Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

中国人の精神性

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中国の教師節のこと

本日、9月10日は中国の教師節でした。

これは中国国内の教師達に対し、学生たち(保護者達も)が日々の感謝を表そうという日です。
基本的に学生達から何かプレゼントをもらったり、メールや手紙が来たりします。


私はその中でも、一番多かったのは携帯のメールです。
(これは去年もそうでしたね。)
他には、鉢植えの植物(名前は??)をもらいました。

担当している学生達だけでなく、卒業生達からもメールをもらいました。
中には、阜陽市から遠い天津の大学院に進学した卒業生から電話もありました。


「M先生、大学院では『自分で考えて下さい』と言われることが多いです。だから、大変です・・・。」


と、その生徒は言いました。
そして、


「日本語と関係ないと思っていた日本文学史の講義(私が担当)が今役立っています。ありがとうございました。」


とのありがたい言葉も。
話を聞きながら、自分で考える機会が増えてきたというのは良いことだなと思ったMでした。
そして、しばらくは悩みぬいて考える癖をつけてほしいものだと感じました。

それはきっと学生の将来生きていく上で重要な糧になると思うからです。


ちなみにご存知の通り、日本では教師節自体がありません。
しかし、中国だけでなく韓国などでも教師節があるそうです。

日ごろお世話になっている教師に対して、感謝の気持ちを表すというのは素敵なことです。
それに、普通に考えればこれは自然のことです。


実際、今日みたいな日があると教師自身ももっと頑張ろうという気持ちにさせられますし。
やっぱり教師も人間ですから。



そんな花畑にいるような気分で一日過ごしていたら、以下のような記事を見つけました。
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20100906/Searchina_20100906022.html

やはり、物事には何でも良し悪しの両面がありますね。
ま、そんなものです。

明日からいよいよ新学期、そして新年度の開始です。
研究活動ですっかり夜型の私としては、また朝型にサイクルを戻すのが課題です。

今日は、教員と生徒のサッカーマッチも中止され、自宅で研究書など読んでいました。


夕食は以前、このブログでも紹介した日式ラーメン屋に行ってきました。
このブログを読んでくれた学生の1人が、

「そのラーメン屋で私(学生)も食べたことがあります。だけど、特別美味しい店ではないです。」

とコメントをくれました。
まあ、日本で出されている味と比較したらそうなります。
でも、この阜陽市に日本料理(それに近い)を味わえる店が出来たこと自体が嬉しいのです。

こうした受け止め方は、日本料理を母国料理とするか否かの相違でしょう。



それはともかく、今日はその日式ラーメン屋で一つ気づいたことがありました。

ずばり、店員がマニュアル化して動いているということでした。
少し見ていれば、それがよく分かりました。

というのは、接客態度が極めて日本的なのです。


例えば、
「お客様は何名様ですか?」

「ご注文は、○、○でよろしいですね。」

「(帰り際)ご来店ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。」

などなど。


特に最初に挙げた「お客様は何名様ですか?」の台詞は、時たま違和感を感じます。
例えば、

1人で来店して席についた後、明らかに1人なのにそれを聞かれる時

です。
この台詞は、1人か複数人かによって店員が座ってもらう席をどこにするか決めるためのものです。
ですので、既に座っていたり、明らかに1人である場合は言う必要がないと思います。

しかし、店員さんは笑顔で必ずこの台詞を各お客に言っていました。
恐らく、研修か何かで接客マニュアルを仕込まれているためでしょう。


それを象徴するかのように、マニュアル化されていない部分は恐ろしくルーズだったりします。
例えば、客を接客する時以外は店内の空いている席に座り、話し込んでいたりする光景もありました。

要は、マニュアル化されていることをただ実行しているだけで「自分で考える」ことが少ないのです。
何のための接客マニュアルかな・・・という感じもしてしまいました。


しかし、これは中国だけのケースではなく、むしろ日本の方がこうしたケースが顕著です。
たいてい、どの店で働いてもマニュアルが用意されていますし、皆それを覚えるところから始まります。

