|
《礼拝説教》「幸いなるかな君 良きかな君」 2013,08,25
詩編128
去る8月19-21日に開催された日本キリスト伝道会主催の「日本伝道の幻を語る会」は豊かな祝福の中に閉じられました。特別講師は池田博先生、石田学先生、守部喜雅先生でした。それぞれ違った角度で、示唆に富んだ講演でした。深谷牧師が実行委員長、湯目瑞枝姉が今年から事務局で奉仕、本江姉がファミリーアワーの奏楽をしてくださいました。感謝します。
人間は社会的な存在です。「人」という字は人と人とがささえあう形です。かつて第二次大戦中にヒットラ−はたいへん残酷な実験をしました。赤ちゃんを母親から隔離し、栄養分は与えたが、お母さんの愛、すなわち、だっこすることや、スキンシップを与えないとどうなるかの実験でした。愛に飢えた赤ちゃんは次第に食物を受け入れなくなり、嘔吐しはじめ、衰弱し、生きる望みを失い、死んでいったというのです。もちろんこのような非人間的な実験が許されるわけではありません。現代日本はまさに空前の繁栄を誇る物質文明のただ中にあります。しかし、多くの魂は愛に飢え、傷ついています。暖かい愛の家庭を築くことは人生を切り開いて行くうちでも最も大切なもののひとつです。
【この詩の解説と区分】
この詩は宗教改革者マルチン・ルタ−が愛して「Epithalamium」(ラテン語で「結婚の歌」)と呼び、内村鑑三も「世にこれに勝る家庭歌あるなし」と絶賛しています。
人生巡礼の歌と言われる「都上りの歌」の中で、127編と128編の家庭を歌った歌がほぼ真ん中をしめることの意味は大きいと思います。それは人生は愛し合って生きること、家庭を大切にし、あるいは神の家族としての愛の共同体を大切にし、その交わりが人生の中心的な要素であることを示唆しているのでしょう。
この詩は大きく3区分できます。
1節 主を恐れる者の祝福。
2−4節 家庭の祝福と子宝の保証。5節も含めて「7つの祝福」(CEローガンによる)。
5−6節 「シオンから」下る祝福。
【メッセージのポイント】
1)1 いかに幸いなことか
主を畏れ、主の道に歩む人よ。(1節)
⇒幸いなるかな!主を畏れ、主に道に歩む者。
この詩編の冒頭は「幸いなるかな!」という感嘆にも似た祝福の言葉で始まります。それは詩編1編や山上の説教と同じです。「幸いなるかな。すべて主を畏れる人。主の道に歩む者!」。人生巡礼の歌のほぼ中央に位置するこの詩編128編は、聖書的な、人生へのメッセージが込められていると思います。そのような意味で、この詩編の冒頭の聖句は重い意味を持つと思います。長い信仰生涯を歩んだこの詩人は、「幸いなるかな!(アシュレー)」という言葉で、神から与えられる人生の豊かな祝福を、深い感謝をもって歌い始めます。深い深い、人生への肯定の言葉です。
それでは、幸いなる人生とはどのようなものなのでしょうか。それは「主を畏れる人、主の道に歩む人」です。
信仰とは神を畏れる生活です。罪とは神を畏れないことです。箴言1章7節にも「主をおそれることは知識のはじめである」と記されます。真理を侮ることは恐ろしいことです。
4節でも「見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。」とあります。幸いな人生は主を畏れることです。
かつて日本が戦争で中国や韓国に攻め入った時、その地域の勇気あるクリスチャンが「わたしは神以外の者は何をも恐れない」と死を賭して戦いました。その時のある日本兵の言葉「わたしは神をも恐れない」。そして彼らは恐ろしい殺戮を行ないました。神を畏れることを忘れる時に、人は人間の尊厳を忘れるのです。
ある幼稚園の標語「神を畏れることを忘れた教育は、賢い悪魔を造る」とありました。
2)2 あなたの手が労して得たものはすべて
あなたの食べ物となる。
あなたはいかに幸いなことか
いかに恵まれていることか。
3 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。
