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人生一生一度きり!後悔しない人生でありたいと思いませんか? 現状に満足でないなら今日から 人生 好転させれば良いじゃないですか!

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地方が苦しいという時代に突入して、財政も逼迫していますよね!

昔は金の卵と言って、中学や高校を卒業すると都会へ集団就職で出て行った人も多かった。

しかし彼らもこれからどんどん定年退職です。そこでその人たちの2割でも退職後に出身地に戻るとなると、地方の活性化にならないかと思うのです。次男三男なんていう方には、地元で空き地になっているところに自治体が安い住居を用意すれば良いのです。地元に戻れば親戚や幼馴染がいるはずですから暮らしやすいでしょう。。。物価も安いと思いますしね!

地方活性化について、どんどん参加してもらえば良いではありませんか?日本の高度成長期を支えた集団ですから、新たな産業を生み出したり、技術を伝えたりしてくれるのでは思うのですがね!

ご多分にもれず、わが街もとっても財政難なようです!人が集まるところが繁栄し潤うのですから・・・東京一極集中ではなく!カムバック団塊世代!!!都会の水はしょっぱいぞ〜 田舎の水は甘いぞ〜





  集団就職の若者たち

 敗戦後の日本が復興し、高度経済成長となるのを支えたのは、中卒の集団就職者であった。
子供は3〜5人いるのが当り前の時代、高校へ進学できる家庭は珍しく、大半はは中学を卒業すれば就職するのが当然のように思っていたし、また、親にとっても早く働いて、貧しい家計を助けて欲しい時代だったが、慢性的人手不足の都市部と違い、経済格差の大きい農漁村は就職口はほとんどなかった。
 昭和29年4月5日、就職専用列車が青森駅から上野駅へ向けて発車した。乗客は、中学を卒業したばかりの少年少女。知らない土地での不安と、少しばかりの希望の複雑な思いで列車に乗込んだ。
以来、東北各地から上野駅へ、西日本方面から品川駅へ、毎年多くの若者が東京の土を踏んだ。
雇用者側から、金の卵と呼ばれた中学卒業者のピークは、高度経済成長と同じく昭和35年から45年までで、高校進学率が90%を越えた45年に、就職列車は廃止された。

 「金の卵」と呼ばれた彼等は、安い賃金で真面目に働く貴重な労働力であったが、彼らにとって、都会の生活は甘くはなかった。
はじめの約束の定時制高校どころか、給料は日給月給、残業手当や有給休暇などあるはずもない。
就職先はほとんど中小零細の町工場や商店などで、当然、住込みで、給料は3,000円か4,000円。
当時の高卒平均初任給11,560円、大卒17,179円とくらべ、いかに安いかがわかるだらう。
しかも労働条件は過酷で、1日労働時間は10時間余。休みは月に2回あればいいほうで、ほとんど無いところもあった。住込みだから、休みが取りにくい雰囲気だったのだ。
 そして、地方なまりをバカにされ、なれない仕事と知らない街での寂しさの中で頑張った。
少ない給料の中から半分を田舎に仕送りをする、そしてまた、夜遅くまで残業の毎日だった。
数少ない休みの日は、いつも、入れ替えのない映画館で一日過ごしたりしていた。
帰るのは雑魚寝の寮で、そこさえも、告げ口やいじめ、けんかが絶えず、みんな孤独だった。
田舎に帰りたくとも、幼い弟も妹もいたから帰れない。夢など持てるはずもない毎日だった。

 もちろん中には、一人前になればのれん分けで、店を持たしてくれるところもあった。
だがそれは、口約束が多く、実際にはきわめて珍しいことであったはずである。
親の援助や、借り入れ資金で運良く独立開店できても、スーパーマーケットチェーン店が出来始めて、零細店の生き残りの厳しい時代となっていった。
町工場の工員たちも同じことで、機械一台買って独立するのも難しいことだった。
いずれも、夢をあきらめ、大工場の歯車の一員として、転職するものが多かったのだ。
そして、そこからも落ちこぼれ転落の道を転げ落ちていった若者もいたのである。
 彼らの思い出話は、実はわたし自身の住込み奉公体験と重なり、証明できることなのである。

 こうした中で、自分たちの居場所を見つけだした彼らは、思い切ってそこに足を向けた。
そこには、田舎出の工員、店員、見習い職人、お手伝いさんらが語り合っていた。
孤独、東北なまり、家の貧しさ、誰もが「帰りたくても帰れない」同士、
「おれだけがつらいんじゃない」ことを知り、「おれも頑張って生きよう」と思い直した。
そして、、しっかりと地に根をはり始め、裸一貫から独立開業し、一国一城の主になった仲間もいる。
 そこは、働く仲間達のサークル「若い根っこの会」であった。

http://www.geocities.jp/seiko68t/sub9.htm#syu  こちらのHPから抜粋させて頂きました!



前職で我輩が茨城県に転勤になったのは、言われなき中傷(本社統括セクションの責任者の責任逃れのため)によって販社へ出向という憂き目をみたからでした・・・・それはもう悔しくて。。。引越しの日(赴任日)、東京駅からつくば行きのバスに乗り換えた時に、我輩心の中で「ああ上野駅」という古い歌を歌っていました!役員と親しくなって2年で帰ってきましたが!「くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった」という歌詞は今でも心の中にあります。・・・集団就職世代ではないのですがね!

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集団就職ですか・・う〜〜んしかし今日本では、子供達が色んなお仕事のお手伝い体験や見学が出来る便利で楽しい場所がある様ですね〜知ってる?私の幼児時代にもそんなセンターがあったら良かったのに〜と羨ましく感じてます。

2007/2/27(火) 午後 2:53 maririn7ny

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知ってますよ〜お手伝いして、そこだけで使える紙幣をもらえると聞いていますが・・・・・まあマリリンのように戦中派には考えられなかったでしょうね(失礼!逃げよっと・・・ほほほ笑えよ〜)

2007/2/28(水) 午後 5:45 yos*i*uraki*aku*3yk*


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yos*i*uraki*aku*3yk*
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