だからマニュアルはばっちりなのに、店員が何となく機械のように動いている印象さえ持ちます。


ユニクロ社長の柳井正氏が、

「ユニクロ各店舗はマニュアル化に頼らない接客をしていきたい」

という談話をどこかでされていたかと記憶しています。
マニュアルはあくまでも手段で、それが目的ではないことをズバリついた言葉です。


グローバル化で様々な業種で海外進出していく時代です。
その過程で、まずマニュアル化を徹底する段階、第二段階にそれが身に付いていく段階があるはずです。

第二段階では、「自分で考える」という主体性が何よりも求められます。

そうした課題をどう乗り越えていくかに、今後の海外進出していく企業の勝つか負けるかの分岐点の一つがあると私は感じました。



それにしても、今日食べた冷奴は美味しかった!
冷たく冷えた豆腐を口に入れた瞬間、体が喜んでいるのが分かりました。

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<最近、よく使っているアジ研の前で一枚。ここの図書館は私の研究に関わる蔵書が多いのです。>

今日は主に幕張のアジア経済研究所の図書館で資料収集を行いました。
いつも関心するのですが、ここの司書の方々は本当に対応が丁寧で、仕事が的確です。

お陰で非常にスムーズに資料収集ができますし、何か気分も良い。


18時には図書館が閉まると、その足で大学院の研究室へ。
研究室には来月に博論提出の院生達が数人いて、真剣に論文を書いていました。

最近、良くお会いするY先生(某私立大の准教授で、同時に博士学生)も来月に博論を出すとか。
目は真っ赤に充血していましたが、顔は相変わらず笑顔でした。


他にも院生は数人いましたが、全て海外(主に中国人)の院生達でした。

せっかくなので、私が中国の住宅史関連のテーマで、某研究誌(中国の文化や経済のテーマが多いそれ)に投稿を考えていると伝え、知っているか彼らに聞いてみました。



すると、彼らは良く知らなかったようでした。
そうした場合、日本人なら、

「ごめん!分からないなぁ・・・」


で終わる事が多いように思います。
しかし、彼らは違いました。

知り合いの中国人院生に話しかけ、どんどん質問して、調べてくれるのです。
また、インターネットで探してくれる院生もいました。
(それは私がやるべき作業なのに・・・すみません)


私が彼らと多少関わりがあることもありますが、とにかく非常に親切なのです。


こうした姿勢に対しては誰でも喜びがあるのではないでしょうか。
私はそれを感じる一人です。


こうした中国人の知人や友人に対する親切な対応は私も勉強しないといけませんね。
中国人留学生の皆さん、研究の途中に手を止めてしまいすみませんでした。

けれど、Mはとても嬉しかったです。

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<日本でも中国の勉強は少しづつでもやっています・・・>

今夜は父とNHKドラマ「遥かなる絆」をDVDにてみました。
http://www.nhk.or.jp/dodra/harukanaru/

これは大学院のある先生からお借りしていもの。
一度紛失しかけていたのですが、中国より帰国後部屋を探した結果、無事出てきたのでした(汗)


このドラマをご覧になった方もきっと多いと思います。
勤務先の中国の大学でも、みた!という同僚が数人いましたね。

一見の価値は充分にあると思うので、まだの方は是非!



私はみるのが今回で二回目です。
ですが、以前とは違った観点から今回みることができました。

特に中心にみたのは、残留孤児となった日本人の子供を育てた中国人の母親の精神でした。


日本人と知りながら、かつ貧しい農村の家でありながらも、孤児を自分の子供として育てた彼女。

息子(孤児)を中学に行かせる余裕がなく、村の書記に頭を下げ奨学金をもらえるよう御願いした彼女。

夫が亡くなってからは、自分ひとりで力仕事などをやりながら息子を懸命に育てた彼女。

息子が成人し、社会人となってからも変わらぬ愛情を注ぎつづけた彼女。

孤児の息子が日本の肉親を捜し、日本へ渡る時に文句を言わず、ただ泣き叫びこらえ様とする彼女。

息子が日本へ帰ってからも、変わらず「自分の息子」と慕い続ける彼女。


そんなシーンがこのドラマには何度も登場します。
途中、ぐっと胸にくるシーンは何度も・・・

そして重い重い内容がここには詰まっています。


今回、二度目の鑑賞でしたが、ドラマに登場する中国人の母親の精神は強い印象を残しました。
そして、実は母親の精神というのはどの国でも皆同様なのではないかと思わされました。

