Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

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<写真は今日、学生達と夕食に行く途中とった一枚。市内を流れる川です。>

明日から中国は端午節で三日間お休みです。

その分、今日までは振替で授業がありました。
授業後、帰省していく学生の姿も見られました。

日本では第二次大戦後、「こどもの日」となり、その日が端午という意識自体が減っているはず。
実際、鯉のぼりや幟旗を立てるということも、かなり減ってきていますから。

私が子供のころ、大きな鯉のぼりを庭に立てている家も結構みられました。
しかし、最近はどんどん減っているはずです。



さて、今日は普段、語学(日本語)を教える立場から一言。
普段、語学(特に会話)の授業をやっている中で一番強く感じることがあります。

それは、

「一方的に教師が話し、学生がメモをとる授業というのは駄目だ。」

ということです。
当り前のことを言っているとお感じになる方もいるかもしれません。

しかし、日本の大学で受けた講義は皆、上記のようなものばかりです。
(ゼミを除いてですが・・・)

そうした体験を持つ私にとっては、

「大学における講義は基本的に、一方的に教師が話し学生がメモをとるもの」

とさえ、思い込んでいたものです。
ですから、実は中国に来てから、

「一方的に教師が話し、学生がメモをとる授業というのは駄目だ。」

と痛感するようになりました。

もっとも三年生になり、内容が高度になってきた場合はそれもありかもしれません。
それに語学以外の大学の講義で、このことが当てはまるか否かは分かりません。

しかし、初級者対象の語学の授業ではそうしたやり方は駄目だと思います。



学生に良く聞かせ(「リスニング」という意味)、話させ、書かせ、考えさせ、そして笑わせる。
(笑わせる、ということは実はかなり重要です。)


これを、なるべく多く含んだ語学の授業が理想的だと考えています。
もちろん、授業科目によって上記のバランスは変動します。

例えば、会話授業なら特に、話すことのバランスが多くなるというように。


ともかく、教師が教壇で話しをする時間帯と、学生が参加する時間帯のバランスが重要だと思います。

まず、何よりも!

そうした関係が成立している授業を、私は「対話」のある授業と考えています。
(活き活きしていて、活気ある雰囲気の授業と言い換えられるかもしれません。)



「対話」のある授業は、授業以外でも効用があります。
それは、学生が語学に関心を持つ度合が高まるのです。 

また、それと関連してネイティブの私と積極的に交流しようとするようになってきます。

それにより、日本語の発音やアクセント、会話能力の向上という効果も見られます。

そうした学生は、「生きた日本語」を身につけていくので徐々にスムーズな会話になっていきます。


ですから、「対話」のある授業というのは様々な面からみても学習効果が高いです。


思えば一年ちょっと前では、歴史学研究だけをしていた私。
そんな私が今では、語学教育の方法を考えて頭を悩ます日々。

以前の院生時代の生活とは対照的ともいえる環境にあります。
(学生という立場から、教師という立場という意味で)

しかし、研究活動をしていた時期では学べなかったことを学ぶ機会にもなっています。

悪戦苦闘の日々ですが、一年ちょっと前とは違う感覚が身に付きつつあります。

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