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《礼拝説教》 「邪悪なこの時代から救われよ」 2014.6.8
使徒2:36ー42 ー 聖化の恵みを ー
ペンテコステは本来、ユダヤでは「大麦の収穫祭」として祝われていました。使徒言行録2章以来、この日は大麦の収穫ならぬ、やがて全世界規模で起こる「リバイバルの初穂」が刈り取られる日となりました。
また出エジプトから50日目にシナイ山で十戒を授かった「律法授与の記念の日」としても祝われておりました。使徒言行録2章以来、この日は、シナイ山での律法を越えた主の福音、石に書いた戒めを越えた心に刻まれた「新しい愛の律法」が与えられた記念の日となりました。ハレルヤ
【聖書のテキスト】
使徒言行録2章の記事はペンテコステの記事です。すなわち、主イエス様が十字架にかかられてその3日後に復活され、それから、主イエスはご自分の生きていることを示して、40日にわたって弟子たちに現われました。そして天に帰って行かれました。更に弟子たちは主イエスに命じられた通り、10日間、約束の聖霊を待ち望んで、祈りました。やがて、ペンテコステの日(五旬節)に、聖霊は激しく弟子たちに下り、弟子たちは力を受け、悔い改めて洗礼を受けたものはその日だけでも、3千人もあった、と記されています。そして教会の命の流れは始まりました。ペンテコステは教会の誕生日でもあります。
【メッセージのポイント】
1)36 だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。(36,37節)。
⇒ 兄弟たち、わたしたちはどうしたらいいのですか?
「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか?」という言葉はとても大切な言葉です。この言葉から多くの人生に新しい業が始まったからです。求道者の中に主の新しい業が始まるときには、いつでもこの言葉が発せられなければなりません。「わたしたちはどうしたらよいのですか」
ペンテコステの大きな物音が起こったときに、たくさんの方々が集まりました。洗礼を受けた人が3000人もあったと言うのですから、5千とか1万人ぐらいの方々が集まってきたのではないでしょうか。その人々を前にしてペトロは大胆な説教をしました。しかも、そのメッセージの中心は「主イエスの十字架」でした。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った、と記されています。
「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか?」という質問は、ペトロをはじめ使徒たちに対する信頼と、語られた内容に対する深い罪意識を読み取る事ができると思います。
「わたしたちはどうしたらよいのですか?」と彼らは誰に問うたのでしょう。「兄弟たち」にです。ペトロや弟子たちに、教会に、そう問いかけました。そこにクリスチャン信仰の基礎があります。自分が立っていたと思っていた土台が揺れ動き、崩れてゆくように感じるとき、「わたしはいったいどうしたらよいのでしょうか?」とわたしどもは問い始めるのです。ある人はペンテコステの人々のように説教を聴いて自分の罪を知ります。ある人は神の前の自分の罪だらけの実存に目が覚めて、「一体どうしよう!」とあわてるのです。ある人は愛するものの死や病気や事故に直面して、絶対的な永遠者との出会いを経験はじめるのです。
この言葉は使徒16章のフィリピの牢獄でも同じでありました。大地震があって囚人が逃げた責任で、自殺しようと慌てふためいた獄吏は、パウロとシラスに「自殺してはいけない!」と止められ、二人の前に進み出て「先生方わたしは何をすべきでしょうか」と問うた事が記されています。わたしどもも今日、主の御前にそう問いましょう。
2)38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(38,39節)。
⇒ 悔い改めて洗礼を受けよ! (新生の恵み)
ぺトロは人々の質問を受けてはっきりと答えました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(38節)。これはストレートな言葉です。悔い改めて洗礼を受けること、そして、罪の許しを頂いて、聖霊なる神様のご支配の中を歩み始めると言うのです。この38節にキリスト教の信仰生活の中心的な内容が詰まっています。
ある雑誌に、イギリスで伝道している一人の女性、小島美子先生の証しが載ったことがあります。「16歳の夜の出来事」という文章でした。