子供を思う母親の感情や精神というもの、どこか共通性を帯びているように感じられてなりません。

そんなことを思いつつ、ドラマをみていました。


異なる国や地域の文化を語るとき、どうしても相違を区別しようとします。
それは当然、大切な作業で欠かせないことです。

しかし、同様にそこにおける共通性や類似性にも目を配ることが大切です。

私個人の見解は、文化の比較に於いてはむしろ、共通性を重視する立場をとりたいと思っています。
その上で、双方の相違を認めていったほうが異文化理解に近道になるように思われからです。


私には母親の子供を想う「精神」や「感情」は、まさに万国共通ではないかと思います。
そこには国境が感じられないのです。

今学期の授業も全て終わり、後は来週の試験を残すのみ。

そんなわけで、今は「自由時間」が潤沢にあります。
この大学では外教(外国籍教師)は、試験監督業務もありませんし。

そんなわけで、最近は今月下旬に大学院(日本の)で行われる報告準備を。
また、博論の一部を書き上げ、投稿予定でいます(出来れば夏)。

加えて、前回投稿したものの「不許可」だった論文の手直しも。

今年は可能な限り研究成果を出していきたいので、夏休みは文字通り、研究活動一色です。




さて、今日は最近気がついた中国人のある精神について。

私は休みの日は、学生達の日本語を上達させるため、彼らを自宅に招くことがあります。
(通常、5〜15人位の幅で学生達には複数で来てもらうようにしています。)

大抵は一緒に何かをして遊んだり、食事を作って食べたり、テレビを見たりします。


そのなかで特に、一緒に食事を作る際に気づかされたことが。
それは、

・学生達は食材を簡単に捨てず、使えるギリギリまで使う
・料理に使う水を絶対に無駄に流しっぱなしにしない

ということ。

例えば、私と学生が一緒に食材を切っている時、その違いは歴然です。

私が「無駄」に捨てようとした食材を見て、学生は、


「先生、これはまだ食べられますよ・・・」


とポツリとつぶやかれたことは忘れられません。
その時は、慌てて、切りなおしたのでした。


それに水も無意識なのですが、私は流しっぱなしにしていることが多いようです。

一方、学生は料理の際、たらいに水をためて、その水で何度も野菜を洗います。
恐らく、私と学生が使う水の量は比較にならないほどでしょう・・・


もちろん、日本にいる時、そして今も、私は無駄遣いをしないよう意識しています。

しかし、中国の学生達(正確には、ここ阜陽師範学院の大学生)から見れば、「無駄遣い」のようです。



日本にいる時、自宅でたまに父が料理を作ることがありました。
父は今年61歳で、父が幼い時、近所の人達はまだ貧しい暮らしをしていたといいます。


そんな貧しい時代を体験した父は、食材を切る時、野菜のヘタ、皮などは無駄なく切り分けていました。
また、水も出しっぱなしにせず、すぐにためて何度も使っていました。

食べ残した料理を家族が食べたがらなくても、父は進んで食べていました。
そんな父の姿勢を見て、理屈では正しいと思いつつも、実践できていない私でした。



学生達のモノを可能な限り、大切に使うという精神は、父のそれと重なるように思われます。

そうした姿勢の背景には、貧しい時代を体験し、モノに心から感謝して大切に使うという姿勢が染み付いているが故だと感じさせられたのでした。


恥ずかしながら、私は中国で学生達から、モノの大切さを教えられています。

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