Mの中国通信

中国で奮闘する大学講師の日々。阜陽での日々が終わりました。

自分の研究

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調査を延ばす!

今日で奈良入りしてから三日が経ちました。
私は今回の調査で、大きく二つの目的をもって臨んでいます。

一つは、史料調査。

研究対象の西山卯三氏は、生前自らの研究に関わる史資料を20万点以上残しており、その調査が何より重要です。私は卒業論文以来、毎年夏休みや冬休みを利用して、その史料が所蔵されている西山文庫(京都府木津川市)に足を運んでいます。

今回は調査時に偶然、立教大のO先生と一緒になりました。経済史がご専門ということなので、話もあい、色々と調査後も食事をしながら研究の話をしました。異分野の研究の話を聞くと、色々と勉強になりますし、自分の研究にも生かせることが少なくありません。

今日で史料調査は最後になりますが、残された史料を出来るだけ数多く当たりたいと思っています。
昨日までで、7000字近い史料をパソコンに写し取りました。特に、戦時期の住宅営団勤務時の西山の発言・研究活動に関するものと、戦後以降の住宅公団の住宅規格設計に関わる史料、それと戦前から1965年あたりまでの時期に西山にきた書簡をみています。

あ、「写し取った」というのは西山文庫の場合、一次史料のコピーやデジカメ撮影が禁止されているため、自分で写し取らないといけないからです。


二つは、現地調査。

西山の評伝を書くにあたって、西山の育った生家、京大教官時代の自宅、出身小学校・中学校、西山の母の実家、それらの近辺にある郷土資料館を回ろうと思っています。
文庫にはない史料が現地に行くことで発見できることがありますし、また個人的に西山の生きた軌跡を追う作業をしながら、西山の人生を追体験したいという思いがあり、一度行きたいと考えていたのです。

しかし、今日も文庫で史料調査になるため、現地調査の時間がとれません。
よって、今日までだった史料調査の期間を明日まで延期し、明日現地調査を行うことにしました。
宿泊先のユースホステルも一泊延期しました。

中国に戻るまでにどこまで調査できるかが重要ですから、仕方ありません。
中国から持ってきた「元」(中国政府の紙幣)もあっという間に減ってしまいました。

ま、これが研究活動というやつです。
無駄な投資ではないのです。


さ、今日も頑張ろう!!

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明日から史料調査

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私の研究活動(博論)の一貫で、明日から奈良・京都(もしかしたら和歌山も)へ史料調査へ行きます。
帰宅は日曜か、来週月曜になります。たった三日か四日という短い時間ですし、非常に貴重な時間なので大切に過ごしたいと思います。

調査の内容については追って詳細を書き込みたいと思いますので、興味のある方は是非ご覧下さい。


ところで調査の時は毎回ワクワクします。どんな史料があって、それがその後の研究にどのようにつながっていくのかと考えると調査前日は眠れません。

そんな時に毎回思うことがあります。

好きなことをずっとやらせてもらえる自分は幸せだ、と


高校や大学、それから修士時代まで同級生だった友人はほとんどが就職し、社会の中でそれぞれ日々忙しい毎日を送っています。何かをゆっくりトコトン徹底的に考える時間など皆無でしょう。

たまに同窓で飲んだりすると、みんな忙しいとは言っても、ゆとりがある社会人は一人もいません。
もちろん、それはそれで非常に意義のあることで、日々充実していると感じている友人もいるはずです。


しかし、日々目の前のことに追われるなかで、ゆっくりと何か大きなテーマについて色々と考えたり、思い切り勉強したりすることは出来なくなっていくのかもしれません。

私はそういう意味で他の友人と全く異なる人生を送っているわけですが、一度も後悔したことはなく、むしろこの研究者という道を進めていることに感謝しています。

だからこそ、好きなこと(研究)を徹底してやりぬくことしか考えていません。
それだけです。


とにかく明日はとにかくどんな発見があるのか分かりませんが、今夜もワクワクして眠れないと思います。

昨日、以下のようなシンポジウムがありました。
私の所属する研究室が中心に運営していたため、私も参加してきました。

昨日のシンポジウム概要は以下の通り。


         「北東アジア史」の地平−−その意義と問題点−−

 「北東アジア史」(ないしは東アジア史)については、その積極的な意義を唱える人々が増大している。背景の一つには東アジア共同体やASEAN+3という議論があるとも言えようし、また事実として、この間の北東アジア域間の経済的な結びつきやの強まりや人の行き来の活発さがある。
 すでに韓国では、中等教育における歴史科目で「東アジア史」を「国史・世界史」とならべて選択履修させる試みが始まりつつある。日本においても「北東アジア史」ないしは東アジア史として、いわゆる「日本史」を世界史の場に結びつける営みは、ほぼ半世紀の蓄積を有しており、それを踏まえた議論が近年改めて活発である。
 だがこうした把握には、盲点もある。今回、私たちは、この「北東アジア史」という把握に、現在の時点でどのような積極的な意義があると考えるのか、またそうした把握にはいかなる問題点があるのかを韓国、中国、そしてアメリカの研究者をまねいて集中的に議論することとした。