お父さんから厳しく責められ続けたお母さんが、ある夜、夕食の後についに絶望し、自殺を図ろうとして夜道を出た時のことです。4歳上のお姉さんと、事の重大さを察知して、そっとお母さんについて行きました。しかし、お母さんに慰めの言葉もなく、3人でただとぼとぼと黙って歩くほかありませんでした。3時間ぐらい歩いた頃に雨が降ってきました。行き場に困った彼女達は重い心で雨宿りしました。お姉さんがついに口を開いて「お母さん本当にこれより道はないの?」と聞きました。お母さんは上娘の悲痛な声を聞いて、優しい目で答えました。「それじゃ、家に帰りましょう」。二人の将来を思うと二人を道連れにすることはできなかったようです。その時です。わたしの口から思いがけない言葉が飛び出しました。「教会に行こう!」この自分の言葉に一番驚いたのはこのわたしだった」と記しています。しかし、その時はもう、夜中の二時でした。3人は賭けをしました。一度だけベルを押そう。すると暫くして外国の宣教師が出て来られて「どういたしました」と語りかけてくださって、礼拝堂へと導いてくださり、寝室まで用意してくださいました。そこでなんと一週間、3人は寝泊りして、やがて信仰を持ち、家庭全体が変えられていったというのです。
使徒16章でもパウロとシラスは答えています。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(16:31)。そして家族全員が洗礼を受けて新しい生涯が始まりました。
更に39節では「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」とあり、時間と空間を越えて、すべてのものに与えられることが語られています。
3)40 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
(40−42節)
⇒ 邪悪なこの時代から救われよ! (聖化の恵み)
「邪悪なこの時代から救われよ!」とペトロは大胆に語りました。「悔い改めなさい。洗礼を受けなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます」。今までの自己中心性を悔い改め、洗礼の恵みにあずかり、聖霊を受けるのだと語っています。まさにペンテコステは聖霊による人生の転機です。
「キリスト教信仰は、十字架と聖霊です」。BFバックストン師の説教集2の冒頭に、同師の挨拶の文章があります。「聖霊の器」という言葉と共に心に思い浮かぶ人格はバックストン師です。宣教師嫌いの内村鑑三が「彼のようなすばらしい宣教師なら日本に来てほしい。彼は聖霊の器、人類の花だ」とまで絶賛したと言われます。
BFバックストンは1860年英国の貴族の家に生まれました。オックスフォード大学時代に、シカゴの伝道者ムーディ師の伝道集会で、献身を決意しました。日本宣教に召されて、明治23年、神戸に到着。それから山陰の松江に行かれました。赤山で若者達に多大の影響を与えて、松江バンドを形成されました。終始、笑顔が絶えず、温厚で、接する人々に、大きな霊的感化を与えました。現在の塩屋の神学校、関西聖書神学校を創設して、そこで教鞭をとられ、多くの伝道者を育成されました。「聖霊を受けよ。聖霊の満たしはクリスチャンの人生の戴冠式」と語られたことは有名です。彼の教え子の中に、御牧碩太朗、小島伊助、森山諭、本田弘慈、等の伝道者が輩出しました。横山義孝先生もその流れのおひとりです。
「十字架と聖霊の満たし」。「罪の許しと聖化の恵み」。これぞ、キリスト教の根幹をなすメッセージです。
6月から始まりました「四重の福音の強調月間」。今日は「聖化」について思いを寄せるときでもあります。今日はちょうどペンテコステの日となりました。コラムにも「ドアを開ければパラダイス」というまでの信仰を書きました。
人の救いは主イエスの十字架の贖いにあります。そして、罪の中にとどまり続けるのではなく、「聖霊に満たされて」、恵みの中に、勝利して歩むのです。
【祈り】 父なる御神。ペンテコステの朝を感謝します。罪と死の世界に住むわたし達は、聖なるあなたの前に出る時に「一体、何をすべきでしょう?」と問う以外にないものです。「悔い改めて、洗礼を受けなさい」。主よ、あなたの救いの恵みに与らせてください。そして、「聖霊の恵みを受けよ」と語ってくださいました。わたしどもに聖き神の霊に満たして、クリスチャン人生の戴冠式をなして下さい。わたしたちの救い主、主イエスの御名によって祈ります。アーメン
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