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「ねえ理江。さっき使った十円玉も取り替えたほうがいいんじゃないの」 新田尚美は顔をしかめてそう言った。 少女の右隣りにすとんと腰掛けた宮本理江はやけに使い古した十円玉を取り上げ、憂えるように新田尚 美を見上げる。 「そうだよね。この紙も一回限りで処分するように書いてあるし、きっと替えたほうがいいよね」 無意識なのか宮本理江は下唇を尖らせてふっと息を吐き、ポニーテールの前髪が揺れた。 少女には何のことかさっぱり分からず、不安げに図表に目を落としていると、田尻ゆかりが少女の左隣 にある椅子を引いて座ってきた。別に驚かすつもりはなかったのだろうが、あまりにそっと気配もなくや って来たせいで、その瞬間みんなの顔色が変わったような気がした。 「菜月さん、これは究極の神頼みなんだ。つまり菜月さんの本名をコックリさんに占ってもらうの。名前 さえ分かればあなたの家族や素性を知る重要な手掛かりになるでしょう?」 宮本理江はいかにもコックリさんを信じているような口ぶりでそう言った。 この図表は小学六年生になった彼女の弟が、去年の臨海学校のときに同級生から譲り受けたものだっ た。恐がりな同級生はコックリさんの意味も分からず悪戯好きな兄から占いゲームと言われて、一〇枚つ まり一〇回分をプレゼントされたらしい。捨てるに捨てられずこの機会にやっかいな図表を処分しようと したのだろう。実際に弟たちは臨海学校の最後の夜に一度だけ試したそうだが、うまくいかなかったよう だ。 「学校でやるのはさっきがはじめてだったんだけど、これまで塾の先輩の家で二回やったの。信じられな いけど、占いがことごとく当たったんだよ。お告げ通りに忘れ物を探してみたら次々と見つかるし、先輩 の彼氏の名前ばれちゃうし、まさか分かるはずないと思って訊いたんだけど、塾の模擬テストでワースト だった子の名前と点数まで当たったのには驚いた」 「理江何それ?テストの点だなんて、しかもビリの子が誰かなんてどうやって確認したのよ」 田尻ゆかりは白い頬をまっ赤にして大笑いした。暫時緊張の糸が緩んだような気がした。 「わたしも超びっくりっていうか、まじあり得ないよーって感じ。だって十円玉がすーと動き出してひら がなの上を何度も移動するんだもん。ところで理江?最後の占いは何て出たんだっけ」 新田尚美はそう言いながらずるずると椅子を引っぱり少女と向き合うように座った。 「学級委員長がそんな無関心じゃだめだじゃん。ではもうひとりの委員長、占い結果をどうぞ」 「ここで言っちゃっていいものかどうか……柳田聖弥が好きな子なんだけど……あの、進藤由真でした! マジであり得ないと思ったけど、それがコックリさんのお告げなんだよね」 みんなの様子を遠巻きに見ていた桑井俊治が怖気を振るうようにぼそりと言った。霊的な雰囲気がどう も苦手らしく、彼は参加せず廊下で見張りをすると言い出した。 「進藤さんがどう思うか別にして、あたしはお似合いだと思うよ。菜月さんはどう思う?」 少女ははっとして田尻ゆかりを見つめた。あのさくらんぼ狩りからずっと心に引っ掛かっていた、あた しの秘密はあとひとつだから―という進藤由真の言葉。最近やけによそよそしくなり、放課後も速攻で帰 ってしまう彼女の行動と何か関係があるような気がした。 よく分からないけど、そうなのかな―とだけ言い少女は図表に目を落とした。 「菜月さんはそうやっていつもとぼけるけるんだから。ぜったい何か隠してるでしょ」 田尻ゆかりは声を荒げた。 「ゆかり、諍いはあとにして。コックリさんが怒り出すよ」 新田尚美はそうぴしゃりと言って宮本理江に目配せした。 「そうそう、尚美の言う通りだよ。じゃあもう一度確認するよ。コックリさんのこと少しでも疑ったり、 馬鹿にするような真似は絶対しないでね。たたられたって知らないから」 おそらく畏怖に満ちた宮本理江の眼差しを見た全員が固唾を呑んだ。もちろん誰ひとり異議を唱えるこ とはしなかった。少女に至ってはこれから自分のことを占うというのに、意見を言う機会さえ与えられな かった。仮に意見を求められても困惑するだけだったであう。そもそもすでに段取りができている状況で はまさか怖いから止めようとも言い出せるはずがなかった。 「菜月さんはじめてだろうだから、占いの段取りを説明するね。まずこの十円玉にあたしが人差し指を置 きます。次に菜月さんも同じように置いてください。分かるよね?」 