パスターハリーの「説教」と「信仰随想」

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説教 詩編から

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《 礼拝説教 》    「主の勝利の凱旋」       2018,2,4

詩編68編        ― 神の救済史の絵巻物の傑作 −     深谷 牧師
 
皆さん、今年の冬は寒かったですね。わたしも年を取ったせいで「寒さが身にしみる」のかと思ったけれども、若い人でも同じようだそうです。でも、昨日は節分、今日は立春。春がやってきています。寒さの中にも春を先取りして、感謝の歩みを致しましょう。「神よ!あなたの行進が見える!」ハレルヤ  
さて、2013年の1月、わたしは、火曜と木曜の朝、早天祈祷会で神学生の愛兄姉と共に、聖書の中の聖書、詩編を黙想し恵みに満たされておりました。特に詩編68編を2節づつ読み進んで行きました。実に印象深い多くの御言葉に出会い、「ああ、これは平家物語の絵巻物のようだ!」と感じました。副題を「神の救済史の絵巻物の傑作」と題して、今日は皆様と、詩編68編の恵みの世界を旅してみたいと思います。
 
【 テキストの概略 】
  詩編68編は絵巻物のように美しい詩です。しかし、全詩編の中で一番難しい詩編であると語られています。大体、三つの解釈があります。
①さまざまな詩歌の中の、有名な部分を集めたもので、おそらくは冒頭の数行を集めた物であろうと言われます。
②イスラエルの民が主に導かれてエジプトを脱出し、荒れ野を通って約束の地に入り、契約の箱の上に臨在される神が、エルサレムのシオンを永遠の都とするまでの絵巻物とみなします。
③このシナイからシオンに至る神の救いの歴史的な出来事を背景として、毎年行われた一大祝祭の典礼用の詩編であるという理解です。
②ないし③が妥当な理解かと思われます。2527節の描写などは一大祝祭の詩編解釈を暗示しているように見えます。

内容区分は以下の通り。
 1―  7節  賛美    神の行進  貧しき者を支える神 
  第一部 8― 19節 出エジプトからエルサレムの征服までの概観
シナイの山からシオンの山への神の勝利の凱旋
   第二部 20−32節 神の最終的勝利と全世界的な王国建立への待望
            イスラエルの喜び、諸国民の平定、世界平和
 33−36節 賛美  神の行進  天を駆って進む勝利の神
 
【メッセージのポイント】
1)68:1 【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。歌。】
 2 神は立ち上がり、敵を散らされる。神を憎む者は御前から逃げ去る。
 3 煙は必ず吹き払われ、蝋は火の前に溶ける。神に逆らう者は必ず御前に滅び去る。 4 神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。5 神に向かって歌え、御名をほめ歌え。雲を駆って進む方に道を備えよ。その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。6 神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。7 神は孤独な人に身を寄せる家を与え/捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。背く者は焼けつく地に住まねばならない。8 神よ、あなたが民を導き出し/荒れ果てた地を行進されたとき〔セラ       (-8節)
    主よ、立ち上がり給え!
 この詩は、いきなり、「ヤクーム エロヒム(立ち上がる 神は)」から始まります。これは民数記10:34記されるイスラエルの民の荒野行進の際の、一日の初めの祈りが反映しています。イスラエルの民は、厳しい、荒野での一日をはじめるにはあたり、「主よ、立ち上がってください。(クーマー アドナイ)」という祈りからはじめました。神様が立ち上がり、わたしどもの前に進むことを確信していなければ、彼らは荒野を行進し、約束の地を目指す勇気も力も湧かなかったのだと思います。
ちなみに、この荒野行進の一日の行程を終えて休むときには、「主よ帰ってきてください(シューバー アドナイ)、ちよろずの人に」で終わります。
そのような意味で、この冒頭の2、3節が、この詩編の内容を一番よく示しています。神様は立ち上がる。そしてその敵を散らされる。神を憎む者は御前から逃げ去るのです。
わたしどもの地上での生涯は、やはり、旧約の民と同じです。時には厳しい荒野の旅のような世界を通過するときがあります。そのようなときに、まず、「主よ、立ち上がってください!」と神に目を向けて、一日の初めに、主の臨在を確信し、主と共に前進させていただきましょう。新約の時代に生きるわたしたちは、慈愛の父なる神さまが共にいてくださるのみならず、主イエスがすでに十字架と復活において罪と死ののろいを打ち砕き、世の終わりまでともにいてくださる約束を知っており、聖霊なる神様を宿すことによって、「力を受けて、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果てまで証人とされる」ことを知っているのですから。
 
2)9地は震え、天は雨を滴らせた/シナイにいます神の御前に/神、イスラエルの神の御前に。10 神よ、あなたは豊かに雨を賜り/あなたの衰えていた嗣業を固く立てて 11 あなたの民の群れをその地に住ませてくださった。恵み深い神よ/あなたは貧しい人にその地を備えられた。
⇒ 神よ、あなたは豊かに雨を給う!
この9−11節は、2013年の正月、1月1日に与えられた聖句でした。わたしにはちょうどこの箇所が、アニメーション映画のように感じられました。茶色に焼けたシナイ半島からパレスチナ地方。そこに神様ご自身が現れ、その天空をミケランジェロの描いたような荘厳な姿で飛んで行き、次々とその飛んだ後が、豊かな雨で潤され、豊かな恵みの大地となってゆくという幻でした。これは神様を知らなかったわたしどもの荒廃した現実が、主イエスの贖いにより、神様の和解を経験し、救いの御業が実を結んでゆくようなそのような聖句でした。「恵みの神よ」という一句が最終的な慰めの聖句ですね。皆さん、今年2018年のこの一年、教会の歩みを示す御言葉として受けました。ハレルヤ
 

