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長谷川穂積が負けた。
WBC世界フェザー級タイトルマッチ。4月8日、満員で埋め尽くされた神戸ワールド記念ホールは水を打ったように静まり返った。
テレビ観戦していた全国の視聴者もリビングルームで絶句したに違いない。バンタム級で10度の防衛を記録し、2階級制覇も成し遂げたあのチャンピオンが、挑戦者ジョニー・ゴンサレスのたった一発で沈んだのだ。稀代のサウスポーは、なぜ敗れてしまったのだろうか─―。
話は少しさかのぼる。
長谷川がWBC世界バンタム級王座から陥落したのはちょうど1年前だった。WBO王者、フェルナンド・モンティエルとの一戦は、4回の左フックが致命傷となって敗れた。この試合、ボクシングファンにとってショッキングな結末だったとはいえ、長谷川が3回までリードしていたこともあり、どこか「事故」というイメージが強く残った。この時点でV10王者の評価が揺らぐことはまったくなかった。
ゴンサレス戦はアウトボクシングへの原点回帰のはずだったが……。
一抹の不安が芽生えたのは昨年11月。
階級を一気に2つ上げ、2階級制覇に挑んだファン・カルロス・ブルゴスとのタイトルマッチである。この試合、長谷川は危険を顧みずに真っ向勝負を挑み、タフなブルゴスに打ち勝ってタイトルを獲得した。
勇敢なファイトスタイルに拍手を送るファンは少なからずいた。しかし、長谷川は元々、派手な打ち合いやKOとは縁の薄い、テクニックに長けた玄人好みのボクサーである。その能力と階級アップの危険性を計算すれば、慎重にフットワークを使い、かつて得意としていたヒット・アンド・アウェイに徹するべきではなかったのか。そんな疑問を強く抱いた試合だった。
バンタム級タイトルを手放した失意。最愛の母親を失った悲しみ。見ようによっては無謀とも呼べるボクシングを選択した理由は、本人にしか分からない。ただ少なくとも長谷川はブルゴス戦のようなファイトを「今回限り」と強く否定し、ゴンサレス戦を前にして次のように語っていた。
「今度は自分のボクシング、テクニック主体の美しいボクシングをします」(ボクシング・マガジン4月号)
つまりは、いたずらに打撃戦を演じず、ノックアウトにもこだわらず、スピードを生かしたアウトボクシングでポイントを重ね、確実に勝利を手にするのだと。長谷川自身がブルゴス戦を反省し「原点回帰」を心に誓っていたのだ。
ところが蓋をあけてみれば、事前に描いていたプランは水泡に帰した。
強打のメキシカンを相手に足を止め、打撃戦を演じる場面を少なからず作ってしまったでのある。
長谷川が原点回帰に失敗したのはなぜなのか?
試合後、ゴンサレスは次のようにコメントしている。
「打ち合ってくれるのは望むところだった。私の方がパンチが強く、打ち合えば私の方が強い。長谷川はそれほどパンチがあるわけではない。むしろリングを大きく使い、足を使ってファイトされたら嫌だった」
フィニッシュの場面は、クロスレンジでの打撃戦でなかったとはいえ、リスクの高い好戦的な姿勢が招いた結末に違いない。攻め急いで前に出ようとした瞬間、必然的に食らったカウンターパンチだったのである。
ではなぜ、長谷川は原点回帰に失敗したのか。理由を一つに絞り込むのは難しいが、いくつかの仮説は成り立つ。
長谷川は防衛を重ねながら、派手な試合を志向していった。
長谷川がバンタム級王者となったのは'05年4月だ。ここまでの戦績が19戦17勝(5KO)2敗。世界戦の戦績は13戦12勝(7KO)で、飛躍的にKO率が上がっている。対戦相手のレベルが上がれば上がるほどKOは難しくなるのが常識だから、これは脅威的な変化である。
KO率の増加には様々な理由が考えられる。
世界王者となって注目度が上がった。ならばよりファンを意識した派手な試合をしなければならない。責任感の人一倍強い長谷川はそう意識したはずだ。バンタム級では減量が苦しく「足が動かない」とよく口にしていた事実から推測すると、実は動きたくても動けず、足を止めて打ち合うスタイルを選択せざるを得なかった、という見方もできなくはない。
どのような背景であれ、長谷川は防衛を重ねながら、よりスリリングな、よりリスクの高いボクシングにシフトし、しかも堂々と結果を残した。試合を目にした人々に興奮と感動を与え、人気もぐんぐん上昇した。こうして得られた成功体験に、頭ではなく、体が縛られてしまった。そう考えることはできないだろうか。
加えてこの日の興行では、世界王者の粟生隆寛、西岡利晃がともにKOで防衛を果たした。大トリを務める長谷川に無言のプレッシャーも与えたに違いない。
いずれにせよ、はっきりした結論は一つだ。今のままの長谷川では、世界のフェザー級戦線でトップに立つのは苦しい、という事実である。
フェザー級では長谷川のパンチは届かないし軽過ぎる!?
「長谷川はスピードのある偉大なボクサー。ただ、フェザー級にしては小さい。検診で初めて長谷川を見たとき、フェザー級にしては小さすぎると思った。これは私にとって有利な材料だと感じた」
ゴンサレスの言葉を聞くまでもなく、リング上で相対すると2人の体格差は明らかだった。
体格差はパワーだけでなく、ボクシングにとって最大のキーとなる両者の距離に影響を及ぼす。この試合でも、長谷川のパンチが届かない、という場面を何度か見た。ブルゴス戦でもみられた光景である。届くと思ったパンチが届かず(あるいは浅くしか当たらず)、かわせたと思ったパンチが意外にもヒットしてくる。わずか数kgとはいえ、階級の壁は高く、厚いのである。
「次やるにしても相当の覚悟が必要です」
長谷川は試合後、集まった取材陣の前でそう語った。現役を続けるのか、続けるのであればどのクラスでファイトするのか、現時点では分からない。
ただ、もしフェザー級にとどまるのであれば、体格的なハンディを認めた上で、徹底したリスクマネジメントが必要であろう。体を作り直してパワーアップを図るという選択肢もあるが、時間がかかるし、本来の長所を生かさない手はない。
たとえ「つまらないボクシングだ」と批判を受けたとしても構わない。
フェザー級仕様のボクシングを貫く「相当の覚悟」こそ、長谷川復活の条件ではないだろうか。
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