Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

日本でのあれこれ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

〈昨夜は一人暮らしをしている弟が実家にきたので、家族ですき焼きをしました。すき焼きは半年振りでした。〉

最近は、専ら大学院の博士課程の院生研究室にて、自身の研究作業をしています。
自宅でやっても良いわけですが、何だか自宅では身が入らずにノンビリしてしまいます。


そんなわけで、自宅の最寄り駅から大学院までの定期券を購入し、通学しています。
ゆっくり自宅を出て昼前に研究室に着くと、そのまま22時過ぎまで居ることが多いです。
来月は京都に史料調査へ行ったり、学会があったり、自身の研究発表があったりします。
そして、16日の朝には成田を立ち、中国に戻らないといけません。

ですから、今月のうちに研究は集中して進めておきたいところです。



さて、今日は通学途中の電車で感じたことをひとつ御紹介します。
それは、時刻によって全く異なる雰囲気を見せる日本の電車の風景でした。

私が大学院へ行く時に乗る電車は、大体ゆったりとした雰囲気に満ちています。
通勤ラッシュが過ぎ、列車内の人もやや少なめで、会話からは笑い声が聞こえてきます。
乗っている客層は、比較的女性が多く、年齢は大学生や主婦層のように思います。
男性だと、大体は年齢が高めの方が多いように感じます。


しかし、私が大学院の帰りに乗る電車はずいぶん違います。
乗っている時間帯は、22時半〜24時の間なのですが基本的に静かです。
単に静かと言うよりも、みんなグッタリとし、疲れ切った様子が明らかです。
また、平日でも酔っぱらいが意外と多いのにも改めて気づきました。

みんなストレスや疲れが相当たまっているのでしょうか。
ま、様子を見る限り、そういうことなのだと思います。


しかし、日本のように、時刻によってこれだけ対照的な電車内の様子を見せる国は珍しいようにも思います。
少なくとも、中国安徽省では朝・夕・夜の風景はさほど変わりません。
(朝、少々緊張感がある?程度です)
日本へ帰ってきて、改めて、その「違い」を感じた次第です。


それに電車内での聞こえてくる会話を聞いていると、仕事の文句が意外と多い(苦笑)

「上司が・・・・で困る。」

「同僚の○さんは・・・・でいやだ。」

「会社の・・・な規則はやめてほしい」

などなど。
別にこんな話題は頼まれても聞きたくないのですが、声が勝手に聞こえてくるのです(苦笑)
ですから、仕方ありません・・・


こういう点を見ていると、日本人は日々の生活(特に仕事)で多くのストレスを抱えていることを再認識します。
そして、そうしたストレスは通勤の電車内(特に、帰り)で、少しづつはき出しているようです。
飲み屋などにいくと、もっと露骨にはき出す人たちを沢山見ることができますが・・・

日本人は普段、表では「建前」、裏では「本音」の思いを抱えているが故、このような状況に至るのでしょう。
逆に言えば、中国人は「建前」と「本音」の垣根が日本人より低いので、こうした状況が生まれにくいのかもしれません。
(もちろん、これだけが理由でないことは明らかでしょうが、一つの理由ではあると思います。)


あまりストレスを抱えるのも嫌ですが、本音だけでもやはり生きていけないと思ってしまいます。
やはり、どちらも「バランス良く」が一番なのでしょうね。

あれ、何だか誰でも言えるようなつまらん結論に達してしまいました。
「いいかげんにもう寝ろ!」と体が叫んでいるようです(苦笑)

ということで、

「晩安(おやすみなさい)」

イメージ 1

〈今回の文章と写真は無関係です。〉

先日のニュースで、保護者の「不当」な要求に対して、ある教師が訴えを起こしたことが報じられました。
(「不当」としたのは、その要求自体が不当と認められない、という意味ではありません。事実未定のためです)

数年前より、日本では「モンスターペアレンツ」という言葉が流布するようになりました。
教師に様々なクレームや過度な要求をする、学生の保護者が増えているというのです。

現に、私の家族にも教師が二人いますが、その状況は間違いないようです。
聞くと、「モンスターペアレンツ」の対処がもっとも神経を使うとのことです。
昨日のニュースでも、教師は「モンスターペアレンツ」への対応が最も大変と感じている、と紹介されていました。


今回の教師が保護者を訴えるというのは、そうした状況が限界点に達したことを示しているのでしょう。
今後は、こうした教師側からの「叫び」や「訴え」が続けて起こる可能性もあり得ます。
そうなっていくと、日本の教育現場は本当に働きづらい環境になっていくことは必至です。
こうした事態にまでなっている日本の教育現場には落胆せざるをえません。


そして、現在、私が暮らす中国のそれと比較すると、その大きく異なる対照性に驚きます。
中国では、保護者が子供の教育に力を入れるという傾向はもちろん存在します。
そして、子供の教育を担う学校の教師に対する要求も当然存在します。

