Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

中国人の精神性

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<写真は夜の阜陽市内>


最近、特に感じることがあります。
それは中国と日本における<本音と建前>に関する相違です。

一言で言えば、日本では本音をすぐには言わず、建前が先にくるように思います。
本音は身内や親しい人にさえ、なかなか話さない人もいるのではないかと。

飲み会で、酒を飲んでから本音を話し出す人が多いのも日本の特徴かも。
それだけ、本音と建前の間には距離感があるように思います。

そのためか、日本では本音をズバッと言う人が少々敬遠されたりすることも。
逆に、みんながあまり本音をズバッと言わないので、言える人が羨ましがられたり。


相手の感情を汲み取る際にも、間接的な表現から本音を上手に汲み取ることが多いのでは。
鈍感な人(私もそうかも?)は、そうした間接的な表現に気づかないことも結構ありますよね。

裏にある本音を読み取るということが日本では多いように思われます。


…ちなみに、私はあまり本音と建前をしっかりと分ける性格ではないと思っていますが。



そうした日本での状況と中国のそれはかなり違うように思います。

中国では本音が結構全面的に出されます。
態度、言葉等から何を考え、したいのかをたいていは知ることが可能です。

もちろん、建前という領域が全くないわけではありません。

しかし、本音の占める割合がとても多いといえるでしょう。
よく言えば「正直」といえるでしょうし、考えていることが分かりやすくて良いですね。


とはいえ、日本人から見れば、本音だけでは角が立つ時もあると感じることになるのかも。
ま、双方共に長所短所があって、どっちもどっちという感じですが…


日頃、こちらの学生達の態度を見ていると考えていることが良く分かります。
もっとも、全部が分かるということではなく、日本人よりも分かりやすいという意味です。


何で最近そんなことを感じるのかと言うと、学生達と接している時に気を余り使わないからです。
日本では相手の本音が分かりにくいなどで、気を使いすぎるきらいがあったのでしょう。

その点、こちらではそういう事がかなり少ないので「楽」なのです。

以前より、何だかリラックスして日々の生活を送れている気がしています。



そういう意味では、建前があまり多い状況というのはお勧めできないのかもしれません。

昨日は、今抱えている論文一つの投稿期限日でした。
授業の合間に郵便局から、日本の学会事務局へ無事送ることが出来ました。

その後、午後の授業を行い、夜は三年生の学生達と食事へ。
場所は、大学近くの「毛家飯店」です。

ここは、大学の忘年会や学期末の慰労会等でよく使う高級レストランです。


冬休みから三年のTさんは、ここでバイトをはじめました。
昨日はそのTさんの招待で、行われた食事会でした。


日ごろ行く食堂の値段と違い、昨日は値段がかなり高めに設定されています。
しかも、私を入れて8人が食べると結構な値段となってしまいます。

昨日の食事会は皆、女子学生でしたが結構食べたように思います。
それほどお腹がすいていて、かつ美味しい料理が多かったということでしょうか。


食事会の前、私もいつもより財布の中身を多めにして出かけました。

ところが、その会計は全てTさんが払ってくれました。
多分、一ヶ月アルバイトしたお金が全てなくなってしまったのでは・・・

そのくらいの値段がかかっていたと推察します。

やや申し訳ない気もしましたが、こういうことは中国では良くあります。
以前、このブログでも書いたことがあると思いますが。


私もその慣習?に馴染んでしまい、今では学生が払う瞬間に違和感を感じにくくなっています。
ちなみに、それでも私は通常はなるべく払うようにしていますよ(苦笑)

 
明らかに教師より学生のほうが経済的に劣るにも関わらず、学生がご馳走するという中国の慣習。

それほど学生が教師を大切(尊重)にしているということですね。
本当にそういった中国の精神性には感銘を受けています。

たまに、「申し訳ない」と感じることもあるのですが・・・



今日は、授業がないオフ日。
夕方から共同研究の打ち合わせ、夜は四年生達の訪問がある以外は何もありません。

最近は睡眠時間をまとめてとれていなかったので、今日は完全オフにしてしっかり眠ろうと思います。

今日は午前の授業が一つ、午後が一つ。

夜は大学四年生達との自由会話が入っています。
(これは授業ではなく、勝手に設定しました)

