Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

中国の生活様式

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中国へ帰ってきて、3日が過ぎました。
しかし、もうすっかり中国の空気(水にも)になれたMです。


今日は夕食を自宅の近くのレストラン(むしろ、食堂)へ行きました。
その途中、気づいたことは阜陽市の大通りが舗装され、綺麗にラインが引かれていたこと。

そして、以前は大通りにも信号がない箇所があったのに、信号も敷設されていました。


さらに驚いたのは、今までは無秩序に走っていた車やバス、バイクがしっかり整列していたこと。

今までタクシーなどに乗っていると、後ろから急に抜かれたり、逆に抜き返したりの連続(笑)
そして、大通りではクラクションがまるで協奏曲の様に鳴り響いていたのでした・・・
さらに、信号が赤でも平気な顔をして、前進していく「猛者」も頻繁に見かけました。

そんな大通りのあり様が、舗装工事の後、すっかり様子を変えてしまったようでした。


それを見ながら、徐々に道路交通法などの枠にはまり、秩序立っていく社会のあり様をこの目で確認した思いでした。

換言すれば、中国社会、いや中国における道路マナーの固定化、標準化とでも言うべきでしょうか。


そうした光景を目にした時、私は、

「社会の近代化とは、一つにその社会の標準化の進度具合で示されるものなのだ。」

と実感しました。


我々は自覚的に、いやほとんどは無自覚のうちに、社会の中で標準化のサイクルにはめ込まれています。


もちろん、社会がある程度の範囲で秩序だっている必要はあります。
ですから、標準化はある程度は不可欠です。

しかし、問題はそれが自覚的でないままになされていると言う点にこそあると私は考えます。


「何で社会を標準化していかないといけないのか、また、その標準化は何のためなのか。さらに、何をどこまで標準化すべきなだろうのか。」


ということをしっかり考え抜いて行う必要があります。


そうでないと、人間は機械と同じです。
そう、社会の単なる歯車=人間ではないのです、絶対に。

今回挙げた道路規則は秩序立てた方が良いと私も思いますが、私から見れば中国社会の中で標準化されていないものこそに重要なヒントもあるような気がしてなりません。

だからこそ、中国社会には何でも標準化(≒強制的な均質化)の方向へ行って欲しくないと思っています。
(もちろん、民族が56もいる国家ではそうしたやり方は難しいと思いますが。)


今後、中国らしい標準化の方向がきっとあるはずと信じていますし、そうしたモデルが形成されれば、それはきっと世界全体の標準化のあり方にもヒントを与えるものになるのではと期待しています。


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