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あるぜんちな丸からブラジルへそして世界に

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《ブラジル》銃規制緩和に「待った」=上院本会議が大統領令拒否=大統領は代替案の検討開始 ニッケイ新聞WEB版より

上院本会議の様子(Fabio Rodrigues Pozzebom/Agência Brasil)
上院本会議の様子(Fabio Rodrigues Pozzebom/Agência Brasil)

 上院本会議で18日、5月に出た、銃の入手や携行に関する規制緩和に関する大統領令が否決されたと18、19日付現地紙、サイトが報じた。
 銃規制緩和に関する大統領は1月と5月に出ており、今回は5月に出た大統領令が、47対28で否決された。
 5月7日に出され、22日に一部改定された大統領令は、スポーツ射撃の選手や猟師、収集家の他、任期中の議員や弁護士、判事、トラック運転手、警察関係の報道を担当するメディア関係者など、20の分野の人に銃の携行を認めている。

 また、農業生産者が猟も行っている事を証明した場合にのみ、銃身が1〜2本の銃の携行許可が出ていたものが、森林や農地の開発、牧畜、農産物加工業などに携わっている場合にまで拡大された。
 銃弾の購入数も、年50発が、通常の銃については年5千発、使用が制限されている銃でも1千発に拡大された。
 また、銃所有登録と銃の携行登録は、銃単位ではなく、所有者単位で行い、従来の倍の10年間有効とされた。10年以上在籍している軍兵士や警察官も自動的に携行を認める事になっていた。
 さらに、18歳以下の未成年者がスポーツ射撃を行う場合も、裁判所の許可は不要となり、責任者の1人(通常片親)の許可だけでよい事になった(この項目については最低年齢を14歳とする事が加筆された)。
 ボウソナロ大統領はこれらの大統領令は国民の要望を受けたものだと主張し、上院憲政委員会が12日に15対9で否決した後も、あらゆる手段で上院議員に承認を促し続けた。だが、大統領令に反対する議員への暴行や脅迫といった出来事さえあった後も、上院内の機関が出した違憲とすべき項目を含んでいるとの判断を踏まえ、大統領令を否決した。
 同大統領令は今後、下院での審議に回され、そこでも否決されれば効力を失う。現時点では下院でも同令否決の機運が高いと見られ、ボウソナロ大統領は、連邦議員が提出済みの法案承認か、議会の決議に疑問ありとして最高裁に訴えるといった代替案を検討中だ。
 今回の上院での大統領令否決は、現政権最大の敗北だ。この事実は、議会が立法府としての役割を持っている事をもう一度、政府側に示した。
 また、選挙ではボウソナロ氏を支援した議員達の多くが、国民の命という命題の前では政府に反旗を翻した事も明らかになった。年6万5千人が殺されている事や、より多くの銃がより簡便化された管理体制の下に置かれる事の怖さを、議員達は忘れていない。
 26日には最高裁が銃規制に関する大統領令の違憲性を問う審理を行うが、その直前に大統領令を否決した事は、議会も法的な視点で行政府の行動の可否を判断する力を持っている事を明示したといえる。

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身近なアマゾン(39)――真の理解のために=ウォーレスの150年前の記述=ネグロ川、今と同じ状態 ニッケイ新聞WEB版より

