言っているような雰囲気は微塵もなかった。

「霊って、まさかあの父娘のことを言ってるの?」  

「そうさ、だってほかに説明がつかないじゃないか」

 でも……と言ったきり少女は口籠もった。

 たしかに帰りの新幹線で通路に立つ霊のような人影を見たと言ったのは少女だった。のざわ農園近くで

道に迷ったとき、あの不思議な老人の背後に強い気配を感じたのも、おそらく少女だけだった。それでも

少女は霊を信じてはいなかった。少女にとって霊とは夢や妄想の中でじっと息をひそめている陰のような

存在であり、ふと何かのきっかけで、ちょうど既視感を覚えるような感覚で想起される幻覚の一種だと思

っていたからだ。

 終了を告げるチャイムの音が鳴り、少女は救われたような気がした。坂井教諭が退室するやいなや少女

は机に伏して目を固く閉じた。悶々とした仄白い空間にうごめく人影が見えていた。正確に言うなら人か

どうかも分からない曖昧な輪郭をした生き物のようだった。

「菜月ちゃん。どうかしたの?」
 
 ゆっくり頭をもたげると田尻ゆかりが立っていた。少女は夢のような気分でふわっとした笑みを浮かべ

て彼女を見つめ返した。

 あの教室籠城騒動からすぐ、週に一度朝のホームルームを使って記憶の想起をテーマにした討論会をし

ようと提案したのは田尻ゆかりだった。すでに彼女は学級委員長の新田尚美と話し合い内容を詰めてい

た。もちろん桑井俊治も乗り気になり、担任の伊藤を説き伏せた。討論会は全部で三度ほど行われたが、

時間も限られていたこともあり健忘の種類や記憶を取り戻した事例を二件報告しただけで終わった。少女

の記憶想起という突っこんだ内容までは至らなかったのだ。討論の最中、進藤由真はいっさい意見を出し

てこなかった。C組の影のリーダーである柳田聖弥でさえも。

「ううん。大丈夫、ちょっと眠くなっただけだから」

 応える代わりに口許をほころばせて田尻ゆかりは振り向いた。

 少女もつられたようにその方向に目をやると宮本理江と新田尚美が仲良く並んで何やら紙を広げてい

る。その肩越しに桑井俊治が腕を組み覗き込んでいた。

「菜月。うち、用事あるから先に帰るぞ」

 進藤由真は少女の肩をぽんと叩きそそくさと教室を出て行く。 

 ここ数日はこんな調子だった。遊びに行くふうでもなく、たとえば塾とか習い事などに行きだしたわけ

でもなさそうだ。少女が尋ねても家の用事と言ってかわされてしまうのだ。

「進藤さん変わったね。入学した当時の不良ぽい突っ張ったところがすっかり無くなったばかりか、あれ

ほど菜月ちゃんにべったりだったのに、今じゃまるで感心がないように見えるよもんね」

 田尻ゆかりは後部扉に目をやったがすでに進藤由真の姿はなく、まるで寝起きのようにぼんやりしてい

る少女を見下ろして、菜月さんもそうよ―と素っ気なく言った。

 すぐに自分がそう言われたことに気づかず、僅かな沈黙のあと、少女は田尻ゆかりを見上げてかすかに

首を傾げた。

「菜月さん前から取っつきにくいっていうか、おとなしいキャラだったけど、授業中なんか頭脳明晰です

ごく聡明な印象があったじゃない。だからクラスの誰もが記憶喪失だなんて思ってもみなかった。それが

みんなに知れた途端、本当に記憶が無くなっちゃったみたいに、いつもどこか物思いに耽ってるでしょ。

授業中、先生にあてられてもすぐに答えられなかったりするものだから、記憶喪失が進行したんじゃない

かってみんなが噂してる」

 少女は何と言っていいのか分からなかった。自分のことなのにうまく説明することができないもどかし

さのせいで唇を噛んだ。

「あたしね、結構マジで調べたんだ。どの専門書を読んでも全生活史健忘って不治の病じゃないって書い

てあった。たとえばそう、何か一つの事柄さえ思い出せれば大脳に眠っていた記憶が徐々に想起されるん

だって。つまり記憶は削除されたわけじゃなくて、閉じたままの引き出しに仕舞ってあるだけなんだよ。

ただね、どうしても思い出したくない記憶があったりすると、そこの回路が断線して記憶が連鎖されずに

滞ってしまうみたい」

 田尻ゆかりの話はカウンセラーから聞かされた内容に等しいものだった。その場合、自我が無意識のう

ちにひた隠しする記憶を呼び起こす催眠療法という方法があるとも聞いていた。ただ少女のように人生経

験も浅く、まだ幼い患者の場合は、想起された記憶の重さに堪えきれずに代償として精神障害を引き起こ

す危険があるとも言われていた。それゆえ多賀子も躊躇し、もう少し普段通りの生活をさせて様子を見よ

うということになった。

「わたしも先生から聞いたことがある。でも田尻さん、本当によく知ってるんだね」

 田尻ゆかりははにかむような少女の笑顔に思わず引き込まれそうになり息を呑んだ。

「どうかしたの?」

「ううん、ごめんね。菜月さんさえよければ、うちらちょっと試してみたいことがあるんだけど、協力し

てもらえるかな?うまくいけば失った記憶を取り戻せるかも知れないし」

 そう言いながらも田尻ゆかりは少女を見ていなかった。新田尚美たちが気になるらしく、落ち尽きなく

背後に目をやり何かを待っている様子だ。

「理江まだ?本当にうまくいくんだよね。菜月さんに話しちゃうからね」
 
 焦れたように田尻ゆかりが声を掛けたとき三人がいっせいに喚声を上げた。

 桑井俊治がすんげえーと大袈裟な声を上げ、新田尚美が信じられなーい!と続き、宮本理江はあたしや

っぽり霊感強いかも―と自画自賛してはしゃいでみせた。

 少女はわけが分からず不安げに田尻ゆかりの口許を見つめた。

「ねえ菜月さん、コックリさんっていう占い知ってる?」

 少女は刹那目線を宙に泳がせたあと、訝るようにかぶりを振った。その言葉にはどことなく霊的な意味

が含まれているような気がした。背中に悪寒がしたが精一杯の微笑をつくって我慢した。

 最後列のちょうど真ん中あたり、宮本理江が使っている机の前に少女は座らされた。

 机上にはB四判くらいの印刷された紙が置かれ、少女は一目見るなり今しがた田尻ゆかりから聞いた占

いに使うものだと分かった。まず目を引くのが中央上部に鎮座する赤い鳥居の絵だった。その右側には

男、はい、と書かれ、左側にはその対語である女、いいえと書いてある。その下には中学生にもなり滅多

に見ることもなくなったひらがなの五十音図がびっしり書かれ、その下には〇から九までの漢数字が並ん

でいた。
                                        第二話へつづく

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読みました!!久しぶりの更新だね〜
また次回も楽しみに待ってます(・ω・)

2008/5/1(木) 午後 7:47 AYU

ありがとう☆
次回もよろしくねっ☆

2008/5/1(木) 午後 8:31 yos*i8*94



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