3)12 主は約束をお与えになり/大勢の女たちが良い知らせを告げる13 「王たちは軍勢と共に逃げ散る、逃げ散る」と。家にいる美しい女も戦利品を分けている。14あなたたちは二つの鞍袋の間に横たわるのか。鳩の翼は銀に、羽は黄金に被われている。15 全能者が王たちを散らされるとき/ツァルモン山に雪が降るであろう。16 神々しい山、バシャンの山/峰を連ねた山、バシャンの山17 峰を連ねた山よ、なぜ、うかがうのか/神が愛して御自分の座と定められた山を/主が永遠にお住みになる所を。18 神の戦車は幾千、幾万/主はそのただ中にいます。シナイの神は聖所にいます。19 主よ、神よ/あなたは高い天に上り、人々をとりことし/人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らはそこに住み着かせられる。20 主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。〔セラ

  ⇒ 主をたたえよ 日々、わたしたちを担い、救われる神を。
ここには、わたしたちを担い、豊かに救いを与える神様のお姿が記されます。この詩編の中で、印象的な聖句はこの20節で、前半の締めくくりとなっています。
 また、イザヤ書46:1−4の、「白髪になるまで担う神」の姿でもあります。神様は日々わたしたちを負い、守ってくださるのです。
 

4)21 この神はわたしたちの神、救いの御業の神/主、死から解き放つ神。22 神は必ず御自分の敵の頭を打ち/咎のうちに歩み続ける者の/髪に覆われた頭を打たれる。23主は言われる。「バシャンの山からわたしは連れ帰ろう。海の深い底から連れ帰ろう。24 あなたは敵を打って足をその血に浸し/あなたの犬も分け前として敵の血に舌を浸す。」

25 神よ、あなたの行進が見える。わたしの神、わたしの王は聖所に行進される。26 歌い手を先頭に、続いて楽を奏する者/おとめらの中には太鼓を打つ者。27 聖歌隊によって神をたたえよ/イスラエルの源からの主を。28 若いベニヤミンがそこで彼らを統率する。ユダの君侯らは彼らの指導者/ゼブルンの君侯ら、ナフタリの君侯らもいる。
29 あなたの神は命じられる/あなたが力を帯びることを。神よ、力を振る ってください/わたしたちのために行動を起こしてください。30 あなたの神殿からエルサレムの上に。あなたのもとに王たちは献げ物を携えて来ます。31叱咤してください、葦の茂みに住む獣を/諸国の民を子牛のように伴う猛牛の一群を/銀の品々を踏みにじるものを。闘いを望む国々の民を散らしてください。32 エジプトから青銅の品々が到来し/クシュは、神に向かって手を伸べる。
⇒ 神よ、あなたの行進が見える!
 ここに神さまの恵みの行進がみえる!という表現があります。わたしたちはいつも聖書の言葉により頼み、御言葉を通して神の救いの御業を霊の目で見てゆく歩みと致しましょう。
 
33 地の王国よ、共に神に向かって歌い/主にほめ歌をうたえ〔セラ34 いにしえよりの高い天を駆って進む方に。神は御声を、力強い御声を発せられる。35 力を神に帰せよ。神の威光はイスラエルの上にあり/神の威力は雲の彼方にある。36 神よ、あなたは聖所にいまし、恐るべき方。イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る。神をたたえよ。
        主をほめたたえよ!                   
 最後は、主をほめたたえるところでこの詩は締めくくられます。まず神様に賛美を捧げ、その救いの歴史を深く覚えると共に、最後に主をほめたたえて締めくくりと致します。
 いつもこの主を感謝して歩みましょう。
 
【祈祷】 全能の父なる御神。今日は詩編68編から聖書の学びを致しました。いつも、心からあなたをたたえる生涯に導いてください。あなたがわたしどもの生涯に先立ち、立ち上がって、勝利の中に日々の歩みがなしえますように。また、 神よ、あなたは豊かに雨を給う恵みの神であり、わたしどもを日々担ってくださるお方であることを知らせて下さい。霊の目を開いてあなたの救いの凱旋を見上げつつ生きるものとならせてください。わたしどもの生涯を、この詩編68編のように、救いと恵みの歴史絵巻のように導いてくださいますように。あなたの勝利の凱旋を、日々、幻に見る者とならせてください。わたしどもの救い主、勝利の凱旋の主、罪と死の世界を砕き、永遠の命を開き、与え給うたイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン!
《礼拝説教》   「呼ぶ人に近くいます主」   20161023
詩編145編                深谷牧師 
 
