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【箱根駅伝】早大を18年ぶりの総合優勝に導いた渡辺康幸監督(37)が初めて胴上げされ、男泣きした。18年前のエースだった男は、04年に史上最低の16位に沈むなど一時はシード落ちが続いた名門チームを再建。優勝候補と言われながら7位に終わった昨年の屈辱をバネに、監督就任7年目にして頂点に立った。
この瞬間を待ち続けていた。10月の出雲と11月の全日本で優勝した際にはあえて自制した胴上げ。歓喜のゴールから5分後、伴走車を降りて選手たちの元に駆けつけた渡辺監督は今季のタイトル数と同じ3度、宙を舞った。「最高でした。このためにやってきた。しっかり力を発揮してくれた選手たちに感謝したい」。くしゃくしゃにした顔からは涙がこぼれた。
学生時代は1年時の93年に優勝するなど早大の黄金期だった。だが、卒業後は駒大など新興勢力の台頭もあり、成績は下降。有力選手も集まらなくなっていった。04年は史上最低の16位。監督に就任したのはそんなドン底の時だった。
最初の2年間は予選会に回ったが、3年目でシード権獲得となる6位。自らの経験を生かした合理的な指導、付属高、系列校との一貫育成体制などで力をつけていった。北京五輪1万メートル代表の竹沢健介(現エスビー食品)を送り出したことで、佐久長聖(長野)などの強豪校からも有力選手が集まり始めた。4年目、5年目で連続2位。6年目の昨年は勝負の年となるはずだった。
しかし、結果は7位。「選手を集めるだけ集めて勝てない」。批判が耳に入った。「ふざけんなよ、と思ってました。反骨心です」。今季は3冠獲得をあえて公言し、プレッシャーをかけた。夏合宿では月間1000キロを走らせる過酷な練習も選手に課した。
今季に懸ける思いは態度でも示した。以前は都内の自宅から練習場のある埼玉・所沢まで通っていたが、年間の半分以上は宿舎に泊まり込み、選手と寝食をともにした。午前6時の朝練習も30分前にはグラウンドに現れ、目を光らせた。83キロあった体重も68キロまで落とした。「胴上げされる時のために」とおどけたが、実際は違う。選手と一緒に走るためだった。ジョグ中に積極的にコミュニケーションをとった。昨年までは給水をコーチらに任せていたが、今回は選手と併走しながら水を渡し、指示を送った。以前のスーツからジャージー姿に変わっていた。
3冠達成は「この1年間は監督生命を懸けてきた」結果だった。次に狙うのは現役時代に成し遂げられなかった2連覇。「2年連続で3冠できる強いチームをつくりたい」。指導者として、挑戦はまだまだ続く。
≪夫人も歓喜≫08年に渡辺監督と結婚した元テレビ局アナウンサーの愁子夫人(39)は1歳11カ月の長男・康介くんと大手町で歓喜の瞬間を見守った。「今年はストイックでした。自分がやらないと、選手が本気にならないと言っていました」。大好きなゴルフにもほとんど行かず、夜の宴席の誘いも断って、練習を最優先していたという。「11月以降は家でため息をついていることも多かった。重圧があったんだと思います」と労をねぎらっていた。
◆渡辺 康幸(わたなべ・やすゆき)1973年(昭48)6月8日、千葉県生まれの37歳。早大1年時の93年に2区区間2位で優勝に貢献。2年時は1区区間新、3年時は2区区間新、4年時は2区区間賞だったが、チームは3年連続2位。96年アトランタ五輪1万メートル代表。エスビー食品では故障に苦しみ、02年現役引退。03年に早大コーチ、04年に同監督となった。家族は夫人と一男。1メートル76、68キロ。
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