|
第87回箱根駅伝1月3日復路の7区、最初の3キロの入りが、早大と東洋大との壮絶な戦いの大勢を決した。
トップを走る早大の三田裕介(3年)が8分36秒で走ったのに対し、東洋大の大津翔吾(4年)は9分07秒。中継所で36秒あったその差は、早大の姿も見えない1分7秒差にまで広がったのだ。
東洋大の酒井俊幸監督は「大津の状態を考えたら、速いペースで入らせられなかった」と言う。それに対する早大の渡辺康幸監督は「三田の場合は最初から突っ込ませないと、彼の持ち味が出てこない」と言った。
12月29日の区間エントリー発表で東洋大は、前回エース区間(2区)を走った大津を7区にしていた。1万メートル28分45秒11をもつ大津で、スピードランナーの三田か八木勇樹(3年)が走ってくるはずの早大とスピード勝負をして、レースの主導権を握ろうとするものだった。
しかし、それも結局は、故障で12月上旬に他の選手と一緒のポイント練習ができず、何とか間に合った大津を7区に起用するという苦しい配置だったのだ。
渡辺はそれを察知し、勝負をつけるために前半から突っ込める三田を配置した。
東洋大は2年続けてアンカーを走った4年の高見涼を故障で使えないという誤算もあった。早大も、出雲と全日本でともに区間賞を獲得していた佐々木寛文(2年)と志方文典(1年)を使えないという大きな誤算があった。
特に大きかったのは、5区で東洋大の柏原竜二(3年)と対決させようと思っていた佐々木が、大会1週間前に座骨神経痛で使えなくなったことだ。そのため5区は猪俣英希(4年)の起用となったが、そこでは柏原に4分は差をつけられると想定した。
4区までにその差をどう埋めておくか。それを考えて悩んだ末に決めたのが、1区にスペシャリストの矢沢曜(3年)ではなく、1年の大迫傑を起用することだった。
最初から飛び出す度胸もあり、11月下旬の上尾シティハーフで1時間01分41秒の日本ジュニア新を出している彼なら、大爆発して2位以下に大差を付ける可能性が高いと考えたからだ。
その作戦はズバリ当たった。「最初から自分のペースで行った」という大迫は、早々と独走態勢に入ると歴代4位の1時間02分22秒で2位日大に54秒、8位東洋大に2分01秒の大差をつけて2区以降のトップ独走のお膳立てをしたのだ。
「1区の2分差が最後まで響いた。大迫が飛び出したのは序盤だったから追わせなかったが、集団が途中で動いて1分差くらいになっていたら、もっと違う展開になったはず」
そう悔しがる酒井は、4区終了時点での早大との差を「2分が限度」と考えていた。柏原が夏場に練習を積めておらず、昨年ほどの走りができないと思っていたからだ。
結局、4区終了時点での早大との差が2分54秒となった東洋大だが、誤算はまだ続いた。早大5区の猪俣英希が16キロ過ぎで柏原にかわされながらも粘りきり、27秒差でゴールしたのだ。1分前後の差を想定していた早大にとっては嬉しい誤算だった。
さらに早稲田にとっての嬉しい誤算は、翌日の6区でも続いた。大学駅伝初出場の高野寛基(4年)が途中で転倒しながらも58分55秒で走り、東洋大を逆転した上、36秒差を付けたのだ。
渡辺が「以前から下りの準備はさせていた。平坦になってからの叩き合いには自信を持っていたから、59分30秒では走れると思っていた」という高野の快走が、7区を三田で勝負する渡辺の決断の引き金にもなった。
昨年までは主導権を握り、余裕を持って走ることで後続との差を広げていた東洋大にとって、今回は逆に追う展開となった。
8区からは3区間連続で区間賞を獲得するさすがの強さを見せたものの、渡辺の的確な指示で走る早大を一気に追い詰めることができず、史上最少の21秒差で、早大18年ぶりの優勝を見届けることになった。
渡辺は「佐々木と志方が使えなくなった危機感でチームにまとまりが出た。4年生中心のチームになったことが逆によかった」と話す。
5区の猪俣、6区の高野に、9区の北爪貴志を加えた早大の3人の4年生は、1万メートルの持ちタイムでは遥かに勝る東洋大の選手に、120パーセントの力で対抗した。
対する東洋大の4年生ふたり(高野と大津)は故障に苦しみ、もうひとりの8区の千葉優も区間賞は獲ったが、北爪を27秒しか追い詰められない不完全燃焼だった。
渡辺の区間配置の冴えと4年生のパフォーマンスの差。それが21秒差となってあらわれた。「柏原がいたからこそ、彼のいる東洋大に勝ちたいと執念を燃やせた」という渡辺と選手たちの思いが結実した優勝であった。
|