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昨日の「笑っていいとも」に、 「トイレの神様」のシンガーソングライター:植村花菜さんが出演。 話題の「トイレの神様」のサビの部分を、ギターの弾き語りを生で披露。 皆さんもうすでに、この「トイレの神様」はご存知ですよね。 私がこの「トイレの神様」を知ったのは、ブログ友のHTさんからです。 今年の4月ごろ。 2・3月には既に巷で話題になっていたそうです。 有線放送やラジオでの放送が多いせいか、映像で歌っているのをあまり見ませんが、昨日のTVで生(スタジオに入っていませんが)で見ました。 植村花菜、かわいいですね。 『トイレの神様』 2010年 第43回日本有線大賞有線音楽優秀賞受賞。 同時に特別賞受賞。 祖母との生活や、自分の実人生を唄った、共感を覚える歌です。 このような歌詞を、泣かずによく歌えるものです。(聞いているだけですが、私はだめですね) 私の場合(半世紀以上前の遠く昔の話ですが)、小学校に上がる前に祖母はなくなりましたので、「おばあちゃん子」ではありませんでした。 でも小さいころ、その時期あった川崎の家から練馬の親戚の家に泊まりに行ったときに、連れて行ってもらった記憶はあります。 小さかったせいか、何かを教えてもらった記憶はありません。 もちろん、トイレに神様がいることも教えてもらっておりません。 「おばあちゃん子」は女の子ばかりでなく、男の子もいるようです。 タモリも「おばあちゃん子だ。」と言ってました。 |

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この歌を聞くと「さだまさしの「親父の一番長い日」を思い出します。
彼女が意識していたかはわかりませんが。
歌の本質は身近なところにあるはずなのですね。
僕もお婆ちゃんの思い出はありません。
お祖父さんの背中に銃で撃たれた3つの穴は今でも忘れられません。
2010/11/18(木) 午後 4:56 [ 幸龍 ]
さだまさしも、長い歌や心にしみる歌がありますね。
好きなシンガーですね。
お祖父さんのことは、戦争なんでしょうか。
戦争で生死をさまよった方の話は凄いですね。
2010/11/19(金) 午前 11:15
おはよう御座います というか随分ご無沙汰しておりました(アセアセ;
久しぶりに覗かせて貰ったら僕の名前がでてたのでビックリ!
実は僕もお婆ちゃん子なんですよ
僕が生まれたので田舎からお婆ちゃんと叔母が出て来たんだそうです
でも流石にトイレの神様なんて知りませんでした
そう言えばあの時代既に国鉄官舎では水洗トイレだったなぁ〜
その後、妹も生まれて僕らは殆どお婆ちゃんと一緒だったんですよ
両親に兄弟3人にお婆ちゃんと叔母が2人が6畳2間で暮らしてたんです 裕福な訳がないですよね(笑)
今でもお婆ちゃんが「あんこ」から作る「おはぎ」や
今の時期の食卓に欠かせないお漬物(白菜漬け)なんて忘れられませんねぇ〜
2010/11/20(土) 午前 10:27
この歌、この日の「日本有線放送大賞」を、TBSで放送したのを見ましたね。
男子でも、「おばあちゃん子」は多いですね。
2010/11/20(土) 午後 2:13
祖父ですが、満州、台湾で戦争を体験していたようです。
私も小さな頃で話を聞いてもピンときませんでした。
物心ついて祖父の方見、「台湾のお札、日本軍の勲章?らしきもの」を役所で調べました。
父も東京大空襲の被害者「深川に住んでいました」ですし、
戦争というと思うことがあります。
ハーレーさんのお父様は戦争を体験されてたと察しますがいかがでした?
2010/11/25(木) 午後 11:21 [ 幸龍 ]
うちの親父も戦争には行きましたが、怪我もなく無事に帰ってきました。
でも親戚の伯父さん達には、凄い経験をした人がいました。
一人は「加藤隼戦闘隊のパイロット」、いつでも特攻に行く用意をしていたそうです。でもトラックに乗っていた時、地雷を踏み大怪我をしたとか。手足はチャンとありましたが、体に破片が入っていたそうです。
もう一人の伯父も、生死にかかわる戦闘を沢山したそうです。
私の従兄弟は「あの生と死の狭間を生き抜いた親父の迫力にはかなわない。」と言ってました。
二人の伯父は、もう亡くなっております。
そして、今一緒に住んでいる義母は、戦争当時亀戸あたりに住んでいて、「東京大空襲に合い、命からがら逃げ回った。」と言っています。
22・23歳の若かりし娘時代の恐ろしい経験です。
今はそんな話、少しもしませんね。思い出したくないんでしょう。
2010/11/26(金) 午後 4:11