蒲生野の空から

GAMO A.F. BASE 飛行機大好き。プラモデル作ったり、紙飛行機とばしたり、読書したり、戦跡訪ねたり・・・。

八日市飛行場

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昨日、八日市文化芸術会館で開催されている、恒例の「平和展」に立ち寄りました。
 
様々な展示がありましたが、私が最も興味を持っているのは「八日市飛行場」についての展示です。
 
えん体壕について非常に正確な考証のされた二つの48分の1の模型が展示されていました。
 
草木で擬そうされている方は、ファインモールド製の「五式戦闘機」 (水滴風防型)が、
 
コンクリートで覆われたえん体壕の方には、「百式司偵」 (おそらくハセガワ)が
おいてありました。
 
両方ともウェザリングも嫌みがなく、えん体も含めて素晴らしいできばえでした。
 
どちらも戦隊マークなどは無く、五式戦の尾翼下部に24という数字が白で描かれていました。
 
終戦直前当時の写真を見ると日の丸だけがかろうじて描かれているだけの機体がたくさんあります。
 
また、はげてしまっていたり、部品を交換して中古のマークが半分だけ見られたりすることもあるので、
 
模型はこれでOKでしょう。
 
さらに今回の見所は、八日市飛行場の航空写真と現在の付近の航空写真をおおきく引き延ばして床に並べておいてある展示です。現在の場所と当時の様子が細かく対比されていて素晴らしかったです。

また、今年も暑い夏がやってきた。
日本人は8月の訪れとともに終戦、原爆を連想する。悔いと反省とともに。
この連想は、昨今の若い人たちにはあまり無いのかもしれないが、
日本人として決して忘れてはならない。

しかし一般的な「アメリカ」人は、かの戦争について「反省」などひとかけらも持っていないのだろう。
それでいいのか?


先日、NHKのドキュメンタリ番組で、
広島に原爆を投下したB29が、8月6日の朝、奇妙な動きをしていたことが
最近の研究で分かってきたという。すなわち、一旦広島を通過して岡山方面へ
飛行し、再び広島上空に戻って、原爆を投下したというものである。

そのため、この日、一度空襲警報が解除されているのである。
B29通過ということで市民は防空壕から出てきたのである。
そこへ、舞い戻ったB29が原爆を投下した。

もしも市民が防空壕へ避難していたら、被害はこれほどまでにならかなっただろうと言われている。

このことは、その番組だけではなく、某雑誌にも掲載されていた。

某雑誌もNHKもはっきりとは言っていないが、
これは間違いでもなんでもなく、意図的に計画したものである。
原爆の正確な威力を知りたいアメリカ軍は10数万人の人体実験をしたのである。




さて八日市飛行場周辺には昭和20年7月ごろ何度も米軍機がやってきて攻撃をしている。
ここに展開していた日本の戦闘機は、来る本土決戦を控えて温存するため、米軍の
挑発にのらないようにしていたが、迎撃に上がったこともある。

そんなわけで、飛行場周辺にはときおり米軍機がやってきては、やみくもに機銃掃射をしている。
古い民家には弾痕が残っていることもある。滋賀県の記録では、朝ラジオ体操の帰りの小学生や幼児を
米軍機が機銃掃射で殺したというものもある。また、民間の鉄道が狙われて死傷者を出したという
記録もある。鉄道はともかく、小学生というのは「どういうことか」
まちがって掃射したということは、ありえない。
あきらかに民間人、それも子どもを狙ってなぶり殺しているのである。

米軍がイラクの捕虜収容所で、非人道的な行為をしていたことが明らかになったことは記憶に新しい。
同じである。

わたしは、こういう「アメリカ」を許すことができない。一般的に、かの戦争は日本が悪かったという意識を持ちがちだ。それは間違いではないが、日本だけではないぞ、といいたい。

イメージ 1

イメージ 2

あたたかい日になりました。
梅の花が 満開に咲いている沖原神社の
横に児童公園がありますが、
その門柱になっているのが
八日市飛行場の門柱です。

数年前にここに移設されました。

八日市飛行場の地図

イメージ 1

「今、語らねば  八日市平和祈念展の記録」より
八日市飛行場概念図を取り上げました。

近江鉄道「新八日市」駅から湖南鉄道が支線として延びていました。
「中野」「川合寺」の駅を経て「八日市飛行場」駅にいたります。

単純に陸軍八日市飛行場といっても、様々な施設が併設されています。
陸軍病院、気象観測所などです。航空分廠はもちろんです。

現在は工場や商店、住宅そして大半は田畑になっています。

素朴な疑問ですが、地図には無いのですが「掩たい壕」はかなり離れています。
この地図上の飛行場の境界線よりもさらに下。集落を飛び越した丘の斜面に残っています。本当に使用されていたのでしょうか。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

 帝都防空の要として有名な調布の陸軍飛行244戦隊の主力は太平洋戦争末期、知覧などに転戦していましたが、昭和20年7月には八日市にも転進していました。
 このことは櫻井 隆氏の「陸軍飛行244戦隊史」に詳しく書かれています。

「制号作戦に関する総軍命令により、十日、二百四十四戦隊は小牧への転進を命ぜられ、知覧を離れた。 戦隊は太刀洗、防府を経て小牧に到着したが、小牧に二〜三日滞在の後、更に八日市へ転進を命ぜら  れ、飛行隊主力は十五日から十六日にかけて八日市に着いた。また小林戦隊長は連絡のため一旦調布に 戻ったが、十八日夕刻、八日市に着いた。」

 このあと、この244戦隊主力は終戦を八日市で迎えることになります。写真は244戦隊の部隊マークを尾翼に描いた五式戦闘機です。終戦の後、これらの戦闘機は武装解除され焼却されたそうです。詳しくは後ほど。

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