二十四考

二十四節気に思うこと

穀雨

<穀雨>
春の最後の節気である。穀雨とは穀物を育てる雨という意。「まっすぐに草立ち上がる穀雨かな」(岬雪夫)
 
茶の湯も春が終われば、炉から風炉に切り替わる。今月いっぱいで炉には炉蓋をして塞いでしまう。「炉塞ぎ」「炉の名残」
という季語はこの時期のものである。「塞がむと思ひてはまた炉につどふ」(馬場移公子)、寒い冬のあいだ炉があったからこそみんながここに寄り合ったのだろう。「炉塞や坐つて見たり寝て見たり」(藤野古白)、今まで炉が切ってあったところが畳で塞がれてはしゃぎたくなる気分もわかるような気がする。
 
歴史をたどればもともと茶の湯は広間で年中風炉を使っていた。それが小間に炉を切って冬と春の半年間(11月から4月まで)、釜を掛けるようになったのは茶祖といわれる室町中期の村田珠光の頃からと言われている。寒い時に火は何よりのご馳走であり、お客様をもてなすというわび茶の始まりと軌を一にしているのも頷けるものがある。お茶のお稽古を始めた頃は、半年かかって炉のお点前を覚えたと思ったら、今度は風炉、お点前も道具も炉と風炉では決して小さくない違いがあり、結構手古摺ったものだ。その後も今日に至るまで、忘れていたものを思い出し、さあこれからというときに切り替わるという繰り返しを、季節の移ろいとともに重ねてきた。
 (炉の写真)
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4月ともなるともはや火が恋しいという季節ではないものの、それでも炉は続く。風炉の10月に火が恋しくなることもあるように、炉と風炉の境目の頃は気候も気持ちも落ち着かないところではあるが、茶人はいろいろ工夫を凝らしてきた。たとえば4月は透木釜(すきぎがま)といって炉の中の火や灰を隠すように大きな羽のついた釜を掛け、少しでもお客様から暖を遠ざける配慮だったり、10月は中置きといって風炉をお客様の方に少し移動させて暖を近づける忖度をしたり、という具合に。もちろんそれでデジタルに涼しくなったり暖かくなったりするわけではないが、そんな亭主の心馳せに涼しさや暖かさを感じるのが客の心意気というものだった。堅苦しいものと見られがちだが、茶の湯というのは結構自在に対応してきているのだ。
(風炉の写真)
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清明

<清明>
清浄明潔からきた言葉という。万物が溌剌としているという意味らしい。4月の声を聞くと桜の開花と相まってそんな気持ちになったものだ、これまでは。木に年輪があるように竹に節があるように、かつて4月には人生の節目となる出来事がいろいろあった。「さまざまなこと思ひ出す桜かな」、芭蕉が「笈の小文」の旅の途中、伊賀上野でその昔仕えていた藤堂良忠の23回忌に詠んだ句だ。
 
先週、「谷中はなし処」という寄席で落語を聴く機会があった。JR日暮里の駅から谷中銀座を通り抜けたところにある。というか地下鉄千駄木駅からの方が近い。30人も入ればいっぱいになるような小さな小屋ながら、萬橘、たけ平、志の春という同世代の3人が張り切って仕切っていた。谷中は落語に縁がある、というのは、落語界中興の祖といわれる三遊亭円朝のお墓がこの近所の全生庵にあり、毎年夏になるとここで「円朝まつり」という落語会が開かれていたからだ。全生庵は山岡鉄舟が建てた禅寺であるが、生前交流のあった円朝は鉄舟から「無舌居士」という居士号を授かっている。
 
禅と落語の関係を示すものに、「こんにゃく問答」という落語がある。ユーチューブで小さん、小三治、談志の師弟がそれぞれ蒟蒻屋の六兵衛、禅僧の沙弥托善、そして八五郎という人にぴったりの配役で演じ分けていたのを見た。そのなかに六兵衛と托善の問答があるのだが、ここはパントマイムになるのでラジオにはそぐわない。最後は托善が突き出した3本の指に対して六兵衛があかんべえをすると忽ち托善は恐れ入って逃げ帰るという痛快な咄なのだが、謎解きは省こう。作者は二代目の林家正蔵、禅僧から落語家になったという変わり種だが、なるほど良くできている。
 
都心は昨日ソメイヨシノが満開になったとテレビや新聞で一斉に報じていたが、小平はまだ五分咲といったところ。クローンの桜ながら都心でもばらついているらしい。今年はマスコミがクローンになったのではないか

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春分

<春分>
太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の長さが等しい春の折り返し点(立春と立夏の中間点)である。この春分の日を彼岸の中日というのは、彼岸はその前後の三日間を含めた七日間をいうから。「毎年よ彼岸の入に寒いのは」という子規の有名な句があるが、彼岸の入り(今年でいえば17日)に子規の母親が何気なく呟いた言葉が五七五になっていてそれをそのままそっくりいただいた句である。彼岸は秋にもあるが、季語の世界では彼岸は春の季語、秋のそれは秋彼岸ということになっている。


彼岸という言葉は仏教用語であることは秋分のところで記した通りであるが、あの世という意味合いもあり祖先のいるところにも通じる。ではなぜこの時期に祖先を供養することになったのか、というのはよく分からないが、西方浄土には太陽が真西に沈む春分のときがもっとも近づけるという思想でもあったのかもしれない。それにお墓参りには申し分のない季節だ。


