『私たちの40年!!』関連BLOG2

あるぜんちな丸からブラジルへそして世界に

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≪思いつくままに(6)≫  砂古さんの第6回の原稿が届きました。


52年着伯当時のドル相場は公定が確か 17クルゼイロス位で、闇相場は20を少々上回る程度だったと、うろ覚えがあります。其のあとも伯貨は徐々に下落を続けました。ブラジルは大戦中の漁夫の利で得た余裕は早く失い、すでに財政困難の途上にあり、輸入業者は伯銀に申請する許可制度でしたが、それ以外に、伯銀の売り出す外貨にágioを上乗せするオークションで手当する、つまり輸入抑制の間接制限を受け始めました。輸入面では実質的には公定廃止です。                                               


それでも、凍結解除後に再発足して2〜3年程のカーザ東山は、農業用の噴霧器や散噴器等の輸入が次第に増し、人材不足になって、大使の満期を待たないで、砂古を引き取りたいと言う話がサンパウロから起こったのです。当時は日伯両語で事務の出来る20〜30才の2世は皆無でした。日本語が話せる夜間中等学校在学生は結構いましたが。                             53年12月にはサンパウロ行きになりました。 ホテル滞在の長い期間は寝食ともに御の字でしたが、公邸に移ってからも、日本から呼んだコック夫婦の作った昼夜の食事つきは、僕には有難たいものでした。                                                         


無理して給料の一部でも貯め、当時遥か彼方に Recreiode Bandeirantesを望む広大な灌木草原と 湿地&水以外には家一軒見あたらなかった Barra deTijuca に土地少し(lote)でも買っておれば、今はリオ一番の特等地に変貌したので、いい資産になったと思いますが、若い時はそうもいきませんね。  。 


イパネマにはコパカバーナの ポスト 6 辺りから曲がり込んだ初めの辺りだけ少し高層ビルがあって、あとは商店と民家がチョロチョロ、その先のレブロンに至っては大邸宅だけが、それも疎らに存在し、そよ風を受ける椰子とで優美な風景を構成していました。 

                       

53年の9月ごろ、大使の家庭でも予定が変わって大使夫人の娘さんを急きょ休学させて、ブラジルに呼び寄せ、私用車を購入、娘さんが運転を始める予定となり、大使夫人はブラジル生活に心強さを感じ始められる段階でもあったと思います。サンパウロの申し出に合わせて私の通訳なしも、又良しと考え直される時期でもあったのでしょう。 ダウンタウンでの郵便局などの雑用は、蜂谷商会の篠又君のアルバイトに委任し、その代わりに毎夕、公邸でコックさんの作る夕食。この条件は篠又君にとっては実に有難かったと、今でも毎月、少なくとも4回会う彼も回顧します。


その娘さんが横浜のフェーリス女学院に復学した時、偶然にも私の家内が一年後輩でした。日比谷公園の前角にあった第一通商(のち三井物産)を辞めて移住したいと言う理想主義の父親の家族問題を抱え、家内はその娘さんにブラジルはどんな処か?と伺いに行ったと言います。 父親の移住希望の動機の一つは、東山の総裁の山本博士の東大農学部時代に顔見知りで後輩だった、戦前の移民で、リオの郊外、車で2時間の高原都市 Nova Friburgoの日本人パイオニアといわれ柿園をやっていた、家内の伯父の春日家の呼び寄せ形式の手段があったからです。其の伯父は柿園を買ったまま、叔母に任せ、戦前の鐘紡アマゾン移民の農業指導に呼ばれ何年か家を空けていた人です。                                                                


1999年に外語同窓会の銀座事務所で50点のブラジル風景水彩個展をした時に我々2人は君塚さんの娘、晴美さんと再会しました。彼女は美人で解放的でポジティブな性格でしたが、オールドミスに見受けました。 バレーで尚活躍中との近況。そう言はれれば、大使の希望で、彼女のサイズのバレーシューズを探し求めて、イタリア製を見つけて郵便局で発送した事を思い出しました。 

 