昨夜は授業準備、また論文のこと等で忙しく、あまり眠れませんでした。
そのため朝はやや眠気がありましたが、授業後はスッキリです。

不思議と教壇に立つと、目が覚めるような感覚になります。
あそこには不思議な力があるのかもしれません。


さて、午前の授業後は自宅に戻り、論文の続きです。
今週木曜(つまり明日)の夜から上海へ行く準備もあります。

その前にブログを更新しておこうと思います。


昨日の夕食のこと。
親友生達と一緒にいつもの食堂へ行きました。

そこで気づいたことが一つありました。

それは、

「中国人は食事、みんなでワイワイと楽しい雰囲気を重視している」

ということ。

実は私は日本にいる時、一人で食事をすることも多く、食事は静かに食べる習慣がありました。

その影響もあって、こちらでも気づくと静かになっているようなのです。

そんな様子を見ると、学生達は必ず会話を振ってきます。
そして、楽しい雰囲気をつくろうとしているのです。

静かに食べるという行為は、ここ中国ではあまりプラスと受けとられない様です。


私が静かに食べていると、学生は

「先生、日本では食事を静かに食べるのが習慣ですか?」

と聞いてきます。
思えば、この質問は中国に来て何度も受けています。

それほど、私は食事中は「静か」だということなのでしょうね。
自分で意識はほとんどないのですが・・・


確かに、黙って食べるだけでは、確かに寂しい気もします。
しかし、日本人としては食事中に

「うるさくない程度に楽しく食べる」

というように、どこかで節度を守ろうとする意識が働くのも事実です。

ここは中国と日本の違いなのでしょうかもしれません。
やはり、「外部」に気を使うという意識が強いのが日本人のように思います。


とはいうものの、食事という一つの場面を楽しくワイワイ過ごすことは大切と思います。
その方が、単純に食事がおいしく感じられますし、気持ちが解放されますから。

今日は日本の自宅から、本が数十冊、また学会誌、調味料(味噌、醬油、鰹節等)、防寒具が届きました。
ダンボールに詰まった荷物を整理していると、増えていく荷物から中国での歳月を感じます。

まだ8か月程度の滞在なのに、荷物はどんどん増えていきます。
届いた調味料を使って、久しぶりに味噌汁でも作ってみたいと思っています。
もっとも、この調味料は学科の学生たちに日本料理を振る舞うために送ってもらったのですが・・・


さて、今日は最近の「ある体験」から感じたことを少し。
実は今週金曜から研究の一環で上海(金曜の夜に出発〜月曜の午前中に帰宅)へ行きます。
もちろん今回も飛行機ではなく、列車にゆられながら長い長い一人旅(片道8時間程度)です。

上海では史資料の収集で行くのですが、今回は某大学図書館と上海図書館へ行く予定です。
資料を見るにあたりここ最近は、色々と電話で「確認」(入館の条件、開館時間等)を行っていました。

その度に感じたのは、司書の方の態度があまりにも無愛想ということ。
とにかく対応が丁寧だと感じさせる方がいないのにはがっかりでした・・・

それだけならまだしも、しっかりと伝えるべき内容を私に伝えないという方も。
具体的には、

「来週の土曜か日曜にお宅の図書館を利用したいのだが、入館する上で何が必要ですか。」

と聞くと、

「紹介状・パスポート・専家証」

という返事。
早速、紹介状を勤務先の大学で用意してもらいました。
その後、別に確認事項があって電話すると、

「この図書館は土日は空いていません。」

という信じられない返事が。
これにはさすがに、私も感情を使いそうになりました。
既に、上海滞在中は土日に通訳を手配し、列車の切符も買っていたからです。
それ以上に、

「なぜ以前、土日に行くと言った際に、その日が休みと伝えないのか?」

という思いでいっぱいになり、向こうの対応が信じられなかったのです。
(同僚に聞くと、こういった対応をする司書は中国では比較的多いということ)

