Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

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〈本日は、大学院のK先生とH先輩と共に飲みに。前から気になっていた○○円均一の居酒屋に入ってみました。〉

今日は何だか研究室が賑やかでした。
というのも、2月3日(2011年)は中国では春節、つまり旧正月にあたるからです。

私の所属する大学院は中国人の留学生が大半を占め、そのため彼らが妙に元気だったためです。
携帯が頻繁に鳴ったり、研究室に入れ替わり留学生達の中国人の友人(?)が入ってきました。


今日(春節前日)は何かあるのか聞くと、中国人留学生のKさんから、

「今日の夜は留学生会館で春節を祝うパーティーがあるんですよ。Mさんも来ますか??」

と誘って頂きました。
今夜は別の予定も入っていたのですが、興味もあり、

「まだ分からないけど、時間があれば行きます。」

と、曖昧な返事をしてしまいました。
(ま、結局行くことはありませんでしたが・・・)


彼ら、中国人留学生たちは春節ですが、授業もあったりと帰国はできません。
飛行機のチケットもかなりの高額ですから、気楽に帰国もできないとのことです。


ですから、春節を祝うパーティーはせめてもの「彼らの正月」を味わう機会なのかもしれません。
だからこそ、いつもは静かにデスクに向かっている留学生たちが今日は賑やかだったのでしょう。
来年は機会があるか分かりませんが、可能なら私も参加したいものです。

中国留学生の皆さん、今日は思い切り楽しんでください!


さ、明日、明後日は京都へ史料調査です。
明日の朝早い新幹線で行くので、そろそろ準備をして寝ます。
晩安〜

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<大学構内の生協で見つけた「癒しキャラ」。大学の試験期間中は、「応援セール」だそうです。>

私が所属する日本の大学では、そろそろ試験が始まる時期となりました。
大学院生の私としては全く関係がないのですが、学部生は忙しい時期です。

大学構内を歩いていると、

「レポートが多すぎる〜」

「かなり試験が難しいらしい・・・」


などの会話が耳に入ってきます。
私も学部生の頃は同じ状態だったなぁ、と懐かしくなりました。

図書館も一時帰国後、連日いっぱいで、学生の「焦り具合」が感じられます。
(もちろん、日々コツコツと勉強している学生もいるのですが)

「焦り具合」と書いたのは、この状態が試験後は様変わりするからです。
図書館は学生がめっきりと減り、大学のなんとなくザワザワした緊張感は消えてしまいます。


現在、勤務する中国の大学では、多少そうした状況はありますが、やはり普段も結構勉強しています。
教師の立場からすれば、やはりそれが望ましい!と感じてしまいます。


その点、大学院生は試験期間はないもの、日々勉強する立場ですから、勉強量は相当なものです。
この点は、院生それぞれ勉強(または、研究)のやり方があるようです。

所属ゼミや机に向かっているだけでは退屈なので、調査にでたり、外の院ゼミに顔を出したり。
または、学会やシンポジウムに参加したり、あるいは自身が発表したり。
そして、得られた成果を論文や本にして世に問うわけです。

ま、決められた枠がほぼないので、自分である程度計画を立てて研究を進めるようにしていますが。
(そうしないと、私はただ時間が過ぎてしまうタイプです)


日本近現代史専攻にも関わらず、中国で仕事をし、暮らすという現状でも研究することは可能です。
私の場合は、年二回の一時帰国の際に、多くの研究を進めるようにしています。
また、中国の連休などを使って調査に出かけたりして、研究資料を集めたり。

ま、人それぞれの研究の進め方ができるのが大学院の強みなのでしょう。


枠にはめられるのが苦手な私にとっては、学部時代より大学の方がはるかに向いているようです。

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<研究室の自分のデスクからの一枚。今夜は他の院生は早めに帰宅してしまって静かでした。>