日時  2009年7月31日(金) 午後1時から5時30分
終了後6時から懇親会を開きます

報告 
1 鄭在貞(Chung, Jae-Jeong 韓国・ソウル市立大学) 「北東アジア史の意義」
2 孫歌(Sun Ge 中国・社会科学院文学研究所)  「北東アジア史の問題点」

コメンテータ
1 李卓(中国・南開大学日本研究院) 2 南相九(韓国・北東亜歴史財団) 3 Victor Koschmann (アメリカ・コーネル大学)

司会  三宅明正(日本・千葉大学)

場所  千葉大学 社会文化科学研究系総合研究棟2階マルチメディア会議室   

交通 JR総武線西千葉駅 京成千葉線みどり台駅 徒歩各10分
使用言語 日本語。適宜ハングル、中国語、英語を使用。会場で日本語に翻訳します。
主催  「北東アジアにおける「記憶」と歴史認識に関する総合的研究」(科学研究費)グループ/千葉大学人文社会科学研究科地域研究センター協賛  「近代移行期北東アジアにおける秩序構想の比較社会史」(科学研究費)グループ/千葉大学「実践的公共学実質化のための教育プログラム」(大学院GP)

http://picasaweb.google.co.jp/mimuratatsuya/frTHCF?feat=directlink

シンポジウムに参加したある先生は、「このテーマ(北東アジア史)を論じる上で地球最高の学者がそろったシンポジウムだ」と仰っていました。確かにそうだと思います。ちなみに会場には、出版社4社、新聞社1社がきていました。

このシンポジウムに参加して何より一番感じたのは、「北東アジア史」という試みはまだまだ多くの課題を抱えていて、各国の関心、研究状況等が異なっているものの、どの国の学者も真剣にこの問題を考え、すこしづつ前進させようとする強い思いを持ちながら向かい合っていることでした。

特に、「北東アジア」という際の地域の括り方の問題(「北東アジア」という区分を設けることで発生するマイノリティに対する排除という問題)、また「北東アジア」という言葉が発生した歴史的背景が持つ意味、さらに「北東アジア史」という歴史像を構築する上での共有すべき要素、理念の設定等をしっかりと考えるべきだと思います。

しかし何と言っても、「記憶」(特に戦時期)の問題は各国より大きな隔たりがあり、ここの差をどうしていくのかが一番の問題でしょう。

現在の「北東アジア史」に対する動きとしては、専ら韓国がこれを先導しているようです。しかし報告を聞いていると、「見切り発車」をしている感も否めないと思いました。もちろん、それが問題と言っているわけでは決してありませんが。

現在中国に身をおいている私としては、この問題を日々考えざるをえない状況があります。その意味で非常に刺激的なシンポジウムでした。報告者をはじめ、コメンテーターの方も切れ味が鋭く、これまでに参加したシンポジウムの中でも指折りでした。

特に、孫歌氏のコメント、質疑に対する応答は素晴らしかったです。非常に説得的で、簡潔、そして的確な受け答えだったのには感動しました。孫歌氏の著書はこれからじっくりと読んでみたいと思っています。

シンポジウムの始まる前に中国から戻ってこられて本当に良かったと思いました。
とにかく多くの刺激を受け、また勉強させられた1日でした。

評伝という研究

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最近、すっかり日本モードです。
中国のことが暫く蚊帳の外になるとは思いますが、どうかお付き合い下さい。

今日もいつも同様、県立図書館へ。
先日予約していた本が届いたので、それを受け取り固定席で文献購読を。
クーラーが良い感じで効いていて、適度な静かさ・・・ほんと最高の環境です。

思えば研究室のデスクでは、意外と無駄話、無駄な居眠り等が多かったなぁ・・・
周りが皆知り合いだったからでしょうか??
ともかく集中力がイオイチで。


今日は主に、近代日本の建築史に関わる文献と、ある建築家の評伝(池辺陽)を読んでいました。

これとは別に数日前から読んでいる、

二村一夫『労働は神聖なり 結合は勢力なり 高野房太郎とその時代』岩波書店、2008

には本当に感動させられています。
具体的には以下三つ。

まず研究書でありながら、小難しい表現を使わずに誰にでも理解できる表現をしているため非常に分かりやすい。

次に史実を徹底して追及・検証しながら、従来の高野房太郎に関わる研究の通説を書きかえていきます。これにより新たな史実が明らかにされています。

さらに史実に忠実でありながらも、高野房太郎個人の生きた軌跡と時代の様子がダイナミックに伝わってきます。まるで自分が高野になって、その時代を生きているかのような感覚になります。


この本を通して、私は評伝という研究手法が一つの歴史研究として充分価値あるものであることを再認識させられました。今後予定している研究テーマがまさにこの評伝の形式をとるため、参考にできるところを徹底的に盗んでおこうと思っています。