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奈良と京都の境、南山城に佇む浄瑠璃寺というお寺に行ったことがある。石仏が点在する里にあって近くにはあじさい寺ともいわれる岩船寺がある。このお寺には池を挟んで東側に薬師如来を祀る三重塔、西側に本堂の九体阿弥陀堂が配置され(写真参照)、彼岸の中日には太陽が三重塔から昇り九体阿弥陀堂の裏に沈むのだという。薬師如来は現世仏、阿弥陀如来は来世仏だから、東の岸(此岸)から西の岸(彼岸)へ池を小舟で渡り、九体の阿弥陀仏を拝めば極楽浄土の気分が味わえるかもしれない。
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彼岸を詠んだ子規の句には「梨腹もぼたもち腹も彼岸かな」というのもある。この句の季語は梨であり、したがって秋の彼岸の句ということになる。ちなみにぼたもちは牡丹餅とも書き春の彼岸のもの、秋の彼岸に食べるのは同じものでもお萩というがそれぞれ季語にはなっていない。あくまでも牡丹や萩は餅としてではなく花として詠んで初めて季語になるということだろう。子規は果物や甘いものが大好きだった。


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啓蟄

<啓蟄>
この頃暖かくなって冬眠していた地虫や蛇などが穴を出てくるとされる。「地虫穴を出づ」「蛇穴を出づ」というのもこの時期の季語となっている。
 
地虫が穴から出てくるように、自分も小平から這い出て、先週伊豆の修善寺まで行ってきた。修善寺は小京都といわれるように桂川、嵐山、渡月橋と馴染みの地名が冠せられたこじんまりとした温泉町である。その中心の修禅寺の修禅寺寒桜の前の方丈で、ちょうど「女将のもちより雛と修禅寺庭園鑑賞」展が催されていた。雛壇に居並ぶ雛人形も豪華ではあったが、眼を引いたのは雛のつるし飾り。修善寺から天城越えした先に稲取温泉があるが、ここの「雛のつるし飾り」は、東北は酒田の「傘福」、九州は柳川の「さげもん」とならび、日本三大つるし飾りの一つとして有名だそうだ。もともとは江戸時代、雛人形など揃えられない庶民がお雛様の代わりにつるし飾りを手作りし女の子の成長を祈ったことから始まったようだ。だからつるし飾りには、桃、這い子人形、お手玉、七宝まり、ほおずき、羽子板、など女の子にちなんだ縁起物がいろいろ飾られる。
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修禅寺方丈の展示品

華やかな印象とは別に、修禅寺には陰惨な歴史も潜んでいる。岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」の源頼家やその叔父の源範頼の暗殺の舞台でもあったからである。頼家の母北条政子が菩提を弔うべく建立した指月殿が桂川を挟んで修善寺の向かい側の山麓にある。(指月殿の本尊の釈迦如来座像が右手に蓮の花を持っているのは珍しいとされる。)紅梅白梅がほころぶその境内には頼家のお墓とその頼家の13人の忠臣のお墓があった。
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上は指月殿釈迦如来像、下は桂川にかかる桂橋と楓橋。(ちなみにかつらとかえでは「修善寺物語」の主人公夜叉王の二人の娘の名前である。)


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雨水

<雨水>

雪が雨に変わり、氷が溶けて水になる、という意味。春一番が吹くのもこの頃だと言われているが、案の定昨日東京に春一番が吹き荒れた。三寒四温を繰り返しながら季節は本格的な春へと進んでいく。と言いたくなるが、三寒四温というのは歳時記では冬の季語、厳寒の頃三日寒い日が続くと四日暖かくなるという現象を指す言葉であり、春へと季節が一進一退を繰り返すという意味ではない、とあった。「三寒と四温の間に雨一日」(林一九楼)
 
お雛様を飾るのはこの時期がいい、と言われるのは水が命の源だから。人間の体の2/3は水でできている。もっとも老化とともにその割合も減ってゆき、高齢者は1/2くらいらしい。肌が潤いを失い干からびてゆくのはまさにこの水の作用であろう。1日の体内の水の放出量は約2.3リットル、内訳は尿で1.3リットルのほかに吐く息で0.4リットル、皮膚からの蒸発で0.6リットルというのは知らなかった。これに見合うだけの水を摂取しなければいけないが、食事と代謝で0.8リットルは確保できるとして残りの1.5リットルはみずから水を摂らなければならない。(老化によりこの能力が衰えてくるから、たとえば渇きを感じる能力とか、年を取ると枯れてゆくのだろう。)ただ毎日プラマイゼロになっているわけではなく、そこらへんの収支のバランスを考えてくれているのが腎臓の働きである。水は喉の渇きを癒すときだけではなく、意識して水を摂るべきで、いくら摂っても摂りすぎることはない、と今頃気づいてもどうしようもないが。
 
さてその摂取する水には軟水と硬水があるのはよく知られている。ミネラル(カルシウムやマグネシウム)が多いのが硬水だが、日本は軟水系である。というのは地質や地形の影響があるらしい。地形というのは日本は山が多くしたがって川は急流となり、ヨーロッパと比べミネラルを含む岩盤を通過する時間が少ないので軟水となりがちだというのだ。日本ではこの軟水に合うような食べ物や飲み物が発達した。お茶にも軟水が合う。室町時代のお茶人の言葉に「一に山水、二に秋の雨水、三に川水、四に井水」というのがあるが、お茶に適した水のことだ。井水は岩盤を通過しているので硬水に近いのだろう。ただお酒造りには硬水がいいようだ。伏見や灘はその伏流水をもって酒のメッカになった。ちなみに雨水(あまみず)は無論軟水である。
 

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