しばらく前に、わたしたちはフィリピ信徒の手紙4章を学びつつ、使徒パウロの「白鳥の歌」という所を学びました。殉教の死を前にして、パウロは、喜びなさい。繰り返して言うが喜びなさいと語られました。それは、その生涯の最後にひと鳴きする「白鳥の歌」のようであると語ったのでした。その基調は、喜びということでしたが、その喜びの底に流れている信仰は「主は近い」という信仰であると学びました。
「主は近い!」 主はいつもわたしどもの生涯に共にいて助けてくださるがゆえに、「何ごとも思い患うことなく、ことごとに感謝をささげ、あなた方の思うところを主に告げよ。そうすれば人知ではとうてい計り知れない神の平安が、キリストイエスにあってあなた方の心と思いとを守ってくださる」と勧められています。
927日の早天祈祷会で、詩編145編を読みまして、18節の聖句、
「主を呼ぶ人すべてに近くいまし
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし・・・」
を読みまして、パウロ先生の信仰はここにもあるのだ!と感動をして、いつかこの詩編145編を説教で取り上げたいと考えてきました。
 
【今日の聖書箇所の概説】 

今日の詩編145編は「アルファべットによる詩」と解説がついています。日本語訳ではまったく分かりませんが、記憶しやすいようヘブル語のアルファベット順に詩を並べてあります。日本の「いろは歌」のように並んでいると思えばよいでしょう。各節の上が、英語風に言えば、1節はAから始まり、2節はBから,3節はCから始まるのです。ヘブル語は全部で22の子音からできておりますが、この詩はどういう訳か、「ヌン(=英語のN)」が抜けているために、21節になっています。アルファベット詩編には教訓的なものが多いのですが、この145編には教訓は少なく、全編が神の賛美です。特に、1節と21節に「賛美(テヒラー)という言葉が2回使用され、詩編のことをヘブル語では、「テヒリーム」と言いますが、これは、この詩編145編から取られていることで有名です。
 全体の構造と内容に関しては以下のように見ることができます。

1, 2節   導入  代々限りなく主を讃美します
3〜 9節  神の恐るべき業への賛美(特に出エジプトを指す)
10〜19節 神の慈しみと真実への賛美(荒野放浪、王国の建設、
バビロン捕囚前後の国の試練の時期等を指す)
20,21節 結論  代々限りなく主を讃美します
 
  なお、讃美歌6番は、この詩編145編の内容から作られました。
 
【メッセージのポイント】
1)(アルファベットによる詩)
 1 【賛美。ダビデの詩。】
わたしの王、神よ、あなたをあがめ
世々限りなく御名をたたえます。
 2 絶えることなくあなたをたたえ
世々限りなく御名を賛美します。(1,2節)
⇒ 主よ、限りなくあなたを讃美します!
 ここでは、まず主を讃美しますと告白しています。神様を「わが王」と読んでいます。神様に主権があり、この威厳と慈愛の神をたたえます。
わたしどもは、この天と地の造り主、わたしどもを罪と死の呪いから救われた神様を生涯賛美して行きます。
 
2)3 大いなる主、限りなく賛美される主
大きな御業は究めることもできません。
4 人々が、代々に御業をほめたたえ
力強い御業を告げ知らせますように。
5 あなたの輝き、栄光と威光
驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
6 人々が恐るべき御力について語りますように。
大きな御業をわたしは数え上げます。
7 人々が深い御恵みを語り継いで記念とし
救いの御業を喜び歌いますように。
8 主は恵みに富み、憐れみ深く
忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
9 主はすべてのものに恵みを与え
造られたすべてのものを憐れんでくださいます。(3〜9節)
 「驚くべき業」のゆえに主を讃美せよ。
ここで歌われる、「大きな御業」、「力強い御業」、「驚くべき御業」「恐るべき御力」「大きな御業」、「救いの御業」は、特にイスラエルの歴史の中でなされた出エジプトを中心になされた神の救いの御業を意味しています。旧約のイスラエルにとって礼拝とは「神の救いの業の想起」であり、7節にあるように「記念とする(=ザーカール=思い起こす)」ことです。出エジプトの恵みを思い起こす事でした。
新約聖書では主イエスの十字架と復活を思い起こす事を意味しています。礼拝は主イエスのなされた「驚くべき御業を思い起こす事」です。
 
3)10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し
あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ
11 あなたの主権の栄光を告げ
力強い御業について語りますように。
12 その力強い御業と栄光を
主権の輝きを、人の子らに示しますように。
13 あなたの主権はとこしえの主権
あなたの統治は代々に。
14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え
うずくまっている人を起こしてくださいます。
15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
16 すべて命あるものに向かって御手を開き
望みを満足させてくださいます。
17 主の道はことごとく正しく
御業は慈しみを示しています。
18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
19 主を畏れる人々の望みをかなえ
叫びを聞いて救ってくださいます。(10〜19節)
⇒ 主は近くにおられる!
 10節から19節は、神の慈しみと真実への賛美であり、それは、荒
野放浪、王国の建設、バビロン捕囚前後の国の試練の時期等に、神の指
し示された、その主権と慈しみが記されます。主は倒れそうな人を支え
てくださり、うずくまる人を起こしてくださいます。