宮本理江はそう言ってポケットから取り出した十円玉を慎重に赤い鳥居の上に置いた。 「うん。わたしも人差し指でいいんだよね」 少女は顔の前に立てた自分の人差し指を見つめながら訊いた。 「そう。少し窮屈だけど、尚美とゆかりも同じようにするから。簡単でしょ?」 少女は顎を引くように頷いた。こんなにも神経質そうな宮本理江を見たことはなかった。それだけこの 占いの儀式には畏怖の念を覚えさせる力があるのだと思った。 「準備ができたら、いよいよあたしがコックリさんを呼びます。もし来てくれたら、そのしるしに十円玉 が “ はい ”のところに移動します。次にあたしが質問させてくださいって言うから、そうしたら菜月 さんは、わたしの本名を教えて下さいってお願いするのよ」 え、わたしが?―少女はひどく困惑した。そのコックリさんという霊のような存在に自分が直接話しか けるとは思ってもみなかった。うまく訊けるだろうか。口籠もって声が出せなかったらどうしようと不安 でいっぱいになった。 「それじゃあ悪いけど、おれ廊下にいるから」 桑井俊治はそう言い残し、まず前方の扉を閉めに行き、すぐさま逃げるように後方の出入り口に向かい 廊下に出て後ろ手にそっと扉を閉めた。 心なしか教室が薄暗くなったような気がした。さすがに室内の蛍光灯が消してあったとはいえ、陽はま だ高く、いつもなら眩しい斜光が校舎を照りつけている時間帯だった。少女は不思議そうに窓に目をやっ た。するとさっきまでの澄んだ空色は手が届きそうなくらい低く立ちこめた鉛灰色の乱層雲に覆い隠され ていた。体育館が見える後方の窓ガラスだけが開いていた。少女が不安げに見ていると、そこがコックリ さんの通り道になるのだと宮本理江が説明してくれた。 「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたらどうぞこちらへおいで下さい」 宮本理江は同じリズムで繰り返し三度ほどそう言った。 彼女の言葉には厳かで畏敬に満ちた響きがあった。ちょうど夏休みの夜の公園や、小六の修学旅行先の 宿で話した怖い話の語り口のような、まさにそんな感じだった。 鳥居の上に置いた十円玉には四人の人差し指が乗っている。田尻ゆかりの指先が小刻みに震えていた。 少女はただ懸命に何が起こってもぜったい指を離さないことだけに意識を集中していた。途中で指を離し たものは呪い死ぬと聞かされていたからだ。宮本理江は霊の気配を窺っていた。きっとコックリさんは来 てくれるだろうと信じ、その瞬間だけに神経を研ぎ澄ませていたのだ。だが新田尚美だけは別の思いがあ った。少女の名前が分かった後にもう一つの質問を用意してしたのだ。少年、つまり野澤純一は誰が好き なのか―である。 校舎全体が静謐な空気に呑み込まれたように静まり返っていた。いつもなら野球部員たちの呼号や金属 バットの甲高い音などが校舎の中にまで反響してくるはずなのに、この日に限って野球部は練習試合のた めに留守だった。 誰もが息を殺してコックリさんの降霊を待っているところに、カタカタ、カタカタと堅いものが当たる ような音が外で鳴り、しまいに突風に煽られたのか、何か大きな物が倒れる音とともにカランカランカラ ン!と巨大な金属製の筒が転がるような音が響いた。 とっさに新田尚美が窓の方を振り返り、ほかの三人も続いた。しかしその場所からでは校庭の様子を見 ることはできなかった。 「来た!」 そう唐突に声を上げた宮本理江は目に見えない大きな掌で机に押さえつけられているような圧力を感 じ、ほかの三人は氷柱の杭を打ち込まれたように全身が凍り付いた。 ついいましがたコックリさんをやったばかりの新田尚美はある異変に気づいていた。それは十円玉に置 いた指先に感じる得体の知れないエネルギーだった。指先の接点は火を噴くくらいに熱を帯び、すぐにで も異次元の彼方まで連れて行かれるのではないかとさえ思った。全身が総毛立ち、焦点が定まらずに目が 宙を泳いだ新田尚美を気遣うように宮本理江は言う。 「尚美大丈夫?尚美は気づいたみたいだけど、今回の霊はヤバイかも。もの凄い霊気を感じるんだ」 どこか嬉しそうにそう話す宮本理江を見た少女はショックで心臓が飛び出しそうになった。彼女の顔は まさしく狐の形相をしていたのだ。まるで狐の霊が憑依したかのように。 「コックリさん、コックリさん、いらっしゃいましたら “ はい ”へお進み下さい」 すると四人の指を乗せた十円玉は目にも留まらぬ速さでまるで宙を飛ぶように動いた。それ自体が意思 を持った、あるいは恐ろしく強靱な力に操られたかのように、十円玉は “ はい ”の文字上にとどまっ てはいるが、すぐにでも動き出したいとうずうずしているようだ。 「コックリさん、コックリさん、教えてください。お願いします、教えてください」 少女は自分が質問をするという約束事を忘れ、すっかり狐顔になった宮本理江の呪文を唱えるような口 許を見入っていた。相変わらず新田尚美の視線は落ちつきなく方々をさまよい続け、田尻ゆかりは想像を 絶する恐怖に心臓を鷲づかみされたようで生気を失いつつあった。 最終話へつづく