リオの日本人社会 については、戦前派の白土貫治、蜂谷吾輔、後藤武夫、画廊の長澤栄三郎と丸木さんが世話になった二テロイの眞木さん(戦後渡来)、5名に触れましたが、主なところで紹介漏れは、横浜正金(東京銀行)の唯一残留戦前駐在員の大谷氏と経理担当だったとかの長身のテニスの上手い紳士の渚さんの2人に、ブラジルではおそらく初めての日系大手工務店(二テロイ)の山縣3人兄弟。この3男、富士男さんは戦争を挟んで日本留学で暁星〜慶應に学び、後にサンパウで我が家の近くに居を変え、戦後のコローニヤ・テニスへの貢献者で私の家族もテニスを通じ大変世話になりました。それに山縣グル―プの別部門のカーボフリオの塩田の責任者だったかの福井さんでした。 戦後派では、そのころ篠又君以外に は、戦争前に引 き揚げて、石川島が引き渡したサルテ 号乗船通訳(石川島の責任技師とブラジル乗組員との間の)で来伯して定着した、私の外語先輩、高橋定太郎氏くらいで、他に一時的に訪伯滞在中の多賀、落選代議士。ほぼ以上がリオ・二テロイの日本人社会で知られた人達でした。日本人は55年ごろから少し増え始め、60年頃からうんと増えたのはないでしょうか?


今回でリオ編を終わりますが、君塚さんの大使としての功労は、正金(東京)銀行など凍結資産の解除以外に、アメリカの資金と日本の労働力でブラジルを開発する案を持って、NYに飛び、訪米中の吉田総理と2時間懇談陳情し、それが対米借款による移住振興会社JAMIC設立となって実現した事にあるのは一般には知られていません.                                          


しかも、遺憾なこと14年前に、サンパウロの移民資料館で戦後初代の大使の紹介の寫眞が間違っていたのを発見したのです。 応対者は二世のMuseologista、しかも彼女が其のディスプレイへの資料選択の責任者だったらしいのです。寫眞の内容は、明らかに1930年前半頃のもので、東山農事の本社重役夫妻が中央に座っている訪伯歓迎の記念写真で、君塚夫妻は最前列の両端に座り、若き頃の農場長山本さん(山本博士、初代文協会長)や後藤武夫さんその他スタフが2列目3列目に立つ寫眞でした。予算がないとの理由で、右端の君塚さんに赤丸を書きこんでの一時解決でした。それが数年で薄くなって消えてきた頃、 和田さんが博物館行きと褒めて頂いた寫眞を持ってK委員長 と交渉 しましたが、それは慇懃無礼で一年間私を振り回し未解決で、辞任。


再度申し入れてあった、後任の森口委員長から、寫眞をアクリル板・ディスプレイに貼り付け技術面で解決が付かなかったので別方法ででも遂行仕上げるから安心してくれとの確言を、ついこの土曜日に連絡受け安堵している処です。


19553月の中ごろに、君塚大使は予定より早く帰国される事になりました。 吉田内閣の退陣で、吉田、林衆議長への情誼から辞意を表明したものです。私は公邸の後整理のためリオへDC-3で飛び、大使の出発はカーニバルのど真ん中でした。画廊の長澤さんがマドロス仮装でガレオン空港に昼間見送りに来たのが目立ちました。其の夜は蜂谷の篠又君とfooting で誘った若いモッサ3名モッソ1名合計6人で、当時のフラメンゴのクラブハウスのカルナバルで踊りました。伊豆山さんが毎年欠かさないサンボドロモがなかった頃です。 footingとは、フラメンゴやコパカバーナの海岸通り、 Cateteの広場などで、夕刻〜夜にかけて若い人がそぞろ歩きして、話し相手や恋人探しのチャンスを求める、当時の風習で、解放的な雰囲気のサントス海岸通りや、昼間は暑いが夕方気温が気持よく下がる奥地のバウルー のような都市にもあったようです。


公邸のベランダでの、大使夫人と晴美さんの寫眞を添付します。国旗も入れるために、上向きに撮りました。 Pão de Açucarのほんの一部が夫人の腕の右にかすかに覗いています。
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閉じる コメント(7)

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砂古 さん
思いつくままに(6)有難う御座います。自己紹介とリオ編は今回で終了ですか。この次から舞台をサンパウロに移しCASA TOZANを中心に商活動で活躍される砂古さんの御話を聞かせて貰える事になりますね。大変楽しみです。
当時のリオの日系社会の戦前派のお一人として紹介されておられる横浜正金(東京銀行)の唯一残留戦前駐在員の大谷氏の名前が出ていますが、実は1962年のあるぜんちな丸でサントスに着き2年間ブラジルと近隣諸国をほつっき歩いた私はリオで大谷さんのコパカバーナのマンションの女中部屋に数日御世話になった事があります。確か海外協会連合会(海協連)の現地責任者として移住者のドルを管理しておられ何かと文句を云う移住者もいましたが奥さまお嬢さんとも優しい方で色々御世話を頂きました。懐かしい方々です。

貴重な写真と共に下記BLOGに掲載して置きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35577121.html