聖化大会での高橋香世先生の証しがすばらしかったのでここに記します。    ◇山形の姉から電話、「父が倒れた!」と言う。急いで川崎から山形に帰った。何としても父には福音を受け入れて天国へ行ってもらいたいと祈りながら・・。病床の父に「お父さん。香世が来ましたよ。・・・イエス様、信じる?」と期待して聞いた。父の返事は「イヤだ」だった。え〜?この最後のチャンスに、どうして??◇うちの家族は6人家族。神棚と仏壇がある。わたしは高校1年にイエス様を信じた。洗礼を受けたいと言ったら、父は20才になってからと言う。姉が20才の時に、洗礼を受けたいと願った。両親はだめだと言う。姉は失望して教会を離れた。わたしはあきらめきれなかった。夕食の時はいつも父との宗教戦争だった。◇わたしはついに洗礼を受け、献身し、牧師となった。そして10年、20年たった。父は今、左半身不随となった。父の看護のために、祖母が施設に行く。その時に祖母は「イエス様はすべての人の代表して十字架にかかったんだんべ」と告白して洗礼を受けた。◇そしたら姉も「アルプスの少女ハイジ」を読んで洗礼を受けた。更に母も、父が倒れた日の夜、「心配しなくてもいいよ」と肩をたたいてくれた方が、イエス様だったと分かって洗礼を受けた。そして昨年の12月、ついにあの父も、主イエスを受け入れ、洗礼を受けた!祈りは聞かれる。「得たりと信ぜよ、さらば得べし!」
 
4)20 主を愛する人は主に守られ
主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
21 わたしの口は主を賛美します。
すべて肉なるものは
世々限りなく聖なる御名をたたえます。(20,21節)
  ⇒ 主を愛する者は主に守られる!
 「主を呼ぶ人」「主を畏れる人」「主を愛する人」であれ、と教えます。
 
祈り】 父なる御神。今日は詩編145編を学ばせていただき、わたしどもは、「近くにおられる神」を知りました。感謝します。わたしどもの信仰の原点は出エジプトの出来事であり、主イエスの十字架の贖いの御業です。それは時間空間を越えた神ご自身の決定的な出来事です。また、「わが臨在汝と共に行くべし」と仰せ下さるあなたが、いつも「そば近くにいらして祈りを聞かれる方」であることを教え、御霊によってわたしどもの鈍い霊性を引き上げて、聖書の信仰へと導いてください。主のイエスの御名によって祈ります。アーメン!  


《詩編説教 》    「苦難の中からの叫び」   2016.08.14


詩編107編1〜9節                      深谷 牧師 


今日は8月14日です。明日は71回目の終戦記念日を迎えます。第一次世界大戦と第二次世界大戦の大きな戦争を踏まえて、人類は戦争の愚かさを学びました。そして日本は全世界に先立ち、平和憲法を制定し、戦争の放棄と武力による紛争の解決をしないとの憲法9条を宣言しました。これは確かに人類の歴史におけるすばらしい快挙で、「憲法9条にノーベル賞を」という主張も、さもありなんと思わされます。 


【 テキストの概略 】
 詩編105,106,107編は「主に感謝せよ」との呼びかけで始まる感謝(ヘブル語:ホドゥ ラドナイ)詩編です。族長以来の救済史(105編)、その間の罪の告白と赦罪(106編)、刑罰としての患難からの回復(107編)という一連の主題的まとまりを持つ三部作です。


松田明三郎は次のように解説しています。


「本詩は第5巻の冒頭を飾る詩であって、全詩篇中にても卓越するものの一つである。憐憫ある主に対する感謝の精神を呼び起こす目的をもって作られたものであるが、前の二つの詩編105,106編とは著しく相違している。これらはイスラエル初期の歴史的事件にしばしば言及しているのに反し、本篇においては一度もイスラエルの名を述べず、「人の子」(8152131)になし給える主の奇しき御業について語る。もちろん詩人は半意識的には、バビロニア俘囚のことを歌っているが(1016)、彼は決して歴史的な事件については明記していない。」


 


 一般にこの詩編は以下のように区分されています。
1 3節  序 言  主の贖いと慈しみに、感謝せよ。
432節  四種類の救いの業への感謝  
 ①砂漠に迷う旅人の救い
 ②牢獄からの解放

 ③病気からの回復

 ④海上における遭難からの救助
3343節  補遺   世界を支配する神の摂理


 この詩編には特徴的な「リフレイン(反復句)」が2つ使用され、そのリフレインが、4回づつ組み込まれて、この詩編の中心主題を形成しています。それは6節と8節にまず現れてきます。


 


6 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと
主は彼らを苦しみから救ってくださった。(6131928節)


8 主に感謝せよ。主は慈しみ深く
人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。(8152131節) 


【メッセージのポイント】
1)1 「恵み深い主に感謝せよ
慈しみはとこしえに」と
   2 主に贖われた人々は唱えよ。
主は苦しめる者の手から彼らを贖い
   3 国々の中から集めてくださった
東から西から、北から南から。(1〜3節)
  ⇒ 感謝せよ。神の贖罪の慈しみを!


 この最初の言葉の中に、詩編第五巻の冒頭を語るにふさわしい最高の聖句が記されていると思います。


 主に感謝せよ  その最善のゆえ
  永遠なるかな  その慈しみは !