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指先でくるくる鉛筆を回しては小さく溜息をつき、今度は開け放たれた窓外に浮かんだ初夏の入道雲に 目をやる。その繰り返し。それでも少女の憂鬱な気分は解消されなかった。 六時間目の授業は国語だった。坂井教諭は来週に迫った学力テストに備え、漢字の書き取りにほとんど の時間を割いていた。もとから少女は暗記が得意だった。一度覚えたものはすべて、たとえば漢字や英単 語、あるいは歴史上の出来事や年号、そして数学や理科に出てくる数式などを記憶の引き出しから自由自 在に出し入れすることができたのだ。ところがこの二週間というもの少女は勉強に集中できなくなってい た。あれほどむさぼるように吸収し記憶していた知識や経験という情報を大脳が受け付けなくなっていた のだ。それは読み書きしたばかりの言葉の羅列が頭の中で勝手に文字化けしてしまうようなある種の気持 ち悪さをともない、少女は何度も吐き気を覚えた。いまにして思えばこれらの異変はあのさくらんぼ狩り のすぐ後ぐらいから始まっていたのだ。記憶のないまっさらの状態から少しずつ構築してきた自我という 形が足下から音をたてて崩れていくような恐怖を感じ、少女はもっとも自分を理解してくれている進藤由 真に相談したことがあった。 「菜月それはヤバイよ。お前があまりに気にしていたから、霊が憑いたんじゃないのか」 進藤由真の表情に冗談を言っているような雰囲気は微塵もなかった。 「霊って、まさかあの父娘のことを言ってるの?」 「そうさ、だってほかに説明がつかないじゃないか」 でも……と言ったきり少女は口籠もった。 たしかに帰りの新幹線で通路に立つ霊のような人影を見たと言ったのは少女だった。のざわ農園近くで 道に迷ったとき、あの不思議な老人の背後に強い気配を感じたのも、おそらく少女だけだった。それでも 少女は霊を信じてはいなかった。少女にとって霊とは夢や妄想の中でじっと息をひそめている陰のような 存在であり、ふと何かのきっかけで、ちょうど既視感を覚えるような感覚で想起される幻覚の一種だと思 っていたからだ。 終了を告げるチャイムの音が鳴り、少女は救われたような気がした。坂井教諭が退室するやいなや少女 は机に伏して目を固く閉じた。悶々とした仄白い空間にうごめく人影が見えていた。正確に言うなら人か どうかも分からない曖昧な輪郭をした生き物のようだった。 「菜月ちゃん。どうかしたの?」 ゆっくり頭をもたげると田尻ゆかりが立っていた。少女は夢のような気分でふわっとした笑みを浮かべ て彼女を見つめ返した。 あの教室籠城騒動からすぐ、週に一度朝のホームルームを使って記憶の想起をテーマにした討論会をし ようと提案したのは田尻ゆかりだった。すでに彼女は学級委員長の新田尚美と話し合い内容を詰めてい た。もちろん桑井俊治も乗り気になり、担任の伊藤を説き伏せた。討論会は全部で三度ほど行われたが、 時間も限られていたこともあり健忘の種類や記憶を取り戻した事例を二件報告しただけで終わった。少女 の記憶想起という突っこんだ内容までは至らなかったのだ。討論の最中、進藤由真はいっさい意見を出し てこなかった。C組の影のリーダーである柳田聖弥でさえも。 「ううん。大丈夫、ちょっと眠くなっただけだから」 応える代わりに口許をほころばせて田尻ゆかりは振り向いた。 少女もつられたようにその方向に目をやると宮本理江と新田尚美が仲良く並んで何やら紙を広げてい る。その肩越しに桑井俊治が腕を組み覗き込んでいた。 「菜月。うち、用事あるから先に帰るぞ」 進藤由真は少女の肩をぽんと叩きそそくさと教室を出て行く。 ここ数日はこんな調子だった。遊びに行くふうでもなく、たとえば塾とか習い事などに行きだしたわけ でもなさそうだ。少女が尋ねても家の用事と言ってかわされてしまうのだ。 「進藤さん変わったね。