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「○○の品格」「ダ・ビンチ××」などなど、
近頃の本屋さんの棚には「品格」だとか「ダ・ビンチ」だとかの名前が乱れて積まれています。
一つの本が売れると、どういうわけかこういう「関連した本」が沢山置かれますが、
私は個人的に、こういう傾向が嫌いです。
すぐに流行に便乗して「売らんかな」のスケベ根性丸出しのところが多いように感じますが、
みなさんはいかがお考えですか。
商売である以上、売らないと駄目なので仕方が無いとは思いますが・・・・、
私は性格が曲がっているのか、
あえて、「品格」とか「ダ・ビンチ」の言葉がついた本を避けてしまいます。
そんな中で最近「これだ」と思えたのは、この城山三郎さんたちがお話されている
「気骨」という言葉です。
以下抜粋
「戦争中に外務大臣だった広田弘毅は、東京裁判で天皇に罪が及ばないように、『全て私がやりました』と言って死刑になった。はじめ噂を聞いて、情報を集め、遺族に取材しようと、鵠沼にいた遺族に何回も何回も頼みましたが、返事はノーです。『子供は父親のいいことしか言わない、自分はそれは嫌だ、自分のために計らわずという生き方で、何を言われても、父はこんなに苦労をしたなどと言うな』、そう言われてたんですね。しかし実は戦争に反対して動いてたんです。」
「加島 最近の日本人は、あまりに金まみれというか、経済最優先になってしまった。(略)」
「城山 (略)そして、若者はほかの原理が見つからないから、ただ右に左にゆらゆら揺れながら、みんなと同じようなことをやって生きているということでしょう」
※(略)は私がつけました。
他にも澤地久枝さんとの対談で出てくる自衛隊のパイロット西光さんのお話なども「気骨」ということを考えさせられるエピソードでしたが、抜粋がながくなるので割愛しました。
日本人のパイロットは墜落するときも民家や田畑を避けて海や山に堕ちなければならなかった。最後まで脱出せず操縦かんを放さなかったのです。自分の家族が夫や父を失うことになっても・・・。
{ちなみに余談ですが「ダ・ビンチコード」のあの説はずっと前に大学の「美学美術史」の先生から聞いていたような気がするんですけど。図像学などの分野では結構前から言われていた事なのではないのでしょうか}
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