が、いわゆる「モンスターペアレンツ」という人種は非常に少ないです。
というより、私の暮らす安徽省では皆無だと思います。

むしろ、教師を尊敬し、大切にするという文化がしっかりと根付いています。
(「教師の日」をもうけ、その日に教師にプレゼントなどをおくる習慣も健在です)
親がそうした態度で教師に接するため、学生たちも自然と教師を尊敬するようになります。

もちろん100%そうとは言えません。
しかし、あまりにも日本の状況と開きがあることは間違いありません。


教育現場の厳しさは、以前よりメディアでも頻繁に報道されています。
こうした教育界を取り巻く嵐は、やはり日本社会の抱える問題が現れてきているのだと思います。
社会の軋轢や、矛盾が様々な形で、こうした教育現場に現れてきているのです。
(日本で初めて偏差値を導入した当時、全国の学校が荒れ始めたというのは有名な話です。)

そうした厳しい状況を知りつつも、敢えて、そうした現場に入っていく教師の皆さんは凄い人達です。
何でも、教員採用試験は昨今の状況でも高倍率で、非常に高い人気があるというのには驚きです。


だからこそ、現在、日本で教師を志す人々は、決して軽い気持ちで志望してきた人ではないはずです。
そうした教師達を、社会はもっと教師たるべき存在として扱う必要があるように思います。

教育が崩壊していく国家は、必ず、その国家もいずれ崩壊していくと私は思います。
逆の場合は、国家が反映していく礎が築かれていくはずです。


だからこそ、日本政府はもっと教育界のあり方を見直すべきだと思います。
教師が教師たる得る環境づくりを、政府が先導役となって構築していってほしいものです。
また、専門家と協力し、具体的な法整備の見直しも不可欠でしょう。

形だけで中身のない「免許更新制」などでは意味がありません。
もっと他の中身の伴った制度を構築すべきです。


また、個人的には、教師とは外部から忙しい環境を提供されるというのは、職業柄合っていない気がします。
むしろ、自ら教育的課題を設定し、自ら忙しい環境をつくっていく方がよいように考えます。

教師という職業には、「自分で決めることができる」時間帯をなるべく多く与えるべきです。
その時間は、自分の勉強や、授業の研究、または学生指導に関することなど、自由にできる方がよいと思うのです。

機械の歯車のように、どの教師も皆同じ教育を提供するロボットではないのですから。
その教師の特色が出やすく、かつ、伸び伸びと仕事に集中できる環境づくりが必要な気がします。
大体、教師に向いている人々はそうした環境でこそ、力を発揮してくれるように感じます。


が、現在は、それとは全く反対の方向へ舵が切れていて、どんどん閉塞感の充満した教育現場に向かっています。

その流れを止めるためにも、早急に大きく舵をきりかえる必要が出ているのではないでしょうか。

イメージ 1

〈日本へ帰ってきて、まず自宅近くにあるパルコ内の紀伊国屋に行ってきました。〉

昨日、日本へ帰ってきました。
今回は上海から成田まで、CAの午後の便でした。
その同じ便に大学時代の先生もお乗りで、少し話す機会を得ました。

何でも、O先生は上海の同済大、復旦大学で集中講義をなさっているとのこと。
その帰りの便が偶々私と同じだったわけです。
思えば、O先生の経済原論は個人的に結構好きな講義でした。
「雑談」も結構多く、講義中の話題は勉強になったのを覚えています。

上海の集中講義では、英語で講義をされたのでしょうか。
まさか、中国語ではないとは思いますが・・・



今日は帰国したばかりなので、自宅で荷物整理などをし、ゆっくり過ごしました。
午後は、自宅近くにあるパルコ(そこにある紀伊国屋)へ行ってきました。

久しぶりに日本の本屋へ行きたかったからです。
私は本屋で色々な本を探し、次から次に新しい本に触れることが大好きです。
昨今は買うに値しない本も結構多くなっていて残念ではあるのですが・・・

しかし、本屋に行くことで得られる知的刺激があるのは変わりません。
岩波より、中国近現代史シリーズが出されていたのを今日初めて知りました。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/qsearch

私個人が日本近現代史が専門という理由(いや、言い訳?)もできますが・・・
日本近現代史研究者ならば、中国近現代史にも精通しておくことが必要です。
後日、関心ある巻は後で購入しておくつもりです。


それと、中国語の勉強をそろそろいい加減始めようと思い、語学の棚も探しました。
すると、アジア圏の言語としては、韓国語と中国語の本が充実していました。
しかし、明らかに韓国語の方が多く、充実ぶりには差が顕著でした。
韓国語といっても、旅行で使えるような会話表現の本が多く目につきました。

「韓流ブーム」の影響はこういうところにも出ているようです。

しかし、私の所属する大学では、韓国語より中国語の講義の方が圧倒的に多いようです。
(中国語70コマ近くあるのに対して、韓国語25コマ程度。)
よって、将来のコミュニケーションツールとしては中国語の方が需要が増えているようです。


今日も、気づくと三時間ほど本屋で次から次へと本を探していて、数冊買ってきました。
明日以降は大学院へ行って、「お休み中」の間の雑務と、論文執筆の準備などをする予定。
今日の一日休暇で完全にリフレッシュできましたので、明日からまた頑張ります!