  まずこの詩人は、神の歴史を導く恵みの御手を見上げて感謝に満たされ、「主に感謝せよ!」と叫びます。それは、神の最善のゆえに、と続きます。そして、神の慈しみは永遠だと語ります。この詩編では、「神の慈しみ(ヘセド)」がまず賛美され、締めくくりに神の慈しみが語られます。それから、「主に贖われた人々」はこの神の慈しみに深く感謝するのだと宣言されます。2節には「贖い」が2回使用されます。この詩で語られる最初の主題は「神の慈しみと贖いを感謝せよ!」ということです。この詩編は、イザヤ書40〜66章とヨブ記の影響を強く受けており、言葉においても、内容についても、「神の慈しみ」と「神の贖い」を歌っています。


 月報8月号にも、わたしの生涯のメッセージ「贖い、愛、臨在」というイザヤ書43:1〜5からの説教を書きました。


「恐れるなわたしはあなたを贖った!」(イザヤ43:1)という以上の聖書のメッセージはありません。


 先週、8月6,7日と、福井市の如鷲教会の特別伝道会で奉仕してきました。主任者は31歳の亀井拓也先生。元気いっぱいでした。本当に楽しい、勇気を与えられる教会でした。6日(土)夜6時からのオープンチャーチ。ゴスペルの賛美がすばらしかった。そうめんバイキングの夕食もいただきました。7日(日)は朝9時、子供の礼拝。子どもたちの多いのに驚き。子どもたちの積極的な賛美とゲーム。その後30分は熱き「十戒」からの説教。ビックリでした。礼拝での説教も「運命の逆転!」イザヤ53章からの伝道説教。わたしも初めてのイザヤ53章のテキスとからの伝道説教でした(!)が、みなさん、楽しく聞いてくださいました。礼拝後、すぐに近くの病院での病床洗礼。86歳のおじいちゃんでした。... 帰ってから役員会で「ホーリネスの群の歴史と信仰」の講演。まー、忙しい中でも、「走っても疲れず、歩いても疲れない!」の聖書箇所でしたからね〜。本田弘慈先生のお孫さんに福井駅まで車で送っていただきました。


聖書の中心は、イザヤ書53章。「神の贖罪の慈しみ!」です。


内村鑑三はこの十字架の贖いの業への信仰を告白し続けた人です。
 「終(つい)に彼を捨てる」          内村鑑三 
国のためにキリストを信じたる者は終(つい)に彼を捨てる。
社会人類のためにキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。
教勢拡張を思い立ちてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。
キリストの人格にあこがれてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。
美(よ)き思想を得んとてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。
患難苦痛を慰められんためにキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

 されども、おのが罪を示され、その苦痛に耐えずして、「ああわれ、悩める人なるかな」の声を発し、キリストの十字架において神の前に義とせらるるの唯一の道を発見し、その喜びに耐えずして彼を信じた者は、かかる者は、よし宇宙は消え失(う)するとも、永遠より永遠まで彼を捨てない。  (1916年3月『聖書の研究』、著作集第12巻)


2)6 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと
主は彼らを苦しみから救ってくださった。(6131928節)
  ⇒苦難の中で祈れ!主は救い給う!

 この詩編の主題のひとつは、「祈れ!」ということです。イスラエルの長い歴史を通じて、この詩人のメッセージは、「祈れ!」ということです。人生には苦難が多い。人生には様々な試練がある。苦難がある。失意の時、落ち込んでしまうような時もある。絶望するような時だってある。4種類の苦難の体験が語られています。勝利は祈りからくる!


①砂漠に迷う旅人の試練。砂漠で迷ったら、もう、生きられない。しイスラエルの民は、バビロン捕囚からの帰還の時、火の中、水の中を通った。彼らが祈り叫んだ時に、主は答えてくださった。


②牢獄からの解放。時の悪しき権力に捕らえられて牢獄に入れられた時の絶望的恐怖。それは死を意味していた。しかし主は奇跡的に、


③病気からの回復。病気やけがに捕らえられる時、何とわたしたちは弱
さと限界を感じることでしょうか?もうだめだと思ってしまう。しか
し主に祈り叫ぶとき、主は答えてくださった!


④海上における遭難からの救助。海の荒波は恐ろしい悪魔的な力として聖書には登場します。わたしも思い出してみますと、5歳の頃に仙台の伯父さんの家に行った時に船に乗り沖へ出た時がありました。波がドド〜ント来た時に、「かあちゃん、うちへかえろう!」と叫びました。これはわたしの原体験でもあります。


 3)8 主に感謝せよ。主は慈しみ深く
人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。(8152131節)
⇒主は慈しみ深く、奇跡をなされる!


 主は「驚くべき御業をなされる」ということです。「驚くべき御業」とは、ヘブル語で「ニフレオーテカー」といいます。「二歩で王手か」と何度か聞こえました。将棋をやっている人が「二歩で王手」という手はすご業だと言いました。「歩」のような何の取柄もないようなわたしどもが、サタンに打ち勝つ手がある。それは賛美であり祈りであると今日の聖書は教えています。御霊によって祈り続けましょう。ハレルヤ
 

【祈祷】主よ。今朝は「苦難の中からの叫び」を詩編107編から学びました。われらの感謝と勝利は、あなたの贖いと慈しみにあります。「贖い」の奥義を悟らせて下さい。また、どのような試練にある時にも祈り叫べと教えてくださいました。あなたの奇跡を信じてわたしどもは祈り叫びます。「二歩で王手」をするように見えても、主よ、あなたは奇跡をなしてくださいます。どうぞ、奇跡をなしたもう祈りの奥義を教えて下さい。慈しみと贖いの主、主イエスの御名によって祈ります!アーメン

《 夕拝説教 》     「嘆きから賛美へ」    2016.03.20                       

 詩編22編        主イエスの十字架と復活の預言として   深谷牧師

 
  受難節を迎えました。このとき、主イエスの苦難の歩みを覚えつつ、主のなされた救いの業をしっかりと心に留めましょう。キリスト教信仰の中心的な内容は主イエスの十字架と復活にあります。
 教会の歴史の中には、詩編の22編、詩編23編、24編を連続で見る見方があります。
 そのように考えますと22編は「メシヤの苦難」、23編は「メシヤの復活」24編は「メシヤの召天」と見るのです。大変今日深い味方であるとわたしは思います。
 