今日は久々に、指導教官の院ゼミに参加してきました。
内容は修士課程の院生の研究報告でした。

研究テーマはユニークではあるものの、まだ十分といえる段階には達していないように感じました。
ただ、そんなTさんの報告後、指導教官が、

「何も文学系の大学院だからとか、テーマを決めるのにそんなことは関係ないですよ。研究はやりたいことをやればいいんです。」

と開口一番におっしゃっていたのが印象的でした。
全くその通りだと思った次第です。

そして、その後の研究アドバイスも非常に的確で勉強になりました。
正直、いつもはもっと○○な先生なのですが・・・
(○○は御想像にお任せ致します)

・・・今回は気合が入っていたのでしょうか(苦笑



その後は、博士論文の研究のことで、西洋史のO研究室へ。
第一次大戦後の労働者住宅をはじめ、当時の小住宅研究の流れに関していくつか質問。
加えて、参考文献を可能な限り出して欲しいとお願いしました。

それによると、ヨーロッパ、特にドイツでは第一次大戦の前後が住宅規格の分かれ目になるそうです。
大戦前や大戦中は、いわゆる台所の空間が居室や廊下という別の用途も併せられていたそうです。
しかし、大戦後は徐々に台所のみの区別された用途へと区切られていったとのことでした。
(そこには、当時の住宅政策の影響や、住宅運動の影響も関わっているのでしょう。)

こうした状況は日本や、現在調べている中国の住宅の規格化の流れとは大きく異なる点でした。
日本では、第二次大戦後にダイニングキッチン誕生して以降、大幅に台所空間が特化していきます。

しかし、どうも台所がその独立性を高め、区別されていくのは世界史的に共通しているようです。

要するに、時期は異なれど、徐々に台所の独立性が高まっていくということです。
キッチンには女性の家事労働の場という性格もあるので、当然、家政学的な視点も欠かせないでしょう。
それから、住空間を合理化する必然性からこうした規格に至るという見方も成立するでしょう。

見方は様々に考えられますが、各地域ごとの住宅内のキッチンの系譜はバラバラなようで収斂されてきているのかもしれません。


今日のO先生の話を聞きながら、住宅史研究の面白さをまた一つ発見した思いです。


…しかし、勧められた参考文献は、英語・ドイツ語・フランス語と日本語はごくわずか…
所有しているO先生は全部読めるのはもちろんですが、私は英語ならかろうじて読めるレベル(汗)
自分の力を知ると同時に、O先生の怪物ぶりを改めて再確認しましたね。

そんなわけで、とりあえず日本語と英語の文献のみお借りしてきました。
日本滞在中に可能な限り読み進めたいと思っています。

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〈先日の土曜日は麹町と神保町へそれぞれ本を買いに出かけました。その途中、アメ横に寄ってみました。〉

先日、投稿していた論文が「掲載許可」になったと連絡がありました。
今回の投稿先は、財団法人東京市政調査会の機関誌である「都市問題」です。
論文のテーマは、

主に戦時期から高度成長期にかけて、日本の「庶民住宅」の規格化の変遷を歴史的に考察したものです。

2011年3月号(3月1日発行)にMの論文を載せていただけるとのこと。
「都市問題」は大学図書館だけでなく、県立図書館にも入っている学術誌です。

もし興味があれば、是非御一読下さい。



東京市政調査会
http://www.timr.or.jp/

都市問題HP
http://www.timr.or.jp/cgi-bin/toshi_db.cgi?mode=saisin

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私は毎晩寝る時間が遅く、結果的に起きる時間も遅めです。
そのため、起きると大体、母からの置き手紙(メモ)があります。

先日の置き手紙がこれ。

「ごはんはカレーうどんです。」

もちろん、意味はわかりますよ(笑)
だけど、本来は

「朝ご飯はカレーうどんです。(うどんは鍋に入っていますので、食べてください。)」

が正確な言い方でしょうね。
母の置き手紙では、

「ごはん=カレーうどん」

という意味にもとれますから。

普段はこんなこと全く気にしていないと思います。
ま、職業病というやつかもしれませんね。


曲がりなりにも、「日本語」に関わる仕事をしていますので・・・


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