 □探検採集人ウォーレスとアマゾン盆地(2)
 しかし、二〇〇三年の春だったか、偶然の出会いなのか、「アマゾン探検記」という本を見つけたのだ。その本の著者がこのウォーレス氏で、目次をみてみると、そこにはネグロ川のことが満載されていたのだ。
 今を遡ること百五十年、その時代にすでにヨーロッパ人がこの秘境の土地を訪れて採集活動をやっていたことを知った。驚きであった。
 しかし、その翻訳文を読み進めてゆくと、現在となんら変わらない事柄の連続で筆者はうれしくなってしまった。
 現在のマナウスは、当時はまだその名はなく、バーラという地名で呼ばれていて、ここに辿り着くまででも非常な苦労をしている。そして食べ物なども、現在のように簡単に手に入らないようで、苦労してインディオからキャッサバの粉(ファリーニャという)を分けてもらって、つましやかに食っている姿が表現されている。
 そして、舟でネグロ河を朔上するためにインディオを雇い、ヘモと呼ばれるオールで手漕ぎで川を上がってゆくのだが、現在と同じようにインディオに逃げられたり、お金を騙し取られたりしているのが書かれており、現在と何も変わっていないことが読み取れ、当時もヨーロッパ人でも同じ苦労を味わっているのか、と思うと、このウォーレスさん(ここではあえて、「さん」付けで)という人にとても親しみを感じてしまうのである。本題に掲げた「身近なアマゾン」という感じがしてくる。
 ウォーレスさんという人が、どこにでもいるブラジル人の隣人のような存在となって、筆者に呼びかけてくるような気持ちにさせられてくる。
 探検記を読むと、当時のネグロ川は今のそれと全く同じ状態で何も変わっていない。しかし、このウォーレス氏の旅にはオチがついていて、筆者には涙なしには語れないのだ。
 四年の歳月をかけて大金も遣って、涙ぐましい仕事をして集めたインコを主体にした獲物や資料を持って英国への家路についたのが一八五二年七月二日。ベレンでようやく船を見つけて全てを積み込んで船出するが、船がバーミューダ海域に達した時限で、火災が発生、数本のダンボールを残して、大半の資料と獲物はすべて大西洋の藻屑と消えてしまう運命をたどることになる。
 本人と少量の資料は、不幸中の幸いで、二週間近く大西洋を漂流したのち、幸いにも付近を通過した船に助けられて、英国に十月一日に帰りつくことになる。
 そんな不運なことが起こったので、探検記も情報も全てウォーレス氏の頭に残っていた記憶からのものとなった。ダーウインはウォーレス氏のことを無能扱いに近い評価しか残さなかった、という記録がある。
 ダーウインの彼に対する期待の大きさと、落胆の大きさを如実に表しているような歴史上の事実があった、ということなのだろう。つづく (松栄孝)

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≪県連ふるさと巡りカリフォルニアの旅のお土産≫同船者小山さんからのお便りです。


皆様ご無沙汰してしまいましたが、その後如何でしょうか。


何時もリベルダーデ界隈でブラブラして居る小山です。


(このメールの宛先はbccで送っています。皆様のお名前は表記されませんのでご了承ください。)


さて私は、4月にブラジル都道府県人会連合会(県連)主催の『移民の故郷巡りの旅』で北米カルフォルニアに行ってきました。

主な訪問地はロス・アンジェルス市、大戦中に日系人が強制収容されたマンザーナ日系人強制収容所跡、ヨセミテ国立公園、サン・フランシスコ市でした。


ロスの日本人移民史料館を訪問した際に頂いたDVDには、日系アメリカ人で有り乍ら敵国人と差別され、我慢出来ずに、アメリカに忠誠心を見せる為にあの442部隊に志願、ヨーロッパ戦々で右腕を失い、凱旋帰国後は連邦議員として活躍、最後には副大統領、

上院議長に次ぐ大統領継承権3番目の地位まで上り詰めたダニエル・イノウエ氏、コロラド州知事で政治生命を懸けて日系人擁護に尽くしたラルフ・カー氏、あの9.11事件の時の運輸長官で米本土生まれでは最初の日系連邦議員ノーマン・ミネタ氏3氏の物語の日本版が有りましたので、MP4形式で纏めてギガファイル便で送りますので、関心がある方は下記URLをクリックして下さい。


WIFIの環境に依り一概には言えませんが、私の場合、パソコンでの実測値10MBの時で30秒、4MBの時で75秒でダウンロード出来ました。


また、スマフォでのダウンロード状況確認はしていません。


手始めにダニエル・イノウエ編を送り、1週間ごとに順次ラルフ・カー編、ノーマン・ミネタ編を送ります。


https://33.gigafile.nu/0706-pa5c957d829b6b8e2d26a84cad39542fc をクリックしますと


下記の画像が現れますので、下のほうにスクロールして赤い字で説明しています⓵②の順で操作してください。


1分程したら、動画はPCのダウンロード・フォルダーに自動的に保存されまので、ワシントンへの道を開いて


ご鑑賞下さい。 


尚、不明な点等ございましたら私宛にメールしてください。  小山


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身近なアマゾン(38)――真の理解のために=命がけの採集仕事だった=ダーウィンの助手?=「ウォーレス線」で名残す ニッケイ新聞WEB版より