【 詩編第22編の概略と区分 】   詩編22編は不思議な詩です。この詩人はちょうど主イエスの十字架のような苦しみを体験し、深い嘆きを言い表しています。冒頭の聖句「わが神わが神、何ゆえわたしをお見捨てになるのですか?」は十字架上での主イエスの叫びでもありました。日本の旧約学会会長の関根正雄はベスターマンの言葉「キリストは詩編22編の嘆きを御自分の嘆きとした。この地上を歩まれた主イエスの職は、嘆きを賛美に変えることであった」を引用して「われらの絶望を担い、われらより低く、神なきところに下られたイエスの救いをこの詩は示す」と解説しています。
第1部「嘆き」(2―22節)        
      2―  3節     嘆き①神の現実・沈黙              
      4―  6節       信頼①先祖の信仰           
      7―  9節     嘆き②私の現実・虐げられ、嘲られる              
    10―12節       信頼②母の胎以来の詩人の個人的信仰                   
    13―16節     嘆き③敵の現実1(雄牛・猛牛・獅子)
敵の攻撃により詩人の骨、心臓が弱り渇く。
    17―19節     嘆き④敵の現実2(犬・獅子)
手足刺し貫かれ、衣服も奪われる。
    20―22a節       訴え(信仰告白含。犬・獅子・雄牛への言及)      
          22b節     信頼③(感嘆詞)あなたは聞き給いました    
第2部「賛美」(23―32節)
  23―24節    賛美① 共同体の中での賛美の勧め
  25―27節      感謝① 神の介入と、満願の献げ物への言及 
    28―30節    賛美② 地の果て、諸国民、死者も賛美する
    31―32a節  賛美③ 子々孫々、来るべき世、後に生まれる民                 

       32b節     信頼④(感嘆詞)実にあなたは成し遂げられた                                           

 
【メッセージのポイント】
12 わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
3 わたしの神よ
昼は、呼び求めても答えてくださらない。
夜も、黙ることをお許しにならない。(2,3節)
人間の嘆きの現実。
 詩人の嘆きは次の3種類に分かれています。
  1. 神の現実。昼も夜も、神様が沈黙され、正しい者の訴え聞かれない現実。 
    その現実を嘆いています。
  2. 詩人の現実。虫けらの如く扱われる自分の状況。詩人は「人間の屑、民  
    の恥」と言われ、嘲笑の対象となっています。恐ろしい皮膚病にかかっているような状況でしょうか。
  3. 敵の現実。(敵を、雄牛、バシャンの猛牛、獅子、犬に喩える。)
    敵は、猛獣のように、詩人を囲み、襲いかかる。骨ははずれ、心臓は溶け、舌が乾きで上顎に貼りつく。死の塵に伏す。手足を刺し貫き、骨が出た痩せた体をさらし者にし、着物を取ろうとくじ引きする。
 このような、非常に厳しい現実の中で詩人は、神の御前に現状を告白し、嘆いています。罪と死の現実に彼は生きています。
  わたしどもの現実はどうでしょうか?
個人的なさまざまな問題とそれを取り巻く環境や社会の現実は厳しいものがあります。自分の健康や病気、配偶者や子ども達、孫達を取り巻く環境。痛ましい学校の現場や人心の荒廃、自然災害のニュースや、テロや戦争のニュース。一つ一つのことを取り上げれば、気が重くなるような現実に取り巻かれてわたしたちは生きているのです。
 
23 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
集会の中であなたを賛美します。
24 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。
ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。
イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
25 主は貧しい人の苦しみを
 決して侮らず、さげすまれません。
御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いてくださいます。(23-25)
人間のささげるべき賛美。
詩人の賛美も次のような原点と拡大が確認できます。
  1. 主が苦しむ者の祈りに聞き給うた。神は歴史に介入された。
    (個人的救済の歴史的体験とほめたたえ)
  2. 会衆・ヤコブ・イスラエルのすえへの賛美の勧め。
    (救いの体験の共同体的共有とほめたたえ)。
  3. 地の果て、諸国民、塵に下った者も主をたたえる。
    (救いの体験の空間的拡大とほめたたえ)
  4. 子々孫々主に仕え、来るべき世、後に生まれる民への証し。
    (救いの体験の時間的拡大とほめたたえ)。
      しかし、ここには何と言う大きな逆転があることでしょう。
     
    絶望的な現実に嘆き、訴えていたこの詩人は、いまや心からの讃美を捧げています。神ご自身が彼の生涯に介入され、救いがやってきた。神の恵みの中に彼は救いを受け、喜びで満たされています。その喜びが、個人から始まり、共同体への広がり、それは空間的な広がりと時間的な広がりを持って、この世界を讃美で包むのです。
      新約聖書の主イエスの福音の恵みのうちで、このことは成就しました。人間の罪と死は十字架と復活において解決されて、本質的な解決を得て、わたしどもの人生は、嘆きからほめたたえへと転換されたのでした。
     