2015/2/2(月) 午前 9:35 [ 和田好司2 ] 返信する

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砂古さん、和田さん
井川です
文中に懐かしい方のお名前を拝見しました。海協連代表だった(?)大谷さんです。
私も和田さんと同じく、大谷さんのご厚意で、1963−64 リオのFLAMENGO海岸近くのRUA DO CATETE のビルのワンフロアを無料でお借りし、拓大佐藤和男助教授(当時)と二人自炊生活を送りました。大谷さんは学生だった私を方々へ連れまわして、いろいろな偉い人に紹介してくださいました。また、大谷さんのご依頼で、帰国後東京へ留学中の娘さんと赤坂でお会いしたこともあります。

2015/2/2(月) 午後 10:02 [ yoshijiwada ] 返信する

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リオは青春の思い出がいっぱいの懐かしい街です。空手の田中、瓜生両先輩にもお世話になり、ボアッテやマンゲの色町へもよく行きましたし、ニテロイにいたヨット仲間のシュミット兄弟の船であちこちへ航海したのも良い思い出です。できればもう一度ゆっくり訪れたいのですが、家族の介護などで、もう十年もごぶさたしています。
ファベイラへも入れるようになって、日本の若者が住みついているそうですね。
伊豆山さんがカルナバルでサンバを踊られるのをぜひ見たいですね。
またいろいろリオの様子を教えてください。

2015/2/2(月) 午後 10:04 [ yoshijiwada ] 返信する

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丸木で〜す

ひょっとして、砂古さんのコックさんは多田さんではなかったでしょうか。ニューヨークの日本クラブで働いてた頃に同じアパートから一緒に通勤してた多田さんが田附大使のコックしてたそうです。去年、フェリス女学院中学に甥の娘が入学しましたが、高校大学まで無試験で進級できるのでしょうか?

2015/2/2(月) 午後 10:17 [ yoshijiwada ] 返信する

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丸木さん、

コックさんは片平と申しました。

トコロテン進学かどうか存じません。 家内は、アメリカからの有名建築家で近江八幡に住み、新教を普及したボーリスさん直々の3代目の新教クリスちゃんで、高校は、矢張り横浜の別のミッションスクールでした。 戦前、父親が三井で北京に駐在していた5歳の時にピアノを買って貰ったそうです。北京では小澤征爾家族とも付き合いがあって、征爾の兄さんには教会で可愛がられたそうです。
以来馴染んだピアノ科に進みたかったので、フェー リスを受験しました。 そのピアノは、下船のリオの税関に一時預かりのまま行方不明でどうにもなら無かったそうです。

和田さんが大谷さんの家に世話になった頃は、ニテロイからコパカバーナへ移っておられたのですね?
後リオに駐在員が増えた頃、奥さんはピアノの斡旋・売買をされていたと聞きました。大谷さんは関西弁で気楽な方でしたね。 〜するわいなー と聞いた声を思い出します。

2015/2/3(火) 午前 10:40 [ 和田好司2 ] 返信する

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井川さん、

僕もリオはすごく懐かしいです。二テロイとフリブルゴに家内の親戚があるのですが、7〜8年前に行ったのが最後です。家内が今年で Nova Friburgo に着いて60年になるので、今年は二テロイとリオも含めて訪問しようかと言っております。

Hotel Novo Mundo は、今は知りませんが、あの頃は入ってすぐにバーがあり、大谷さんと飲んだ記憶があり
ます。気取らないひとでしたね。 あのホテルの横が 地味なSilveira Martins でした。Catete は 始めのほうから S.Martins の角との間は家具屋が多かったです。 Largo de Catete に近くなるほど雰囲気が良くなって、 footing が盛んでした。

瓜生さんはサンパウロで聞いたか会った方ですが、同じ人でしょうか? 帰国された記憶があります。 はっきり覚えていませんが、ブラスコット社?だったかもしれませんが・・・

2015/2/4(水) 午前 3:50 [ 和田好司2 ] 返信する

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砂古さん
井川です
瓜生定さんは、リオで(たしかVila Isabelというような場所で空手の道場を持っておられました。
ブラジル空軍の兵士に空手を教えておられ、アマゾン川へパラシュートで降下しておられました。もうお一人の田中康隆さんはかつてのブラジル・チャンピオンで大統領からスポーツ功労者として名誉賞を受けておられます。いまもTIJUCAに道場があるはずです。その他、リオには懐かしい方々が多いので、ぜひまた訪れて、再会を果たしたいと思います。

2015/2/6(金) 午前 10:28 [ 和田好司2 ] 返信する

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