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5月12日母の日合同礼拝でした。大勢の人がこの礼拝に参加しました。わたしの母も参加してくれたので感激でした。こどもたちの合奏も明るく元気なものでした。参加した全員が元気をもらって、週の最初のスタートをきりました。お花やお菓子のプレゼントもありました。ハレルヤ!
(説教) 「 な る が ま ま に 」 2013.5.15
−母の日礼拝ー
ルカによる福音書1章38節
ヨハネによる福音書14章1節 坪内 時雄 伝道師
【はじめに】
20世紀の初めのころに、アメリカ合衆国にアンナ・ジャービスさんというクリスチャンの婦人がおりました。アンナ・ジャービスさんのお母さんもクリスチャンでした。アンナのお母さんは、教会学校の教師をしていました。アンナも教会学校でお母さんから、よく聖書のお話を聞かされていました。やがて、アンナのお母さんは、天に召されました。母が召された後、アンナは、母を偲んで、教会で母の追悼会をしていただきました。追悼会の後にアンナは生前の母が大好きであったカーネ―ションを準備して、礼拝に参加してくださったひとりひとりにカーネーションをプレゼントしたのです。そのことに感動した百貨店王ジョン・ワナメーカーは5月の10日に400人あまりの子供たちと、そのお母さんを招待して、お母さんに感謝するイベントを開きました。そのことは、やがて全米に広がり、アメリカ議会でも取り上げられて、5月の第二日曜日を母の日と定めたのです。その運動は海を越えて、やがて私たちの日本にも伝えられるようになりました。
【聖書】 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。おことば通り、この身になりますように」(ルカ1:38)
1、マ リ ヤ
誕生日は、みんなから、おめでとうと言われたりして、楽しく、うれしい気分になります。我が子の誕生日の場合も自分の誕生日のように、うれしいものです。マリアも、天使から、おめでとうマリヤ(恵まれた方)と言われましたが、マリアの場合、楽しく、うれしい気分にはなれませんでした。楽しく、うれしい気持ちとは異なる、戸惑い、恐れ、という状態になりました。恐れているマリアに対して、天使ガブリエルは、「恐れることはない・・」と声をかけます。聖書の中には、天からの働きが人間にある場合、よく、恐れるな、とか恐れることはないということばが使用されます。正しい人であった祭司ザカリヤの場合もそうでした。人間は正しい人であっても、戸惑い、恐れることをしてしまうものです。ところで、正しい人とは、どういう人なのでしょう。聖書が正しい人というときは、神様との関係ということが大事になってくるのです。いつも心と体が神様に向いているかどうかが大事になってきます。人間には欠けがあり、弱く、失敗をします。神さまが喜ばれないことをしてしまうことがあります。神様に背を向けて歩んでしまうことがあるのです。しかし、そういう欠けや失敗のある人であっても、神様は悔い改める人を正しいと受け入れてくださるのです。(神様との正しい関係=和解)さて、お話を元に戻します。正しい人でも戸惑いや怖れを抱いてしまいます。ナザレという小さな名もない村に住んでいるマリアも例外ではありませんでした。ひどく戸惑っているマリアに対して、天使は「恐れることはない。マリヤ、あなたは神から恵みを受けたのです。」・・「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」(ルカ1:31)と告げるのです。しかし、マリアはまだ、うれしいという気分にはなれませんでした。「わたしはまだ男の人を知りませんのに」と言います。マリアは、イエス様をお腹のなかに受け入れる前に、とても不安でした。天使からあなたは男の子を産みますと言われても、こころから喜べませんでした。マリヤはまだ結婚もしていませんでしたから、マリヤが身ごもるということになったならば、マリヤは不貞の女性とか言われて、みんなから忌み嫌われ、差別されて、困難な生活をしなければならなくなってしまいます。天使はマリアのそういう気持ちを知って、言います。「神にできないことはなにひとつない」と。平たく言えば、神さまがそうなされるのです。と天使はマリアに語るのです。神様はマリヤのことをよく知っておられ、必要をなにかも知っておられます。そのことはマリヤにはよく分かっていました。「自分なんかにできるのかしら」とマリヤ自身が思ったとしても、神様が与えてくださるものを受け取るのに充分だと教えていてくださるのです。マリアは「ほんとうにわたしは主のはしためです。どうぞ、おことばどおり、この身になりますように・・」と言います。はしためということばは、へりくだった言い方で、自分は取るに足りない者の意が、主に対する彼女の謙遜の気持ちが現れています。神様が言われることだからと、かみさまのなさることにお任せすることが最善であるとして、なるがままにされたのです。マリアはみごもってから、親戚のエリザベツのところへ行きました。エリサベトはみごもってから早、6ヶ月にもなります。イエスさまを宿したマリヤがエリサベトのところにやってきたときにエリサベツの胎内で赤子が喜び踊ったのです。人間のいのちは、おかあさんのお腹の中にいるときから始まっています。おかあさんが喜ぶときに、おなかのなかのあかちゃんも喜ぶそうです、おかあさんが不安でいるとき、あかちゃんも不安な気持ちになるようです。以心伝心というかエリサベツさんのお腹の中にいるヨハネさんもイエスさまのお誕生をこころから喜んだのです。エリサベツは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人はなんと幸いなことでしょう。」と言っています。マリアは、夫ヨセフに見守られ、男の子を産みます。いくつかの試練を経て、マリアは夫と共に旧約の律法に従って、エルサレムの宮に詣でます。宮にはシメオンとアンナのふたりがいました。高齢のシメオンは、幼な子を腕に抱き、神に感謝をささげ、幼な子の使命について語ります。「異邦人の啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです・・あなた自身も剣で心を刺し貫かれます・・」と言われ、驚き、このことばをマリヤは深くこころに留め置きました。このときから、およそ12年経て、過ぎ越しの祭りに詣でたときに少年イエスとはぐれてしまったときに少年イエスから「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われ、そのことについて、マリアはよく分からなかったけれども、事の始終を心に納めていました。主は信頼できるお方、なるがままにとの信仰が働かれたと思います。我が子を生んでおよそ30年を経て、我が子は家を出て生活をするようになります。カナの婚礼の時でした。息子から「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と言われます。この時も、 |

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