    3、22 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い
    わたしに答えてください。
    31 -32 子孫は神に仕え
    主のことを来るべき代に語り伝え
    成し遂げてくださった恵みの御業を
    民の末に告げ知らせるでしょう。(2231-32節)
    嘆きと賛美の転換点(蝶番)としての信頼告白!
    嘆きの現実が、賛美の現実へと変化する、その変化の基本的な要因は何だったのでしょうか?あまりの変化に戸惑うのですが、まず
    ①神の民の、「われらの先祖たちの信頼の歴史」への言及。
  1. 母のふところ、母の胎から、信頼した「詩人の歴史」への言及。
    等を見ることができます。
     
    しかし、更に決定的なのは次の二つの聖句です。
  2. 22節b「あなたは聞き給いました」。
    この言葉は、「アニータニー」と言う一語です。新共同訳では、「わたしに答えてください」と訳されていますが、関根正雄は「あなたはわたしに聞き給いました」と完了形で訳すべきだと言います。「神が祈りを聞かれたという確信」。この言葉が信仰告白となって、嘆きがほめたたえに変化する「蝶つがい」の役を果たしたと見ることができます。
    そしてもう一つは、最後の節です。

    ④、32節b「実に彼は成し遂げられた」と言う聖句があります。これは、神は救いを成就したという告白です。これは、「キー  アーサー」という言葉で、直訳すると「実に 彼は成し遂げられた」という意味です。 

    この句とほぼ同じ聖句が、ヨハネ19:30で「テテレスタイ(すべては終わった=成し遂げられた)」というギリシャ語訳で、主イエスの十字架の最後の言葉として引用されています。
《夕拝説教》   「慈しみとまことの神」   2015,11,15
― 神の栄光・歴史支配・亡国の悲しみを越えて ― 
詩編89編                         深谷 春男

 今年の6月ぐらいから、聖書学校の早天祈祷会で、詩編89編を読みました。一回に2節づつという超スローの黙想の時でしたので、数カ月かかりました。最初は戸惑ったりしていたのですが、途中からは、宝の山に入ったような、喜びの連続、内村鑑三先生風に言うと「最高の快楽」の連続でした。少し、入り組んでいるようなところがありますが、説教でまとめてみました。お付き合いくださるなら、大感激です!

詩編89編は旧約聖書の要約です。それは旧約聖書の中心主題を歌います。

【この詩編の概略と区分】
 この詩89編は、詩編第3巻の終りにあります。
詩編第1巻は141編、
第2巻は4272編、
第3巻は7389編、
第4巻は90106編、
第5巻は107150編です。
 90編からは第4巻が始まります。詩編89編はダビデ王国の滅亡の現実に直面した人の詩編です。
 39-40節に「あなたは、御自ら油を注がれた人に対して、激しく怒り、彼を退け、見捨て、あなたの僕への契約を破棄し、彼の王冠を地になげうって汚し、彼の防壁をことごとく破り、砦をすべて廃虚とされた。・・」とあります。王国の滅亡とその嘆きが主題になっています。
 90編は「モーセの祈り」が取り上げられて、荒野からの再出発が歌われているように見えます。また90編の内容としては捕囚の悲しみ、
 91編はバビロン崩壊と捕囚からの解放、
 92編は「安息日の歌」として神の歴史支配への信頼が歌われます。
 
A.ヴァイザーはこの詩編は明確に三つに分かれるとして、以下のように描く。
119節  神への賛美 
天の軍勢(67節)、地の会衆(1617節)
王について(19節)、ダビデ契約について(45節)
2038節  神の契約とダビデへの約束の詳述
3952節  神が契約を反故にし 受膏者を捨てられたとの痛烈な嘆き
 
【メッセージのポイント】
1)2 主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。
わたしの口は代々に
あなたのまことを告げ知らせます。
3 わたしは申します。
「天にはとこしえに慈しみが備えられ
あなたのまことがそこに立てられますように。」(23節)
  ⇒ 慈しみとまこと(ヘセドとエメス)により頼め!
主の「慈しみ」と「まこと」が、本詩を貫く主題です。 (2,3、15,25、29、34,50節)で5回繰り返します。
「慈しみ」(ヘセド)7回使用 (2,3、15,25、29、34,50節)。
「まこと」(エメス・エムナー・エメン)(2、3、6、9、15、25、34、38、50節)で9回使用。
「慈しみ」と「まこと」がペアで用いられるのは、(2、3、15、25、
34、50節)と6回も出てくる。
 このように、「慈しみ」と「まこと」は、この詩編の中核をなしています。それは聖書の信仰の基本的なメッセージです。
 
新約聖書、ヨハネ福音書11417節では「恵みと真理」がやってきたと語ります。それは神の独り子、永遠のロゴス、神の懐にいる独り子なる神、主イエスキリストであると告白されています。
 神の「慈しみ」と「まこと」は、イエスキリストにおいて歴史の中に結晶体として受肉したのです!ハレルヤ。
 