著者の二村氏は指導教官M先生の知人でもあるため、今後一度紹介してもらう予定です。

あ、興味のある方がもし居たら是非お読み頂ければと思います。

ふむ

日本に一時帰国してから、自分の研究で頭が占領されている。
帰国前に欲しかった本はアマゾンや日本の古本屋等で注文し、他の史資料は今後複数回に分けて収集に行く予定。

今日はずっと自宅で、昨日集めてきた論文集(住宅政策史、住宅経済等の分野)のコピーを読んでいる。
それはそれで面白く、時間があっという間に過ぎる。


しかし、今の最も大きな問題は、

  今後の研究の方向性

いくつかテーマは考えているのだが、どうもしっくりいかない。

ふむ・・・

博論となると、その後の研究方向や就職にも大きな影響を与えるし、自分の「人生」を決めるものと言っても過言ではない。

だから一歩ふみ出すことに弱腰になっているのだろうか。
実際にそんな指摘をくれた「厳しい」先生もいた。


自分ではそんな意識はあまりなく、「よし!このテーマだ!!」と言える満足するテーマが出てこないだけと思っているのだが・・・



今思い返すと、修士論文は修士二年の7月までやっていた研究をすっぱり止め、周りの評価を気にせずに自分が本当にやりたい研究テーマを選んだ。

修士論文として一応の形にはなったが、それでも未完成の論文である。
評価は案の定分かれ、「良い」と「まだまだ」が五分五分という感じだった。

それは自分でも納得していたし、予想できた。
だから周囲からすれば、「凄い論文ではないが、今後の可能性がある論文」という程度の評価だったのかもしれない。

結構、指導教官の一人から厳しく叱られたこともあった。

でも今、修士論文に取り組んでいる時の自分自身を振り返ると、良い思いでばかりが残っている。
論文を書く年の8月に急にテーマを変え、焦る気持ちもあったが、毎日が楽しかった。

本当に何かにとりつかれたように、毎朝4時近くまで研究論文や史資料に向かい、少しまとまるとパソコンでキーボードをたたいた。

史料を集めるために、史料の収蔵されている京都へ何度もいった。
お金がないので、ユースホステルに長期滞在し、往復は各駅停車でいったこともあった。
埼玉の自宅から京都まで10時間以上だったが、楽しかった。

当時の研究テーマは、戦時期に日本で初めて「庶民住宅の研究」を行った建築学者の研究思想を明らかに
することだった。

その人物は、西山夘三(1911−1994)という。
京都大学工学部の教授で建築学者である西山は、主に戦時体制の中で当時はまだ研究が本格的に行われていなかった「庶民住宅」の研究を完成させる。

とにかく西山は、自分自身でまちを歩き、実際に住宅を調査して、その住宅内の居住実態を掴んでいった。
そしてとにかく記録をとった。メモ、日記は当然のことながら、写真やスケッチも大量に残している。
生前、西山が残した史資料は京都に保存されているが、その数は二十万点を超える。


一人の学者が残した記録としては異例の多さで、その研究モチベーションは常人ではない。

西山が行った住宅調査は、「住まい方調査」といわれ、現在の民間住宅産業もその手法を取り入れている。そのような住宅調査の中で、西山は狭い庶民住宅内で一定の居住法則性があることを明らかにする。

それが、「食寝分離」であった。

これは狭い住宅内おいて、食べる所と寝る所を意図的に区分して暮らす居住実態を指す。
西山はこの居住実態を実現する住宅を建設するため、戦時体制下において国民の住宅建設を担った住宅営団の一技師として、「食寝分離」が可能な庶民住宅(最低は二部屋必要とする住宅を指す)を大量に建設することを訴えた。

これは戦時下において庶民住宅がどんどん切り下げられていく状況を前に、西山が自身の住宅調査によって実証されたデータに基づき、科学的な裏づけをもって、そのような状況を打破しようとする試みであった。

しかし、戦時体制下において切り下げを行うことはあっても、以前より規模の大きな住宅(西山の提唱する住宅)を建設するということは実現しなかった。

結果的には、戦後になって日本の公団・公営住宅に西山の提唱する「食寝分離」の住宅が採用され、日本でいっせいに建設が始まるのであった。特にこの住宅内におけるDK(ダイニングキッチン)は、西山の研究成果が参考にされた一例である。


帝国大学の教授というと、邸宅建設や大会社、国から依頼された建物を設計していたことはあっても、庶民住宅には関心を持たなかった時代にあって、西山は関心をもった。

そしてその研究を推し進め、結果的に日本で第一人者となる庶民住宅の研究を完成させ、戦後にも大きな影響を持つ住宅研究の成果を残した。



そのような姿勢や、研究視点に、当時修士課程の僕は強い関心を持ったのだ。
いやもっと正確にいうと、卒論でも僕は西山を扱っていた。
西山の強い研究動機と、庶民住宅研究へ向かった背景(思想)をとにかく色々と調べてみたいと思った。


今思えば、「思いつき」でとにかく突き進んだ研究だったともいえる。

でも今の僕が持っていない、研究対象に向かう純粋さのようなものがある。


そんなことを思い出しつつ、研究書を読みながら今後の研究テーマをどうするか頭をひねっている最中。

他の院生の方、博論を書く時はどのようにテーマを決めたのでしょうか???

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