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よしもと文化人セクション オフィシャルブログ
藤川奈々が聞き手となりインタビュー形式でよしもと所属の文化人を紹介します!

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MXテレビ『ひるキュン』 月曜レギュラーコメンテーターの池内ひろ美さんにインタビューさ せて頂きました。

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恋愛結婚離婚相談、20年で37.000件!

◆相談は、男性4割、女性6

相談はほぼ女性かと思っていたので、男性4割と聞き、 ビックリしました。

池内ひろ美「 男性の相談者様は、私が可愛いからご相談にいらっしゃるのかと思いました( 笑)もちろん、違いますよ。ご相談来所なさる男性は真面目な人なので、 私の出版本31冊読んでいらっしゃいます。本に”私たち女性は”という表現がないのが信用できた、決めつけがなかったから信頼して来ましたとおっしゃられます 」

◆真面目である人の側が苦しい立場になる

池内ひろ美「恋愛や結婚においては、真面目な側が悩みを抱えます。攻撃的な彼女に振り回されて悩む男性、 俺はビッグになると言うだけで働かない男性を支える女性。いい加減な人は相手を苦しめ、それを受け止める真面目な人が悩ましい立場になることが多いんですよね」

◆相談料

池内ひろ美2時間まで3万円。2回目からは1時間2万円です。個人へのコンサルティングやカウンセラーという仕事は日本では地位が低くあります。アメリカでは自分を担当する専属カウンセラーを持っている事がステイタスでもありますので、相談料は1時間5万円以上ですが、日本は形のないものにお金を払う文化がない国。私が始めた頃は、1時間3千円がアベレージでした。これでは、カウンセラーとして、生業(なりわい) を立てる事ができません。他の人たちのためにもビジネスモデルとして成立する様にする事が私の役割と思い構築し、意識して相談料の値段を上げてきました。今では、一般の方だけでなく行政書士なども夫婦問題、 離婚相談を看板を掲げられる様になりました。離婚マーケットを作ってきたことは社会貢献であると感じています。」

◆離婚のダメージから脱却

池内ひろ美「昔は、 離婚するとテレビに出演できませんでした。離婚したから出しちゃダメみたいな。私が離婚した時代あたりから イメージが変わったなと感じます。」

◆本を書いたらヒット

池内ひろ美「本を31冊書きました。 私が語るすべてのことはクライアント様が教えて下さいました。元々、心理学は南博(みなみひろし) 先生の私塾に通って勉強しました。法律は、遠藤誠先生に教えて頂きました。弁護士法違反とならない相談を行うためには法律を知っておく必要があると教えてくださいました。でも、私は短大卒です。法学部を卒業しているわけではないため、1回聞いても理解できません。 何回も尋ねるわけにはいかないときは他の弁護士に尋ねます。それでもまだわからない場合は、また別の弁護士に尋ねる。そうしているうちに弁護士ネットワークが大きくなりました。

”東京家族ラボ”で離婚相談を行ってきたなかで 弁護士さんが60人以上関わってくださっています。ご相談は全国からいらっしゃいますが、事件として弁護士に依頼する場合、東京の弁護士が地方へ行くと高額な出張費がかかります。そうならないため各地域に協力してくださる弁護士先生がいらっしゃいます。」

◆専業主婦からコンサルタントに

池内ひろ美「私の時代は『女はクリスマスケーキ(25を超えると売れ残り)』と言われ、 24歳で結婚しました。実父は古い考え方でした。女は勉強するとろくなものにならない、 料理ができる可愛げのある女になりなさいと育てられました。結婚から8年間ずっと専業主婦で、子どもを産み、家も建てました。

娘が5歳になった時、そろそろお仕事したいなと言うと、『女の人は仕事をするものじゃないでしょ』と前の夫に言われ、ああ、これは彼が悪いのではなく私が悪い。私が結婚相手を選び間違えたと思い、離婚を決意しました。」

◆リストラそして離婚       

池内ひろ美「独身時代に少し仕事をした事があるくらいで、 高い学歴も役立つ資格も持っていませんでした。当時は、5歳の子どもを持つシングルマザーでは就職のための面接も受けられませんでした。『子どもが熱を出したら会社を休むでしょう。だから採用面接しても無駄ですね』と言われました。でも、何かして生活の糧は必要です。そのとき、誰でも本を1冊は書ける。半生記を書けばいいと何かで読んだフレーズを思い出しました。

私は子どもの頃から文章を書く事好きでしたので、本だったら書けるかな。いえ、 本を書くことしかできなかったんです。”リストラ離婚”という、自分の人生を再構築するために夫をリストラ(離婚)しましたという本を書きました。初めて出版した『リストラ離婚』が運よく売れ、すぐに続編を書きなさいと言っていただけました。」

◆心配かけない人にならなければいけない

池内ひろ美32歳のとき32万円持って娘を連れて、大阪から東京に出ました。阪神淡路大震災の直後で大阪に職を見つけるのは困難でしたし、 岡山の実家からは、離婚した娘は帰ってくるなと言われました。その頃、産経新聞夕刊フジで連載を1本持っていたのですが、 当時の局長が心配して下さるんです。娘にちゃんと食べさせてるか、ひもじい思いをさせてはいないかって。とても有難い温かいお気持ちですが、声をかけていただく度に申し訳なく思い、 心配をかけない人に早くならなければと思い、懸命に仕事をしました。」

◆前編はここまで
池内さんの半生をお聞きした前編はいかがだったでしょうか?
逆境にめげずに進まれる姿勢に感動しました。

後編では、池内さんの価値観や今後の展開についてお話しを聞きましたのでそちらをお届けします!
他では語られない池内さんのプライベートな部分も紹介します!ご期待ください!

◆インタビュー後編◆

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