Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

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<先日、開催された阜陽市主催のパーティーにて。阜陽市在住の外国人を招待、歓迎するものでした。>

大学の定期試験も終わり、成績の入力作業も終わりました。
昨日は、アパートの掃除と洗濯をして、一時帰国の準備をしました。
今朝、上海を経由して一泊、翌日には日本へ変える予定です。

日本ではセンター試験が昨日から始まりましたが、中国でも大学院試験が昨日より始まっています。
(中国では見本と違い、大学院試験も統一して実施されます。)
学生達はこれまで相当な勉強量を積み、強い思いをもって試験に臨んでいることと思います。



さて、話し変わって先日の金曜日のこと。
兼ねてより招待を受けていた、阜陽市主催のパーティーに参加してきました。
場所は、市内にある「白金漢宮」という名の名の通ったホテルでした。

そのパーティーには阜陽在住の外国人が皆、招待されていました。
しかし、日本人は私以外来ておらず、アメリカやベトナム人の方とテーブルが一緒でした。
阜陽政府の要人、阜陽在住の外国人、また、私の勤務する大学のリーダー、などが出席者でした。

人数は100人程度だったかと思います。


パーティーでは主に歌や踊りなどを各人が披露し、その後、会食になりました。
私達の外国人が座るテーブルには、会食中、挨拶に来てくれる人たちが大勢いました。
これは我々が外国人であるため、歓迎の意を表して、こうしたことをしてくれるのです。

中国人は「客人」を大切に扱うという特徴があります。
特に、地方都市である阜陽であれば、外国人は少なく、より大切にしてくれる印象があります。


よって、そんな考え方から派生した今回のパーティーや、そこでの態度だったのだろうと思います。


そんな中国人の考え方を私個人は好意的にとらえています。
しかし、他の国出身者はそうもとらえていないようです。

ある外教は、

「どうして、こう何度も我々はパーティーに行かないといけないんだ・・・。」

とやや感情的に話し、結果、せっかく頂いた招待を当日「病気」を理由に欠席していました。
そうした捉え方をする人もいるのだなぁ、人によって考えは随分違うと思った次第です。


私個人は、違いをどう受け入れるかが海外での暮らしには不可欠だと思います。
意志を明確に伝えることは時には大事ですが、相手の思いや考え方を尊重することが基本と思います。
ま、あくまでも私個人の考え方です。


さて、一時帰国した後は気分を大きく切り換えて、論文に集中したいと思います!
私の大好きな中国阜陽の皆さん、さようなら〜

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<年明けすぐに大学近くにオープンした総合ショッピングセンター。日本の製品もありました。>

私がここ、安徽省阜陽市に来たのが2009年3月16日でした。
それから二年近くが経とうとしていますが、その間、阜陽市の市街はどんどん変貌をとげています。

住宅バブルということもあり、新しい高層マンションは様々なところで林立状態です。
また、車両が通る道はドンドン広げられ、そして、綺麗に舗装されています。

加えて、それまでの古い住宅地を取り壊し、新たにショッピングセンターが建設されています。
そして、そうしたショッピングセンターには中国製品以外に、少なくない輸入品もみられます。
二年前の阜陽は輸入品とはほぼ縁のない地方の一つの市でしたが、事情はドンドン変わっています。

海外の品物だけでなく、そうした海外の食を提供する店も徐々に増えています。
以前、このブログで紹介した日本式ラーメン屋の「長野ラーメン」もその一つです。
他にも、ヨーロッパ圏の料理を提供する店もオープンしたと聞きました。


今夜も人民病院付近の「永和豆乳」で食事をした後、近くに出来たショッピングセンターへ行きました。
それが、冒頭にのせた写真です。

全部で三階建てでしたが、各フロアの敷地面積は相当な広さでした。
具体的には、縦×横が300m×150mはあったように思います。

年明けすぐにオープンした為、内装も綺麗で、非常に明るく、こぎれいな印象を受けました。
ただ、来ている客は様々でパジャマ姿のままの人たちも多く、何だかそこはいつもの阜陽でした。

また、店内は禁煙らしく、にもかかわらず喫煙した客が注意されていました。
日本ではどこも禁煙が基本になってきていますが、中国では喫煙者が多く、スペースはほぼ自由です。
そのため、急に禁煙といわれても習慣で店内で思わず一服したというところでしょうか。


と、街並はこの二年だけでも大きく変わりつつありますが、そこで暮らす人々の習慣等はやや遅れてついていくようです。

それにしても、やはり現代の中国の発展の速度は目覚しいものがあることは間違いないでしょう。
安徽省の地方都市に過ぎない、阜陽市がこの状態なのですから。
そんなに長くない間で、中国の地方都市も似たようにドンドン様変わりしていくはずです。