2007年4月12日付け
 探検採集人ウォーレスとアマゾン盆地(1)
 一八五〇年代に活躍したダーウイン。「種の起源」という科学原論のような進化論を発表した有名な学者である。
 生物学を志す学者の出発点のような存在であるが、彼がその論文を発表するまでの過程は、大変なものだっただろうと思う。当時は、宗教の流れに逆らう者は極刑に値した時代だからだ。科学を研究すること自体、命がけだったと思えるからだ。
 そんな彼の論文を支える助手的存在だった一人に、ウオーレスという学者なのか採集人なのかよく分からない男がいた。本名をアルフレッド・ラッセル・ウォーレスという。筆者も高校時代に生物の時間に「ウォーレス線」という生物境界線の存在でこの人の存在を知っていた。
 インドネシアのバリ島とロンボク島の間で区別される、という種の区別線ということで知られている。この線でアジア系とオーストラリア系に区別されるという。オーストラリアには有袋動物が存在するが、アジアにはいない、その境界線ということなのだろう。その他カモノハシとか魚類ではハイギョなども特産。
 当時の現地状況を考慮すると、ウォーレス氏が採集人でなければ、このような境界線は見つけられないはずで、新しい何かを見つけようと必死になっていたことが想像できる。命がけの仕事でなければ、このような発見は難しいと思う。
 机上の学問では、新種、別種の発見はできないという物理的要素があるからだ。
 収穫物を祖国英国に持ちかえって、ダーウインさんあたりと収穫物整理しているうちに、採集区分理論を推し進めたら、偶然このラインが浮かび上がってきたのかもしれない、というような想像をしている。
 ウォーレス氏は一八四八年から一八五二年までの四年間、アマゾン河流域に入っている。正確には一八四八年五月二十六日アマゾン河口ベレン辺りに到着し、一八五二年十月一日祖国英国に帰り着いている。同じ頃に、同僚のベイツというもう一人の採集人が同じくアマゾンにはいっている。ウォーレス氏は何を思ったのか、滞在の半分くらいの時間をマナウスから北上しているアマゾンの一大支流ネグロ川に入っているのだ。
 一九九四年頃、初めて筆者はネグロ川に入った。その後、今年二〇〇七年で十三年目となるが、ネグロ川には合計五十回以上かよっている。一回の滞在期間が平均十日としても、五百日以上延べ二年ちかくネグロ川にいる計算になる。
 特に二〇〇一年には、現地のインディオ先生に依頼されて、コロンビア国境のブラジルが終わる地域までインディオ調査にでかけている。そんな経過を経て、日本人というか、インディオ以外の文明圏からきた人間がこのネグロ川上流地域に入ったのは、筆者が初めてであろう、という意識があった。  つづく (松栄孝)
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≪南米カップ日本対ウルグアイ戦観戦≫ 榎原さんからのお便りです。

榎原:皆様 昨夜行われた南米カップ日本対ウルグアイ戦を観戦しました。日本のチリとの第1戦試合が余りにも不甲斐ない内容でしたので、余り大きな期待をせずに出かけましたが、中々どうしてわざわざ競技場まで観戦に出掛けただけの価値あるエキサイティングな試合でした。私は昔からサッカーは球技であると同時に格闘技でもある集団スポーツだと思っていて、その意味では昨夜の試合は格闘技を観戦している気持ちにさせてくれる見ごたえのある試合でした。しかし、世界トップクラス同士の戦いと比較すると、昨夜の試合はさも経験不足と体力が劣る格闘家対経験豊富で強靭な体力の格闘家の戦いそのもので、世界のトップレベルに到達するにはまだまだ時間がかかるだろうとの印象を持ちました。しかし、試合開始直後から日本チームはペースをつかみ格上のウルグアイチームを90分間本気にプレーさせた試合は、賞賛に値する素晴らしい試合内容だったと思います。そして、同時に若い日本人選手にとっても収穫の多い試合になったことでしょう。それにしても、矢張りウルグアイチームは世界ランキングの上位チームだけあってバランスの取れた良いチームに仕上がっていて、ブラジルやコロンビア辺りと優勝争いを繰り広げることになりそうなチームでした。


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日本の第3戦は来週頭の対エクアドル戦ですが、この試合に日本が勝利すれば次のステージベストエイト進出の可能性も出て来たので見ごたえある試合になると思います。対戦相手のエクアドルは今日の対チリ戦に敗れた場合は、結果的に月曜日の対日本戦は消化試合となり対戦相手日本が勝利する可能性が高まることになります。是非、第3戦も良い試合をして勝利し次のステージに進んでくれることを期待しています。



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