世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

「一燈を提げて、暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。ただ一燈を頼め」言志晩録

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ねえ!日本人なら、
せめて
「武士道」と「騎士道」の違いぐらい
知っておきませんか?
 
日本再生・蘇りのために
 
最近の若者は「葉隠」も知らない
読んだこともない
日本人が増えてきた
 
イメージ 5
 
イメージ 1
 
ぶしどうは いかにちるかだ
 
 きしどうは いかにさくかだ 
 
さくらとばら

武士道は いかに散るかだ 騎士道は

                 いかに咲くかだ 櫻と薔薇だ 


 
 
イメージ 2
 
「騎士道」と「武士道」の違い!
 
 日本再生・蘇りのために。
 
中学生の団体が吉水神社に参拝に来られた。
 
宮司は、唐突に聞いてみた
 
「君達は騎士道と武士道の違いを知っているか?」
 
中学生達は、キョトンとして、怪訝(けげん)な顔で宮司を見つめた。
 
中学生「・・・・・?」
 
宮司は、おもむろに語った
 
「騎士道は、いかに美しく生きるかだ!」
 
「武士道は、いかに美しく死ぬかだ!」
 
 
と言ったとたんに大きな拍手をして
 
中学生は感激して握手をしてきた
 
中学生達は「何で嬉しかった」のだろうか?
 
中学生達は「何に感動して」バンザイを三唱したのだろうか?
 
 
宮司は、その後
 
大事なことを付け加えた
 
「自分の為に死ぬのは美しくない死に方だ、生きるだけ生きて、世のため人の為、国家のために死ぬのが美しい・・」と大きな声でつぶやいた。
 
「日本人が桜が好きな理由はね・・・潔いからだ・・散りかたが見事だから」だと語った。
 
中学生達は・・「イエィ!イエィ!」
 
タッチ・・・タッチをして帰って行った。
 
 
人生で大切なことは・・・命を大切にすることだ
 
せっかくこの世に生まれてきて
 
国家の為に何もせず死んでたまるか!!
 
「武士道とは、美しく死ぬことである」
 
そのためには
 
「美しい人生」を生きなければならないのだ。
 
 
中学生は竹林院からまた再び宮司を訪ねて来た・・・
 
だから
 
神社での正式な手の洗い方や、正式な拝み方を教えた
 
中学生達はまた・・・感激してバンザイ・・・バンザイと叫んだ
 
またしっかりと・・・・握手をして別れを惜しんだ
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
「死ぬことは、終わることではない!」・・・・葉隠武士
 
宮司は神職だから、「江戸時代の武士の死生観」が気になる。 死者に対し、血を流すことの「穢れ」と「祓い」はどうだったのか大変気になった。 やはり・・・・・武士は死が終わりでなく、再生・甦りへの登竜門だと認識して、死や血は祓い清めれば浄化できると考えていた。 だからこそ・・・・命を惜しまぬ覚悟が出来ていた あの「特攻隊の若者が・・・・死んだら靖国神社で会おう」と叫んで桜の花びらのように散ったのは「武士の魂」だったのだ。 だからこそ・・・微笑んで死んで行けたのだ。 死は終わりではなく・・・・次の人生の始まりと武士達は考えて 戦場で「汚れた心身」は・・・・神社で「祓い清め」て・・再生浄化したのだ。 肉体は滅びるが「霊魂」は不滅だと侍(さむらい)は、考えていた。
 
騎士道」と「武士道」とは
 
似ているようだが大きく違います。
一見同じような印象を受けますが、
根本的に違うのです。
日本とヨーロッパやアメリカの
精神性の違いが書いてある名著、
ベネディクトの「菊と刀」に書いてあるように
武士道とは
 「恥」をかかない事を重視しているので、戦に負けても自分だけ生き残る=恥と考え、
 負けて捕虜になるくらいなら死を選びます。
騎士道とは
 「罪」を犯さない事を重視しているので、チャンスがあるのに自らの命を絶つ=罪と考え、
 生き延びるチャンスがある限り諦めません。

「武士道とは死ぬ事と見つけたり」で有名な言葉が「葉隠聞書」にはありますが
これは死を望むのではなく、
常に死を迎えても
後悔せぬ生き方をするという意味です。

騎士道はキリスト教の影響を大きく受けています。
11世紀頃、有名な十字軍遠征が始まります。
ローマカトリック教会公認の「聖なる戦い」なので、
騎士達は教会でキリストの祝福を受けるようになり、
これが儀礼化し「騎士叙任式」となりました。
共通して言える事は多いです。
「忠誠」「礼儀」などが代表でしょう。
 
<常在戦場の心構えと武士の生死観>
 
若者たちが出会って話し合うことは、
全て金銀の噂や損得の考え、
家計のこと、衣服の品定め、
色欲の雑談だけで、こうした話題がなければ
一座が白けて見えるというのは、
まことに困った状態になったものだ。
 
