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<「サンツァイユ」は私が大好きな中国の魚料理の一つです。辛味がありますが、それがくせに!>
今日は朝から今まで授業が続き、間をおいて、夜7時からは日本語コーナーがあります。
そんなわけで、月曜日は週で最も忙しい日となっています。
今日は、その間の時間を使って少し私の愚考を連ねてみたいと思います。
それは、今後の歴史学研究(特に、現代史)の行く末についてです。
といっても、そんな大きなテーマを大真面目に論じるとブログでは足りません。
ですので、あくまでも私の実体験を交えて、簡潔に。
私は9月にあった漁船衝突事件を通じて色々と考えさせられています。
先月にも安徽省から、日本人の外出を控えるよう通達があったことをブログに書きました。
一度は「鎮火」しかけたようにも見えましたが、また火が燃え上がっています。
それを反映するように、昨日は安徽省より第二段となる外出注意報が出されました。
私に所属する学科の大学教師からも、
『くれぐれも今は注意してくださいね。』
というメールが来ました。
私を採用した大学側としては、私の安全を守る責任があるのでピリピリしているようです。
このように書くと、何だかとんでもない状況下におかれているようにお感じになるでしょう。
しかし、実態はこれと随分違うということも紹介しておきたいと思います。
まずは、私のいる安徽省阜陽市の大学生は通常と変わりません。
しかも、日本語科以外の学生達が私の会話授業に参加してくれています。
どうやら、日本語学科以外にも日本語に興味を持つ学生が少なくないようです。
(もちろん、彼らも対日感情として何かしらマイナス感情があるとは予想されますが・・・)
日本語に関心を持った理由を聞くと、たいてい、日本のドラマやアニメを見て好きになったと答えます。
彼らはネットでダウンロードしたり、街でDVDを買って見ているようです。
昨今のような日中間なので、そうした学生がいることにも最初は意外性を感じました。
しかし、これは事実です。
また、現在のの大学には一年半いるので、最近は他学科の学生にも声を良くかけられます。
大体は中国語ですが、時には日本語の挨拶の場合もあります。
みんな、日本人が嫌いという印象を抱かせません。
(実際にそうした感情があるか否かは別として。)
報道にある内容だけでは、中国国内はとんでもない反日感情が高まっていると感じるはずです。
まるで、一触即発のような感じではないだろか、などと。
しかし、私が実体験を通じてみた現状は以上に述べたとおりです。
(もちろん、根強い反日感情を持っている中国人がいることは忘れてはなりませんが)
今年は、日本の大学院紀要に「中国の大学生の「日本」イメージ」を載せて頂きました。
そこでも明らかになったことですが、やはり中国の若者は日本のアニメやドラマ、映画に関心がある。
そして、好きになった俳優やアイドルを通じて日本語にも関心を持つ構図があるようです。
これはテレビだけでなく、高度なネット環境が発達してきたことが大きいと思います。
とにかく彼らはネットなどを媒介にして、簡単に国境を越えていることは間違いないでしょう。
政府間の関係を見ているだけでは、まだまだ日中間の関係は難しいと誰もが感じていることでしょう。
しかし、昨今は政府が意図しないところで国民達が簡単に国境を越えていく現状が並存しています。
今回のネットを通じた若者文化の流入もその良い例だと思います。
・・・ですから、私は改めて思います。
今後益々、国民国家という枠組みから外れ、別の交流による枠組みが形成されていくと。
これはまず間違いないでしょう。
同時に歴史家は歴史を見る際に、これまでの見方を大きく修正する必要に迫れていくでしょう。
やや分かりにくいので、具体例を出しましょう。
例えば、今回の漁船衝突事件が日中間の国民に如何なる影響を与えたか、100年後の歴史家が調べるとします。(あくまでも例です。)
その時、これまでなら両国政府の発言、関連する新聞記事、雑誌を集め、そこから言説を整理します。
そして、何よりも事件の経緯を詳細に調べ、どうして事件に発展したのかをおさえるべきでしょう。
仮に、そうした作業をすれば、中国や日本で大規模なデモが何度も起こったことを知ることになります。
そして、もしかしたら、安徽省などで日本人の外出注意報が複数回出されたことも知るかもしれません。
このような史実を知った歴史家達は、恐らく、両国国民は相当相手国に嫌悪感を抱いたとまとめるのではないでしょうか。
しかし、その結論には出てこない、先に述べたような現状もあるわけです。
こうした状況が如何に形成されていたのかを明らかにする研究、その視角が今後は必要だと思います。
要するに、政府筋が国家を統制・統治した結果生まれていった流れと、それとは別ルートの流れから発生した脱国民国家ともいうべきものが並存していることを押さえ、それを共に明らかにすべきだと思います。
グローバリゼーションが進むなかで、このような視点は不可欠だと再認識しています。
社会状況が変われば、歴史家の社会認識を改めていかねばならないという良い例ですね。
さ、それでは別の仕事があるので、今日はこのへんで。
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