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人生一生一度きり!後悔しない人生でありたいと思いませんか? 現状に満足でないなら今日から 人生 好転させれば良いじゃないですか!

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友人のおやじのブログにこんなのが書かれてました!!!彼の奥さんは病院の治療方針(金儲け主義、患者のためにならない治療方法)に納得がいかず、大病院の婦長を辞め、個人の良心的な医院に勤務しています。。。おやじは転載を認めていないので念のためトラックバック先のアドレスを載せときますので・・・http://blogs.yahoo.co.jp/tokiokatoshio/56070388.html





今、全世界で一番奇形児の生まれる確立が高いのが日本です。年間3万体の奇形
児が生まれてくるそうです。指の数が多い少ないなんて当たり前。脳が無い子供
手足が無い子供が3万体(厚生省2000年調査資料から)ですよ。もしそのよう
な子供が生まれた時は親に死産とだけ伝えて水に浸けて窒息死させるそうです。
知り合いの看護婦さんに聞いたときは本当にゾッとしました。

人間に関わらず日本の近海は凄く汚れています。何故か?科学薬品たっぷりの液
体は排水溝を通じて川に流れいずれは海に流れ出してきます。その川や海で生息
する魚介類を人間は食べます。これも漁師さんの話ですが日本近海では頭が二つ
ある魚やエラの無い魚、背骨の曲がった魚が毎回網にかかるそうです。最近は1
本物の魚をあまり見かけなくなりましたが切り身になってしまったら解らないで
すよねここにお伝えさせて頂いた事はほんの一例です。当然厚生省やメーカーに
も責任はありますが、消費者自身がもっと自分や家族、環境のことまで考えない
と自分で自分の首をしめる。先進国の日本ではありますが、環境面ではまだまだ
発展途上国の日本。変えるも変えないもまずは貴方自身からじゃないでしょうか

もちろん中国製品は、安いだけの商品を流していますので(ただし日本の指示)
なんでもありです。ばい煙も・ダイオキシンも日本にはどんどん飛んで来ている
日本人は教育を嫌います。すぐ盗んで会社を辞めるからです。問題はありますが
まず!京都議定書をまったく無視するアメリカと中国そして1人あたりの排出量
の多い日本人も襟を正しましょう。地球は1っなんです。他人事じゃないですょ




我輩も2005年にこんなのを掲載しました。ご参考に・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimurakikaku43ykj/21358876.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimurakikaku43ykj/20023346.html

★ ★★シークレットサンタ★★★



アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金を

プレゼントする男性がいた。



彼はいつしか

「シークレットサンタ」と呼ばれるようになった。







1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に

迷っていた。



あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれた

ように注文してしまった。





請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。



そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリを

しながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。





一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札(現在約2400円)が

落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。







だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を

変える重大な鍵となる。





1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだ

ラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働いた。





結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。







だが1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追い

つめられた。



貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそう

になった。





だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。







改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして

懸命に働いた。



だが彼はまたしても試練を与えられる。







1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇

されてしまったのだ。





もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。







ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。



店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。





ラリーは彼女が困っているのだと思い、

おつりの中から20ドル札をプレゼントした。





彼女は受け取れないと言ったが、ラリーは『クリスマスプレゼントだ』

と言って手渡した。





この日はクリスマスだった。





女性は嬉しそうに礼を言った。







その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることに

なった。





そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバー

オールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。





そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼント

として手渡したのだ。





シークレットサンタが誕生した瞬間だった。





20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けと

なり喜んで受け取ってもらえた。



それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。





家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかった、と聞かれた。





ラリーは落としてしまったと答えた。





すると妻は怒るどころか、仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね、

と微笑むだけで文句を言わなかった。







翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。





そして、その年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする

活動を続けた。





そしてその金額は少しずつ多くなっていった。





不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の

業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新し

い車を買えるまでになった。





ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。





彼は家族にも言っていなかったのだ。







彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けた

のだが、 9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーで

あることがわかってしまった。





すまないと謝るラリーに、妻は



「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助け

られるように協力するわ」



と答えた。





以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。





1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材

に応じた。





カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台

に出ようとしなかったと話す。





しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに

高くなった。





一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという

思いが募っていった。







そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅

を訪れた。







その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。





28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた

日のこと。





本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、

我に返って真実に気づいた。



20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。





男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。





ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。



そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。





自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに

1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。





受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげ

だと引かなかった。



当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人へ

の優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。





それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がると

テッドは話している。



テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている

人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。



人を思いやる気持ちは健在だった。





そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。



2001年には、世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、

ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。



2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に

7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)に

なった。







だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした





彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告

されたのだ。



正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを

広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイ

ヤー記者は話す。







その反響は大きかった。



2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。

大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。





その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。



そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。







今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。



それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタ

として刻み込まれただろう。



生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも

1回他人への親切な行為を行うこと。



今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。



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このストーリーは、TV番組で放送されたもので、その時の映像はYouTubeにアップされています。



興味のある方は見てみて下さい。↓

http://www.youtube.com/watch?v=nSySDdox4Mw

イメージ 1

地方が苦しいという時代に突入して、財政も逼迫していますよね!