また、それに伴い、そこで暮らす中国人達の習慣や考え方なども変貌を遂げていくのでしょう。


一体、これから中国はどのような方向に向かって進んでいくのでしょうか。
残念ながら、具体的には私個人にもはっきりとは分かりません・・・

しかし、中国がドンドン急激な変化を繰り返す中でアジアの「牽引役」となるのは時間の問題でしょう。
(中国の「覇権論」の議論と重ねているのではなく、それだけ存在感が増すという意味です)
日本では「内閣改造」が行われるようですが、何か力がなく、頼りなく感じられてなりません・・・。

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<夜、大学図書館を外から見るとひっそり静か…。しかし、試験期間中で中は学生がぎっしり!>

今日は午前は自分の担当する科目の試験、午後は学部長と来学期のことで相談があり事務室へ。
夜は、自分の調べ物があって大学図書館へ。

夜7時近くに行ったため、外からみると電気はついていますが、ひっそりしていて何か寂しげでした。
しかし、館内では前学期の大学試験の準備におわれる学生でごった返していました。

これは日本では少ないのですが、中国では語学系の学生は良く朗読をします。
時々、語学系以外の学生でも朗読をしている学生もいます。

そのため、静かであるべき図書館内はいつも学生の朗読の声がします。
試験期間中の今日は通常以上に賑やか、いや、うるさい位でした(笑)


今週いっぱいで試験は終了するので、学生からは最後の一踏ん張り、という気合を感じます。
いつも勉強する学生も、そうでない学生もこの時ばかりは大半が勉強している模様です。


そんなわけで明日以降も数日は図書館は学生であふれ、賑やかな状況が続きます。
振り返れば、試験期間中は私の学部生時代も、大学図書館がいっぱいになりました。
そして、大学図書館の開館時間も夜11時頃まで延びていました。

そんな状況は同じですが、日本では館内はいつも静かで、そこは中国と異なる点のようです。


学生の皆さんは残りの試験期間頑張って!

中国での携帯電話事情

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<今朝届いた、阜陽市政府主催の阜陽在住外国人パーティーの招待状>

本日はもう講義も無く、今日から始まった前期試験の監督もないため自宅にいます。
この時期は、

「やっと学期が終わる・・・」

という気持ちとともに、何だか日々の生活から解放され、気持ちが穏やかになります。
こうした気分の切り換えが出来るのは、この仕事の良さだと思っています。


昨日は、新しい携帯電話を購入しました。
中国に来て二年近く経ちますが、来た当初購入した携帯は壊れかけていました。
きっと店で一番安いもの、というか無料の携帯を購入したからでしょう(笑)

とにかく去年の夏辺りから故障が頻繁に起こるようになり、

「コイツもそろそろあの世行きかな・・・」

などと思っていました(苦笑)

そんなわけで、やや質の良い携帯を購入し、今は操作を覚えているところです。
通常、日本で携帯を購入すると分厚い、携帯の使用ガイドブックがついてきます。
しかし、中国では最低限の説明が記された薄いガイドブックのみでした。

とはいえ、使用可能な機能は様々あるようですが。
それに学生達を見ていると、携帯を上手く使いこなしているようです。
携帯が変わっても、ほぼ使い方が変わらないからなのでしょうか?
理由は良く分かりません。

ただ、ガイドブックというものは一体どこまで必要なのか疑問に感じた瞬間でした。
実際、私もあのガイドブックを満遍なく読んだということはありませんし。
(ま、お客に丁寧に対応しようという日本人の考え方を否定するわけではないのですが。)



もう一つ、面白かったことは携帯を買い換えた後の、古い携帯の扱いについてでした。
日本では大抵、古い携帯はお店に渡して、廃棄処分してもらうことが多いです。

しかし、中国(安徽省阜陽市)では古い携帯も捨てずに、自分で管理します。
または、中古携帯ショップにもって行き、売るのだそうです。
自分で管理する理由を学生に聞くと、

「新しいのが壊れた際に、古い携帯があればすぐに使用できるから」

という回答が返ってきました。
日本と違い、中国ではお金を事前に払って携帯で通話が可能です。
そのお金が無くなれば、また自分でお金を入れるか、プリペイドカードを買います。
ですから、古い携帯電話もお金が残っているなら、そのまま使えるのです。

また携帯電話は中国人にとって比較的高額な商品であるため、盗難にあうこともあります。
(ちなみに、1000元〜3000元の携帯がお店では多く見られました。一元=約13円)
実際、ここ最近は学生の携帯が食堂等で盗まれる事件が続けて発生しています。
(ちなみに盗んでいるのは学生ではなく、ほぼ外部の人の犯行だそう)

盗まれた携帯は、中古ショップで売買されているとのことです。
ですから、たとえ中古でも携帯は

「すぐ廃棄処分!」

とはならないのです。


基本的には物価水準は日本よりもかなり低い中国ですが、電気製品はそう大差はありません。
ですから、日本人が携帯を購入する感覚と、中国人のそれでは感覚自体に格差があるように思います。

ただ、携帯電話自体は確かに高いのですが、通話料は一ヶ月50元程度(約650円)と安いです。
(これをみても、携帯電話自体が中国で高いという感覚がお分かりになるでしょう。)



