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平成25年7月4日 仕事は19時にしか終われなかったが
車を走らせて
大津市堅田に向かった。
恩師 村岡 三郎 先生の通夜に駆けつけた。通夜式は終わっていた。
およそ30年前の
昭和57年、大津市平津が丘にある滋賀大学教育学部美術研究室に入学した私は、
今から思い返しても、とても豪華な顔ぶれのそうそうたる助教授・教授陣から
多くのことを学んだ。
絵画 鴫 剛 先生
鶴房健蔵 先生
版画 秋元幸茂 先生
彫塑 山田良定 先生
デザイン 秋山哲夫 先生
そして現代彫刻 村岡三郎 先生
現在の私の教育や芸術に対する哲学の基礎は、まぎれもなく
この先生方によって培われたものだ。
そのころ同じ美術研究室で学んだ学生はみなそうだろう。
就中、村岡先生からは、それまでの既成概念を大きく崩された。
一言では言い表せない大きな影響を受けた。
今の私があるのは、これら先生方のおかげだ。
大事な人が一人、また一人と亡くなっていく。
こころよりご冥福を祈った。
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随想
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私、昭和39年に生まれまして、現在48歳。
これは、この話の大前提。文中の「大人」とは、これぐらいか、それ以上の年齢の人。
そして現在、平成25年。
この前、平成7年の「阪神淡路大震災から18年」というニュースがありましたよね。
「阪神淡路大震災」、って私の時間感覚の中では「つい最近」「ついこの間」
なのです。
私と同じように、「最近」「この間」と考える大人は、きっと多いはず。
「そうか〜、もう18年も経ったのか〜」と思った大人が多かったのではないでしょうか。
そこで、ふと自分の生まれた年から18年前を考えました。
生まれは昭和39年だから、その18年前は、昭和21年です。
「え〜〜〜!! 終戦の翌年じゃないですか。」
「私って、そんなに『太平洋戦争』と近い年に生まれてたの?」
という「感覚」のお話です。
いや実は、本当はそんなことに今更驚くこともないはずなのです。
だって、親父は昭和19年に志願して海軍に行っているんですよ。21年ごろは舞鶴で引き揚げ船の警備などをしていた、という話はよく聞かされました。よく考えたらそんなぐらいの時間経過は当然なのですが、でも今までピンときていなかった、という感じです。
私にとっては「太平洋戦争は歴史の中の出来事」でした。
でも、阪神淡路大震災を「ついこの間」と感じるのなら、親父やおふくろにとっても、私を産んだ時、
戦争は「ついこの間」の出来事だったのだろうと思う訳です。それは歴史などという客観的で、学問的なものではなく、きっと人生や経験や生活や記憶という身体とリアルに、また密接につながっていた出来事だったのだなあ、と感じるわけです。
と、まあそういうお話です。
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あけましておめでとうございます。
どうして、あけましたらおめでたいのでしょうか?
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えー再び、ポートタワーからの眺めです。
白い素敵な遊覧船が停泊していて、
モザイクがあって、赤い観覧車や
ジェットコースターなんかもあって、いいですよね〜。
では、ここで問題です。
この素敵でのどかな風景の中にちょっと場違いな
あるものが
写っています。さて、それはなんでしょう?
わかりましたか〜。正解は
潜水艦
観覧車の向こうに、ほら、見えますか。
観覧車と潜水艦
似合わないですね。 |
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もう20年ぐらい前にできた、荒川修作+マドリン・ギンズの作品?・・・公園?です。
いやあ〜、随分前から存在は知っていたし、一度は行ってみたいと思っていましたが、やっと、行ってきました。
しかも、(若いときには実現できないであろう)自分の子どもたちを連れて・・・。
6年生の長男は「こんなん、大好き!」といいながら、駆け回っていました。
3年生の次女はおそるおそる坂を登っていきます。
中1になった長女は、余裕かと思っていたら・・・けっこう恐がりでした。
いいお天気に恵まれました。私たちは朝いちばんに着いたので、ゆうゆうと駐車場にも止めて、午前中たっぷり遊べましたが、午後からは駐車場も満車で道も大渋滞でした。養老の滝へ行く道も大渋滞でした。
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