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アメリカのバージニア工科大学で韓国人学生による銃乱射事件が起こった。大学の教官や学生30余の尊い命が亡くなった。犯人の学生も自殺したという。(自殺したというところが東洋的)今日も、その報道が続いている。前にも同じような銃乱射事件があったが、忘れた頃にまた起こってしまった。
その後、日本でも「長崎市長射殺事件」「町田・拳銃男立てこもり事件」と立て続けに「銃」による事件が起こっている。一体どうしたことだ。われわれの周りには実はこんなにも銃が氾濫していたのか。どちらの事件もちょっと間違えば一般市民も巻き添えを食っていたかもしれないと言われている。そういう意味で「明日はわが身」
さてアメリカの事件のその後の報道で驚かされたのは、
「もしもバージニア工科大学で被害にあった学生の誰か一人でも銃を持っていれば、こんな大惨事にはな っていなかっただろう」
と考える人が多いというリポートだ。
私は、おそらく、またアメリカで「銃規制」の運動が再燃するだろうと考えていたがまったく逆のようだ。選挙を恐れて民主党も銃規制を声高に叫ばないスタンスを取るという。あらためてアメリカの人々の武器に対する考え方を知らされた感がする。日本人とは根本的に違う。正当防衛であれば、あるいは大儀名分が立てば相手を殺しても良いという考えが強い。日本人はたとえ正当な理由があっても相手の命をなくすということに大きな抵抗を覚える人が多い。(近頃はそうでもないが)これは精神的な土壌の違いからくる根本的な違いである。
かつて大きな戦争で敵同士になった日本とアメリカだが、そのあたりの考え方も勝敗に大きく影響していたのではないだろうか。
しかし、アメリカ人のような考え方に立てば暴力の連鎖は永遠に終わらないのが自明である。どこかでこの暴力の連鎖を断ち切ることを人類が望むのならば、そうした精神的土壌から変革しなければならないのだろう。それはきっと気の遠くなるほど難しいことなのかもしれない。
「生命を尊重しないものは、生命に値しない」とはレオナルド・ダ・ビンチの言葉である。これをどううけとめるのか。
そして、いまなおテロは続き、争いは連鎖している。
写真は日本の有名なアニメ映画のワンシーンである。こうしたシーンは多くのアメリカ人には理解できないのかもしれない。
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