とにかく落ち着いて事情を説明し、何とか土曜だけ開館してくれることになりました。


今、振り返ればあそこで感情的にならなかったのが良かったように思います。
冷静に相手の問題点を指摘し、かつ既に滞在する準備をしたと伝えたことで相手も、

「仕方ないか・・・」

と思ったようです。


日本を発つ前、ある方からこんなことを言われて私は中国にきました。

「Mさん、中国は外国。当然、日本と同じことばかりではない。でも違う点を批判の対象にしたり、感情的になったりしても意味がないと思う。「はあ、こういう風に考える人たちもいるんだなー。勉強になった。」という程度に受け止めると良いですよ。」

と。
図書館司書の「滅茶苦茶」な対応に対して一瞬カッとしましたが、なぜかこの言葉が出てきました。

「ここでイライラしたら、史資料が使えなくなるかもしれない。その方がマイナスか。」

と咄嗟に思いなおすことが出来たのは、あの言葉のおかげでした。


それに異国にいれば、このようなことは良くあることです。
さらにいえば、皆がそういう対応をするわけではないわけで・・・

実際に、私の大学の司書さんは本当に親切な方ばかりですから。


「日本はこうなのに、全く中国は・・・」

という趣旨で批判的な論調の文章(またはエッセイ)を見かける事があります。
でもそれは、日本人側から見た一方的な見方かも知れません。

確かに、習慣・文化の差異をどう認め合うのか(理解するのか)ということは難しい作業です。
でもその前提として、一番重要なことは一方的な見方をしないということではないかと思います。

「国や地域によって、Aという考えもあるしBという考えもあるのだな。これは勉強になったな。」


というスタンスで受け止める姿勢が異文化理解の根底には必要ではないか、と私は思います。

老師に対する尊敬の心

今日は雪はやみ、昼には太陽もさしてきて、やや暖かな気温に。
今日は午前中から授業だったのですが、太陽が出てきた瞬間に教室から歓声が上がりました。

「わー、やっと暖かくなった!!」

という感動の表れというこというでしょう。
かくいう私もそれは全く同じ気持ちで。

ここ数日気温が急に下がったので、風邪をひいている学生もチラホラ出てきました。
風邪をひいて、途中で授業を抜けていった学生にはノド飴を渡しておきました。

日本語一級能力試験も近いので早く回復してほしいと思います。



さて今日は中国における老師(先生)への尊敬のされ方について。
日本でも教師という職業は尊敬されることが多いですが、中国のそれとは比較になりません。

特に日本では、反抗する学生や異議申し立て(時に過剰な)をする保護者が増加傾向にあるといいます。
実際に弟の勤務する中学校(埼玉県)でも、このような事例が頻繁にあるようです。


しかし、中国では老師という存在は尊敬されるものとして扱われます。
具体例を挙げれば沢山あります。

例えば、教師が立ったまま話しかけると、学生は座っていても立ち上がって話を聞きます。

「気にすんな。座っていいよ」

といっても、

「先生が立っているのに自分だけが座れません」

という返事が返ってくる始末。


また、仮に教師が何か買い物をお願いするとします。
後日、商品を受け取り、その代金を払おうとすると学生は受け取りたがらないことがあります。

「学生が老師のお手伝いをするのは当然です。この商品は安いですから気にしないでいいです。」

という具合に。


さらに、学生達と食事に行く時は、そこでの料金は学生達が払ってくれます。
これは結構大金になることもあるので、割り勘にするケースもありますが・・・

「いつもお世話になっている老師にお金を払わせるわけにはいきません。」

と学生達は言います。

ただ私自身は、稼ぎがない学生に負担させるのは申し訳ないのでおごる事もあります。
ま、これは日本における習慣がそのまま中国でもいきているということでしょう。


ともかく、中国では老師に対する学生の態度はかなり違います。

ただ中国では、老師は尊敬の対象でありますが、一方で無批判に尊敬されるわけではありません。
実はその評価に関しては結構ドライなところがあります。

やはり尊敬に値する授業や研究活動、日頃の態度を保つことが最も重要であるようです。
そうでないと、肩書きが老師でも徐々に尊敬を失っていくように思われます。

少なくとも私にはそう感じられます。

無批判に尊敬されるのではないという点は非常に健全であると思いますし、私は個人的に好きです。

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