入学した当時の不良ぽい突っ張ったところがすっかり無くなったばかりか、あれ ほど菜月ちゃんにべったりだったのに、今じゃまるで感心がないように見えるよもんね」 田尻ゆかりは後部扉に目をやったがすでに進藤由真の姿はなく、まるで寝起きのようにぼんやりしてい る少女を見下ろして、菜月さんもそうよ―と素っ気なく言った。 すぐに自分がそう言われたことに気づかず、僅かな沈黙のあと、少女は田尻ゆかりを見上げてかすかに 首を傾げた。 「菜月さん前から取っつきにくいっていうか、おとなしいキャラだったけど、授業中なんか頭脳明晰です ごく聡明な印象があったじゃない。だからクラスの誰もが記憶喪失だなんて思ってもみなかった。それが みんなに知れた途端、本当に記憶が無くなっちゃったみたいに、いつもどこか物思いに耽ってるでしょ。 授業中、先生にあてられてもすぐに答えられなかったりするものだから、記憶喪失が進行したんじゃない かってみんなが噂してる」 少女は何と言っていいのか分からなかった。自分のことなのにうまく説明することができないもどかし さのせいで唇を噛んだ。 「あたしね、結構マジで調べたんだ。どの専門書を読んでも全生活史健忘って不治の病じゃないって書い てあった。たとえばそう、何か一つの事柄さえ思い出せれば大脳に眠っていた記憶が徐々に想起されるん だって。つまり記憶は削除されたわけじゃなくて、閉じたままの引き出しに仕舞ってあるだけなんだよ。 ただね、どうしても思い出したくない記憶があったりすると、そこの回路が断線して記憶が連鎖されずに 滞ってしまうみたい」 田尻ゆかりの話はカウンセラーから聞かされた内容に等しいものだった。その場合、自我が無意識のう ちにひた隠しする記憶を呼び起こす催眠療法という方法があるとも聞いていた。ただ少女のように人生経 験も浅く、まだ幼い患者の場合は、想起された記憶の重さに堪えきれずに代償として精神障害を引き起こ す危険があるとも言われていた。それゆえ多賀子も躊躇し、もう少し普段通りの生活をさせて様子を見よ うということになった。 「わたしも先生から聞いたことがある。でも田尻さん、本当によく知ってるんだね」 田尻ゆかりははにかむような少女の笑顔に思わず引き込まれそうになり息を呑んだ。 「どうかしたの?」 「ううん、ごめんね。菜月さんさえよければ、うちらちょっと試してみたいことがあるんだけど、協力し てもらえるかな?うまくいけば失った記憶を取り戻せるかも知れないし」 そう言いながらも田尻ゆかりは少女を見ていなかった。新田尚美たちが気になるらしく、落ち尽きなく 背後に目をやり何かを待っている様子だ。 「理江まだ?本当にうまくいくんだよね。菜月さんに話しちゃうからね」 焦れたように田尻ゆかりが声を掛けたとき三人がいっせいに喚声を上げた。 桑井俊治がすんげえーと大袈裟な声を上げ、新田尚美が信じられなーい!と続き、宮本理江はあたしや っぽり霊感強いかも―と自画自賛してはしゃいでみせた。 少女はわけが分からず不安げに田尻ゆかりの口許を見つめた。 「ねえ菜月さん、コックリさんっていう占い知ってる?」 少女は刹那目線を宙に泳がせたあと、訝るようにかぶりを振った。その言葉にはどことなく霊的な意味 が含まれているような気がした。背中に悪寒がしたが精一杯の微笑をつくって我慢した。 最後列のちょうど真ん中あたり、宮本理江が使っている机の前に少女は座らされた。 机上にはB四判くらいの印刷された紙が置かれ、少女は一目見るなり今しがた田尻ゆかりから聞いた占 いに使うものだと分かった。まず目を引くのが中央上部に鎮座する赤い鳥居の絵だった。その右側には 男、はい、と書かれ、左側にはその対語である女、いいえと書いてある。その下には中学生にもなり滅多 に見ることもなくなったひらがなの五十音図がびっしり書かれ、その下には〇から九までの漢数字が並ん でいた。
第二話へつづく |
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「ジュンちゃん!面倒だからみんなまとめて連れて来たよ!」 |
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JR恵比寿駅周辺はもともとアダルトな街という印象があったが、さすがに渋谷のよう |
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「菜月ちゃん。進藤さんたちも気づいてくれたみたいだよ」 |