10 あなたは誇り高い海を支配し、波が高く起こればそれを静められます。
11 あなたはラハブを砕き刺し殺し、御腕の力を振るって敵を散らされました。
12 天はあなたのもの、地もあなたのもの。
御自ら世界とそこに満ちるものの基を置き 
13 北と南を創造されました。タボル山、ヘルモン山は、御名を喜び歌います。14 あなたは力強い業を成し遂げる腕を具え、
御手の力を振るい、右の御手を高く上げられます。
15 正しい裁きは御座の基、慈しみとまことは御前に進みます。(1015節)
  ⇒ 汝なり!!
1013節に特徴的なのは「汝なり!(ヘブル語で「アッター」)」という強い、印象的な言葉が5回にわたって使用されていることです。
10 汝なり 海の高まりを抑えているのは
  汝なり その波が高くなる時、それを静められるのは。
11 汝なり ラハブを刺殺された者のように、砕いたのは。
12 汝なり 世界とそれに満ちるものの基を据えた者は。
13 汝なり 北と南、それを創造した方は。
  この1013節の、記述の人版で行くと、神様こそ、人間の罪の力、海の高まりのような、戦争に挑む諸国民の悪しき力を抑え、その興奮と衝動を鎮められるお方であると歌われます。アハブを打ち砕き、世界とその基を据えられたのは神よ、あなたです。これは当時、地中海地方で信じられていた、世界創造の背景が私的に表現されています。北と南を創造し、タボル山とヘルモン山でほめたたえられるのは貴神です。
ここでは創造者にして、世界の保持者、導き手である比類なき神の威厳が語られます。この神が歴史を導き、救いの恵みをもたらすと歌われます。
 
3)20 あなたの慈しみに生きる人々に
かつて、あなたは幻によってお告げになりました。
「わたしは一人の勇士に助けを約束する。
わたしは彼を民の中から選んで高く上げた。
21 わたしはわたしの僕ダビデを見いだし
彼に聖なる油を注いだ。
22 わたしの手は彼を固く支え
わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう。 2022節)
  ⇒ 歴史を導く神。ダビデ契約の詳細。    
*神様が、ダビデを立てて、救いの御業をなさる時の順序 (2038節)
 ここでは神の歴史支配が、ダビデを選び、神の民を導くお方として語られる。その原点はサムエル記下7章の「ナタン預言」にあります。
サムエル記下7:24-13の記述。「ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった『私の僕ダビデのもとに行って告げよ・・・主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠る時、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える』」。
20節 神の慈しみに生きる人々への予告  幾つかの写本は単数で、その場合は預言者ナタンを想定(月本)
神の救いの約束 幻を通して。2サム7:17。「幻」は神の啓示の手段。
神の選び、摂理と神の選び、エフェソ書、カルヴァンに強く表れる。
21節 神が人間世界からの、器を選んだ   1サム7:8 
彼に聖なる油を注ぐ    1サム16:13
22節 御手で堅固にしてくださる
わたしの腕で強くする
23節 敵は害を与えない 欺くことがない ヤッシーをイッサーと読み替えると「彼に向かって身を起こさず」となる。 LXX「彼は利をむさぼらず」
24節 わたしは彼の敵を打ち砕く 月本:原文は「彼の前から粉々にする」
25節 わたしの真と慈しみが、彼と共にあり 本詩を貫く主題 (2,3、15,34,50節)5回繰り返す
彼の角は主の御名によって、高く上げられる。1サム1:10 16:1も参照
26節 彼の手は海にまで、彼の右手は大きな川々にまで置かれる 詩編72:8、ゼカリヤ9:10
27節 彼はわたしを呼ぶ「あなたこそわが父、わが神 救いの大岩」との告白
28節 わたしもまた彼を立てる 彼を人類の長子に 地の王たちの最高の王に。
29節 彼のためには、永遠に慈愛を約束する。
わたしの契約は彼に対して、忠実に守る
30節 彼の子孫を永遠に支え、彼の王座は天の続く限り。
31節〜33節 ダビデの子孫の罪は、罪として罰する。
32節 それでも慈しみは彼(ダビデ)から取り去らない。
35節 契約は破らず、口から出た言葉を守る。
36節 わたしの「聖さ(ホーリネス)」にかけてもダビデを裏切らない。
37節 彼の子孫はとこしえに続く
38節 太陽のように、月のように 彼の王座はとこしえに続く。
 この第二段落では、神様のダビデへの愛と契約を徹底的に語られた!
 
4)39 しかしあなたは、御自ら油を注がれた人に対して
激しく怒り、彼を退け、見捨て
40 あなたの僕への契約を破棄し/彼の王冠を地になげうって汚し
41 彼の防壁をことごとく破り/砦をすべて廃虚とされた。・・・
47 いつまで、主よ、隠れておられるのですか。
御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか。
48 心に留めてください/わたしがどれだけ続くものであるかを
あなたが人の子らをすべて/いかにむなしいものとして創造されたかを。
49 命ある人間で、死を見ないものがあるでしょうか。
陰府の手から魂を救い出せるものが/ひとりでもあるでしょうか。〔セラ
50 主よ、真実をもってダビデに誓われた/
あなたの始めからの慈しみは/どこに行ってしまったのでしょうか。
51 主よ、御心に留めてください/あなたの僕が辱めを受けていることを
これら強大な民をわたしが胸に耐えていることを。
⇒ 主よ、思い起こし給え!(ザーカール)
ここでしじんは「思い起こしてください!」と二回訴えています。
イスラエルはその後国家を形成することはなく、王が立てられることもありませんでした。しかし、この約束は「メシヤはダビデの末から」とのメシヤ信仰に継承されて行きます。新約記者はこの約束が主イエスの降誕によって成就したと理解しています。
有名なルカ1:30-33にはこう記されます。「天使は言った『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない』」。
この詩編の結論は、クリスマスの主、ダビデの子への信仰告白へと続くのです。しかも彼は全人類の罪と死を滅ぼすメシヤとして来られるのです!
                 ハレルヤ
 

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