食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
4 見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。(2-4節)
⇒主に従う者に与えられる7つの祝福。
2節の3行目で再び「幸いなるかな!」の感嘆の言葉があります。ここには、主を畏れ、信仰の恵みの中を歩む信仰者への祝福の言葉があります。今日の説教題として取らせていただいた「幸いなるかな君、良きかな君」という言葉は、2節の関根正雄訳です。私訳を説教題とするのはあまり多くはありませんが、この詩人の祝福の感動を率直に表現した名訳と感じるのでそのまま記させていただきました。
「幸いなるかな君、良きかな(トーブ)君」という祝福の言葉は、詩編全体の指し示す信仰者への愛情のこもった表現、それは、詩編のみならず、聖書全体の信仰者への最高の賛辞と思えてなりません。わたしども、この主の「幸い(アシュレー)と最善(トーブ)」の中を歩みましょう。
C.E.ローガンという宣教師の詩編注解がありますが、そこには、この詩編には7つの祝福が込められていると説明がなされています。
① 魂の幸い、なんと恵まれていることよ
② 勤労の祝福
③ 平安と健康 心身ともなる健やかさ
④ 妻の愛とこまやかな心配り
⑤ 子宝
⑥ 愛の交わり(特に食卓をかこんでの団欒)
⑦ 長寿
クリスチャンとして歩むときに、これらの7つの出来事がすべてその通りに実現するかどうかはわかりません。しかし、この詩人の語る、神への感謝と、そこから湧き起る恵みの世界。その恵みが彼の魂を一杯に潤して、彼はこう語らざるを得なかったんだと思います。
「幸いなるかな、君、 良きかな 君!」
20世紀のはじめ、内村鑑三は万朝報誌に「隠士の新年」と題して文章を発表しました。それは20世紀の家庭の崩壊現象を見抜いた預言者の言葉のようでもあります。自分の戦いは政治や、評論のたぐいではなく、真に暖かい、愛情のこもった家庭を造ることであると彼は言います。真の家庭を造るには祈りと多くの労苦がいるのです。
3)5 シオンから主があなたを祝福してくださるように。
命のある限りエルサレムの繁栄を見
6 多くの子や孫を見るように。
イスラエルに平和。
⇒ 家庭の祝福はシオン(礼拝)よりきたる。
揺るぎなき家庭は「礼拝する家庭」です。週のはじめわたしたちは公同の礼拝を守り、新しい出発をします。創世記12章7節をみると信仰の父アブラハムは行くところ行くところでまず祭壇を築きました。サムエル記下6章には神の箱のとどまったオベデエドムの家を主は豊かに祝福されたと記されます。家庭の祝福は真実に礼拝をささげるところから来るのです。
油彩画の「朝の祈り」という作品があります。林竹治郎の作品で、明治40(1907)年、文部省第1回美術展覧会に出品し、難関を突破し入選した作品です。林竹治郎は明治4(1871)年、宮城県に生まれ、仙台の師範学校へ入学、18歳の時、その地で洗礼を受けクリスチャンになりました。明治22(1889)年東京美術学校へ入学、卒業後、北海道師範学校に奉職し、信仰と教育の方面から大きな影響を与えました。この作品は、彼が35歳の時の作品。
作品は敬虔な家族の祈りの姿が描かれています。現在は、北海道立近代美術館に所蔵されている。
主を恐れ主の道に歩みましょう!主は豊かな人生を与えられます。家庭の祝福はシオンより、礼拝の場から流れ出るからです。主をほめよ。ハレルヤ!
【祈祷】
全能の父なる御神。8月最後の主日礼拝感謝します。暑い夏を守り支えてくださりありがとうございます。今日の詩編にあるように、主を畏れ、信仰の道を歩みつつ、「幸いなるかな君、良きかな君」と心の底から祝福し合える者として導いてください。あなたの前に真実な礼拝をささげうるように支えてください。来週から始まる9月の収穫の秋に向かう日々が、豊かな実りで満たされますように。主イエスの御名によって祈ります。 アーメン
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