さてさて、今回載せた写真は阜陽市が開催する阜陽市在住の外国人のための新春パーティー招待状。
何でも今週金曜日に開催されるそうで、その招待状が今朝、私のもとにも届きました。

早速、新しく買った携帯電話のカメラで撮影して載せてみました。

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<先日、調査に行った上海にある同済大学の総合楼。ここのI研究室にお邪魔しました。>

随分更新が遅れました・・・。
最近は時間があっという間に過ぎ行く感じがします。

今学期の講義は全て終わり、あとは来週以降の試験のみ。
一時帰国までは、数える程度の日数しか残されていません。
今学期は長く感じた去年冬と比べ、何だか早く過ぎました。


さて、今日は先日6日までの上海滞在中のことを少し紹介します。
私は今回の滞在中、上海にある二つの大学にお邪魔しました。
特に重視していたのは、以前から調査依頼をしていた同済大学でした。

そこの建築学のI教授が私の所属する大学院の元留学生という縁で実現した調査でした。
ただ、私が研究するのは建築、特に住宅の歴史ですが、I教授はデザインの専攻でした。

我々の研究分野は少々ずれがあり、私の知りたいことが明らかになるか実は心配でした。

指定された日時に、同済大学(四平路のキャンパス)の総合楼にある研究室へ向かいました。
総合楼は最近出来たビルで、高層で、中は一階から最上階まで吹き抜けになっていました。
思えば、中国では吹き抜けの建築を多く目にするように思います。
しかし、20階以上の高層建築で吹き抜けだと、地震の際に大丈夫なのでしょうか??


そんな心配はともかく、I教授と会い、これまでの自身の研究成果を報告しました。
加えて、現時点で、自分が知りたい情報と、史資料の保存場所、聞き取り調査の依頼もしました。
が、予想した通り、I教授は私の話は一部は分かるものの、全部は対応できないという様子でした。

加えて、1960年の日中国交がない時、建築学者の西山が訪中し、同済大に来ていたことすら知りませんでした・・・。
これには、その瞬間、体がガクッとし、力が抜けていくような脱力感に襲われましたね。

「これは、聞き取り相手を別に紹介してもらい、方向転換するしかない!!」

と調査をしながら考え、途中からはその方向で話しを進めていきました。
すると、そこはやはり中国で建築学をリードする同済大学の教授で、人脈がゴロゴロ出てきました。

何でもI教授は上海万博の委員の1人であった人物で、同済大だけでなく、中国建築界に顔のきく人物だったのです。
加えて、非常にフランクで、何でも気さくに話してくれ、かつ親切な方でした。
例えば、

「私の年間の給与は○元なんですよ。これが同済では一番高いランクです。しかし、実際はみんな外部から委託された仕事の方が大学の給与より多いんです。だから、建築学部の教員は皆正確な給与は分かりませんよ。はっはっは・・・」

ここでは給与が具体的に幾らかをかけませんが、驚くほど高くはありませんでした。
ただ、「副収入」は相当のものと推測されますが。

また、他の例として、

「正月(中国のそれ)は日本へ帰りますか。宜しければ私の家で正月を迎えませんか?家内も日本へ留学していたので、日本語が出来ますから。日本語で話して構いませんよ。」

など。初対面の私を正月招こうとしてくれるような、物腰の柔らかい優しい方でした。


そんなI教授は、次回上海に来た際に、ある人物を紹介してくれると約束してくれました。
それは、西山が訪中時、同済大を訪れた際に同済大教員だったS氏でした。
また、その夫のO氏でした。

彼らは現在、大学を定年退職し、月の半分をアメリカ、そして残りを上海で過ごしているそうです。

特に、S氏は西山訪中後に、上海の建築学会で「DK(ダイニングキッチン)」と類似する主張をした人物で、私も兼ねてから注目していました。
その後、S氏の主張する住宅規格が中国の都市集合住宅に採用されていくのです。
ですから、西山とS氏の間にあったであろう影響の因果関係を解きほぐすことは重要な作業でした。


そのS氏がまだお元気で、かつ、今回お会いしたI教授の縁であったことに驚きました。
さっそく、S氏等にお会いし、当時のことを聞き取り調査で掘り下げたいとお願いしました。

すると、

「分かりました。では、私が仲介役になって彼らに連絡をしてあげます。アメリカから戻ったら、また上海に来て下さい。」

という返事を頂きました。
その後、

「これはMさんの研究に役立つかもしれませんから、差し上げます。」

と中国の住宅史(通史)を記した文献を数冊頂きました。
正直かなりの荷物になりましたが、気持ちが嬉しかったです。


今回は十分に掘り下げられませんでしたが、次回以降は非常に期待できます。
何より、中国の建築界に多くの人脈をつくる機会を得られたことが一番の収穫です。
これをきっかけにし、多くの研究者と縁故を築き、共同研究なども視野にいれていきたいものです。

日頃、勤務校では研究活動の機会が非常に少なく、研究に飢えていた私は何か満たされるようでした。
やはり、こうした研究が活発で、かつ、様々な縁故と出会える場は魅力があります。


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