日本の皆さん再見!

イメージ 1

<愛犬イブちゃんを正面からパシャリ。日本は猛暑だから夏バテに注意してね〜>

早いもので、今年の夏季休暇(いや、夏期研究期間というべきか)も終わります。
明日の早朝には自宅を出て、7時には成田にいないといけません。

すっかり論文執筆で夜型になっているため、明日朝は寝坊がやや心配のMです・・・(苦笑)


無事飛行機に乗れば、明日昼過ぎにもう中国北京です。


そして、空き時間で可能なら北京で研究資料収集をするつもり。
(北京市建築設計院という場所)


翌朝8時の国内線で、北京から大学のある安徽省阜陽へ戻ります。
(午前9時過ぎには阜陽着の予定)


帰ったら、すぐに大学の新学期が開始です。
去年より多くの新入生が所属学部には入学してきます。

中国では大学の活気が一番出るのが、この時期ですね。
いやぁ、私も非常に楽しみでワクワクしています。
学生達はもっと楽しみにしている事と思います。


しかし、この夏季休暇は今までの休暇で一番充実していましたね。
史料調査も、研究史資料収集も、そして研究報告と論文執筆も何とか予定通り終りました。
会っておきたい人達とも大体は会えましたし、新たな縁故も増えた夏季休暇でした。
(会いたくても会えなかった方は来年3月に会いましょう!)


お陰で気分スッキリ! で中国へ戻れます。


次、日本へ帰ってくるのは、恐らく来年3月辺りでしょう。
それまでにまた一皮、いや二皮、三皮むけて戻ってきたいと思います。

日本の皆さん、再見!




最近、良く聞いている歌を最後にご紹介!
「香水百合」
http://www.youtube.com/watch?v=hIqn0qQ1HFk

イメージ 1

<向かって左から、博士院生の先輩Fさん、院生時代の友人S君、同じく後輩のS君を後ろから・・・>

今日は昼近くから夕方まで、昨夜から続けて、今取り掛かっている論文執筆を進めていました。
土曜にもかかわらず、自宅には家族は一人もおらず静かでした。

お陰で集中して取り組むことができたのは何よりです。
後は以前、某住宅メーカーへ依頼した論文に関する質問調査用紙が回収できれば大筋は完成。

その後は、論文の推敲や史資料補充の作業のみです。
ま、何とかこの夏休みも当初掲げていた「課題」は何とか終わる模様です。




さて、中国へ戻るまであと3日。
いや、火曜日は朝早い便で北京へ向かうため、実質的にはあと2日です。

そんなわけで、大学院博士の先輩Fさん、院生時代の友人S君、後輩のS君と再会してきました。
Fさんは夏休み中、大学院で会っていたのですが、他の両S君はほぼ一年ぶりでした。

今、友人のS君は埼玉県の某市で学芸員として、後輩のS君は某県庁で働いています。


久々だったのですが、話しを聞くと、皆変わらずにそれぞれ真面目に頑張っているようでした。

実は中国に行ってから、仕事と研究活動の両立は大変だな・・・と実感していました。
しかし、両S君も夫々時間を見つけて勉強しているとのことでした。

これは両君には負けていられませんね(笑)


博士の先輩のFさんも、いよいよ今年は研究の「総括」に入るとのことでした。

とはいえ、博士論文は書いた者にしか分からない厳しさがあると思います。
(もちろん、質の高い博士論文を書き上げるという意味で。)


Fさんの話を聞きながら、私もいよいよそうした大きな壁が目の前に来ているのだと実感しました。
もちろん、研究者にとって博士号をとることはゴールではありません。

特に、課程博士の場合は、まだまだ博士号取得後も、やらねばならない課題は多いはずです。
ですので、そんなに重くは考えていない(考え込まないようにしている)部分もあります。

しかし、研究者として独り立ちする称号のようなものであるため、やはり大きな意味があるでしょう。
これは間違いないですね。


昔、読んだある学者が書いた本で、


『寝食を忘れて渾身の論文を書きあげた夜は、その論文が可愛くて抱いて寝たものだ。』


というような一説をみたことが、今も私の記憶に刻まれています。
当時は、大学院に進むつもりも全くなく、中学の教師にでもなろうとしていた時でした。


ある意味では自分と縁のない話のはずでしたが、なぜかこの言葉は記憶に刻まれています。


『学者という生き物は、そのような思いをもって研究活動に打ち込んでいるのか』


ともかく、強い衝撃のようなものが私を包み込んだのでしょう。
博士号取得する階段を一歩一歩進んでいる中、今はそうした記憶がよみがえってきています。



それはそうと、今夜は久々の院生時代の仲間と再会できて良い感じで気合が入りました!
皆さん、どうもありがとうございました〜。

また、半年後辺りにやれるといいね。
再見!

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
M
M
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • ノブジ
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事