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明日は午前の便で阜陽空港から北京南苑空港へ。
その後、北京首都国際空港から羽田へと帰ります。
やっと冬休みの期間一時帰国できます!
ところで東京は雪が降っているそうで、今日は自宅周辺も雪が積もったようです。
(今日の夜、家族とスカイプで話しました。)
やや短い期間ですが、家族の待つ日本で過ごしてきたいと思います。
来年度の鋭気を充填してきたいものです。
さて、今日は最近あったややショッキングなことを。
私は移動で良くタクシーを使います。
阜陽ではタクシーは安く、日本のように負担になりません。
(最も上海のような大都市では、タクシー代は高くなります)
頻繁にタクシーを使うこともあり、中には何度も同じ運転手に遭遇することも。
その度に基本的に運転手は阜陽ではお目にかかれない「珍しい日本人」として興味津々です。
中には、
「生まれて初めて日本人に会ったよ」
と嬉しそうな顔を全面的に表す人もいます。
それを見て、すっかり私は「反日感情」はこの街では皆無に近い、とさえ思っていました。
しかし、それはやはり違いました・・・
昨日、同僚と市内へ行くためタクシーに乗った時のことです。
助手席に座った私に運転手が話しかけてきます。
「何を言っているのか分かりません」
というと、
「え、お前はどこから来たんだ?」
と運転手。
私は、
「日本人です。阜陽師範の教師です。」
と答えた瞬間でした。
運転手の顔が急に曇ったのです。
そして、何やら早口で、しかも強い口調で話し始めました。
さらに話しはとまらず、ドンドン調子がきつくなっていくのが分かりました。
途中から相当感情的になっていたようです。
同僚に聞くと、
「運転手のおじいさんは中国東北部へ兵隊として行き、日本軍に殺されたそうです。」
「東北部へ行って地元へ帰ってきた兵隊は1人もいなかったようです。」
「それに日本軍は本当に悪いことをやったと言っています。」
こんなことを気まずそうに話してくれました。
私はとにかく黙っているしか出来ませんでした。
それは答えることが出来なかったというより、今は黙った方が良いと思ったのです。
戦争の記憶から「日本」を憎む気持ちを根強く持つ人に対し、理屈での説明は無理と判断しました。
結局、その運転手は目的地に着くまでずっと感情的に話し続けました。
そして目的地に着くとすっと我に戻り、冷静さを取り戻したようでした。
私はタクシー代を払うと、
「謝謝」
と一言だけいい、降りました。
運転手は、
「不客气(どういたしまして)」
と何だか気まずそうに答えました。
その表情には、直接関係ない初対面の日本人に感情的になってしまった複雑な感情を感じました。
阜陽でこういった体験は初めてのことでした。
だから、はじめは少々戸惑いましたが、それが現実なのでしょう。
過去にあった「歴史」は消すことは出来ません。
その「記憶」が根強く語られ、今も生きていることを実感した瞬間でした。
今後、このようなことは何度もあるかもしれませんし、無いかもしれません。
それはともかく今回の体験から、自分の認識の「甘さ」のようなものを感じました。
阜陽の皆は確かに私に親切にしてくれる人ばかりです。
でも、それで「問題」は無くなった訳ではないのです。
それとは別に、複雑な思いで「日本人」に接している人も少なくないことを忘れてはいけないのです。
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