金銭ばかりを大事なもののように考えているから生まれるのではなかろうか。不釣り合いな贅沢さえしなければ、とにかくそんな考えはなくなってしまうものである。
 
 
「日本武士道の覚悟」
 
五・六十以前迄の士(さむらひ)は、
毎朝、行水、月代、髮に香をとめ、
手足の爪を切つて輕石にて摺り、
こがね草にて磨き、懈怠なく身元を嗜み、尤も武具一通りは錆をつけず、
埃を拂ひ、磨き立て召し置き候。
 身元を別けて嗜み候事。
伊達のやうに候へども、風流の儀にてこれなく候。
今日討死討死と必死の覺悟を極め、
若し無嗜みにて討死いたし候へば、
かねての不覺悟もあらはれ、
敵に見限られ、穢なまれ候故に、
老若ともに身元を嗜み申したる事にて候。
 事むつかしく、隙つひえ申すやうに候へども、
武士の仕事は斯樣の事にて候。別に忙(せ)はしき事、隙入る事もこれなく候。
 常住討死の仕組に打ちはまり、篤と死身に成り切つて、奉公も勤め、武邊も仕り候はば、恥辱あるまじく、斯樣の事を夢にも心つかず、欲得我が儘ばかりにて日を送り、行當りては恥をかき、それも恥とも思はず、我さへ快く候へば、何も構はずなどと云つて、放埒無作法の行蹟になり行き候事、返す返す口惜しき次第にて候。
 平素必死の覺悟これなき者は、必定死場惡しきに極り候。又かねて必死に極め候はば、何しに賤しき振舞あるべきや。このあたり、よくよく工夫仕るべき事なり。
 又三十年以來風規相替はり、若侍どもの出合ひの話に、金銀の噂、損徳の考へ、内證事の話、衣裝の吟味、色欲の雜談ばかりにて、この事のなければ、一座しまぬ樣に相聞え候。是非なき風俗になり行き候。
 昔は、二十、三十ども迄は素より心の内に賤しき事持ち申さず候故、詞(ことば)にも出し申さず候。年配の者も不圖申し候へば、怪我の樣に覺え居り申し候。これは世上花麗になり、内證方ばかりを肝要に目つけ候故にてこれあるべく候。我身に似合はざる驕りさへ仕らず候へば、兎も角も相濟む物にて候。
 又今時若き者の始末心これあるをよき家持などと襃むるは淺ましき事にて候。始末心これある者は義理缺き申し候。義理なき者はすくたれなり。
 
<訳 >
 
五六十年前迄の武士は、
毎朝行水をし、頭髪を剃り、髪に香をつけ、手足の爪を切って軽石で擦り、
その上こがね草で磨いたりして怠惰にならず、専ら身だしなみに気を配り、
しかも武道についても一通りのことは一心に励んだものである。
 
 身だしなみに気を配ることは、一見洒落者みたいに見えるかも知れないが、
それは風流心からではない。
今すぐにも討死だと決意をし、仮に何の身だしなみもなしに討死したら、
普段の気の緩みも現れ、敵に馬鹿にされ、賤しまれたりするので、
老いも若きも身だしなみに気を配ったのである。
 
 こうしたことは、面倒くさく、時間のかかるもののように思われるだろうが、
武士の仕事はこのようなものなのだ。別に忙しく、手間取ることでもない。
 
 いつも討死のつもりで死身になりきって奉公にも精出し、武芸にも励めば、
恥をかくこともないものを、それと気づかず、欲得、わがままばかりで一日一日を過ごし、いざという時に恥をかくが、それを恥とも思わず、自分だけよければ後はどうなっても構わないなどと言って、とんでもない行状になってしまうなど、返す返すも残念なことだ。
 
 普段から必死の決意のない者は、必ずや悪い死に方をするに決まっている。また、普段必死の思いで過ごしていれば、どうして賤しむべき行為などするものか。この辺の事情をよく考えるべきである。
 
 また、三十年この方、諸事万端が変わって、若侍たちが出会って話し合うことは、全て金銀の噂や損得の考え、家計のこと、衣服の品定め、色欲の雑談だけで、こうした話題がなければ一座が白けて見えるというのは、まことに困った状態になったものだ。
 
 昔は、二三十歳ぐらいまでは、そもそも心の中に賤しい考えを持ってはいなかったから、当然言葉にも出さなかった。また、年輩者もついうっかりそのようなことを言い出したりすれば、怪我でもしたように考えたものだ。
 
こうした風潮は世相が派手になり、金銭ばかりを大事なもののように考えているから生まれるのではなかろうか。不釣り合いな贅沢さえしなければ、とにかくそんな考えはなくなってしまうものである。
 
 また、若い人が倹約心などあると、よいやりくりであるなどと褒めるのは、浅ましい限りである。倹約心などのある者は、結局は義理を欠くことになるに決まっている。義理を忘れる者は、言うまでもなく心卑しく、劣った者である。
「武士道精神」を蘇らせる会 全国実行委員会
代表 吉水神社 宮司 佐藤一彦

 
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死に直面した時に「あれもやり残した これもやり残した・・・」と未練を残さないよう日々を生きております
授かった息子にとっては厳しい父であったとは思いますが 自分の人生観はほぼ授けたと思います 彼もあと数年で独り立ちしてくれそうです
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」 好きな言葉です 削除

2014/11/5(水) 午後 0:56 [ kazz ] 返信する

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開戦時の永野修身軍令部総長は、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。〜戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。」と、発言されました。この言葉は、武士道の精神にかなっていると思います。負けることが、解っていたらあきらめてしまう人も今は多いでしょう。あきらめずに、立ち向かえば結果は残るものです。焼け野原となった東京が、たった19年(1964)でオリンピックを開催できたのですから。 削除

2014/11/5(水) 午後 5:49 [ 太獅子 ] 返信する

葉隠を思い出しました。
武士道とは死ぬことと見つけたり…

2014/11/5(水) 午後 10:42 通せんぼ 返信する

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通せんぼ葉隠の武士道は最高です

2014/11/5(水) 午後 10:43 吉野の宮司 返信する

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