昔は金の卵と言って、中学や高校を卒業すると都会へ集団就職で出て行った人も多かった。

しかし彼らもこれからどんどん定年退職です。そこでその人たちの2割でも退職後に出身地に戻るとなると、地方の活性化にならないかと思うのです。次男三男なんていう方には、地元で空き地になっているところに自治体が安い住居を用意すれば良いのです。地元に戻れば親戚や幼馴染がいるはずですから暮らしやすいでしょう。。。物価も安いと思いますしね!

地方活性化について、どんどん参加してもらえば良いではありませんか?日本の高度成長期を支えた集団ですから、新たな産業を生み出したり、技術を伝えたりしてくれるのでは思うのですがね!

ご多分にもれず、わが街もとっても財政難なようです!人が集まるところが繁栄し潤うのですから・・・東京一極集中ではなく!カムバック団塊世代!!!都会の水はしょっぱいぞ〜 田舎の水は甘いぞ〜





  集団就職の若者たち

 敗戦後の日本が復興し、高度経済成長となるのを支えたのは、中卒の集団就職者であった。
子供は3〜5人いるのが当り前の時代、高校へ進学できる家庭は珍しく、大半はは中学を卒業すれば就職するのが当然のように思っていたし、また、親にとっても早く働いて、貧しい家計を助けて欲しい時代だったが、慢性的人手不足の都市部と違い、経済格差の大きい農漁村は就職口はほとんどなかった。
 昭和29年4月5日、就職専用列車が青森駅から上野駅へ向けて発車した。乗客は、中学を卒業したばかりの少年少女。知らない土地での不安と、少しばかりの希望の複雑な思いで列車に乗込んだ。
以来、東北各地から上野駅へ、西日本方面から品川駅へ、毎年多くの若者が東京の土を踏んだ。
雇用者側から、金の卵と呼ばれた中学卒業者のピークは、高度経済成長と同じく昭和35年から45年までで、高校進学率が90%を越えた45年に、就職列車は廃止された。

 「金の卵」と呼ばれた彼等は、安い賃金で真面目に働く貴重な労働力であったが、彼らにとって、都会の生活は甘くはなかった。
はじめの約束の定時制高校どころか、給料は日給月給、残業手当や有給休暇などあるはずもない。
就職先はほとんど中小零細の町工場や商店などで、当然、住込みで、給料は3,000円か4,000円。
当時の高卒平均初任給11,560円、大卒17,179円とくらべ、いかに安いかがわかるだらう。
しかも労働条件は過酷で、1日労働時間は10時間余。休みは月に2回あればいいほうで、ほとんど無いところもあった。住込みだから、休みが取りにくい雰囲気だったのだ。
 そして、地方なまりをバカにされ、なれない仕事と知らない街での寂しさの中で頑張った。
少ない給料の中から半分を田舎に仕送りをする、そしてまた、夜遅くまで残業の毎日だった。
数少ない休みの日は、いつも、入れ替えのない映画館で一日過ごしたりしていた。
帰るのは雑魚寝の寮で、そこさえも、告げ口やいじめ、けんかが絶えず、みんな孤独だった。
田舎に帰りたくとも、幼い弟も妹もいたから帰れない。夢など持てるはずもない毎日だった。

 もちろん中には、一人前になればのれん分けで、店を持たしてくれるところもあった。
だがそれは、口約束が多く、実際にはきわめて珍しいことであったはずである。
親の援助や、借り入れ資金で運良く独立開店できても、スーパーマーケットチェーン店が出来始めて、零細店の生き残りの厳しい時代となっていった。
町工場の工員たちも同じことで、機械一台買って独立するのも難しいことだった。
いずれも、夢をあきらめ、大工場の歯車の一員として、転職するものが多かったのだ。
そして、そこからも落ちこぼれ転落の道を転げ落ちていった若者もいたのである。
 彼らの思い出話は、実はわたし自身の住込み奉公体験と重なり、証明できることなのである。

 こうした中で、自分たちの居場所を見つけだした彼らは、思い切ってそこに足を向けた。
そこには、田舎出の工員、店員、見習い職人、お手伝いさんらが語り合っていた。
孤独、東北なまり、家の貧しさ、誰もが「帰りたくても帰れない」同士、
「おれだけがつらいんじゃない」ことを知り、「おれも頑張って生きよう」と思い直した。
そして、、しっかりと地に根をはり始め、裸一貫から独立開業し、一国一城の主になった仲間もいる。
 そこは、働く仲間達のサークル「若い根っこの会」であった。

http://www.geocities.jp/seiko68t/sub9.htm#syu  こちらのHPから抜粋させて頂きました!



前職で我輩が茨城県に転勤になったのは、言われなき中傷(本社統括セクションの責任者の責任逃れのため)によって販社へ出向という憂き目をみたからでした・・・・それはもう悔しくて。。。引越しの日(赴任日)、東京駅からつくば行きのバスに乗り換えた時に、我輩心の中で「ああ上野駅」という古い歌を歌っていました!役員と親しくなって2年で帰ってきましたが!「くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった」という歌詞は今でも心の中にあります。・・・集団就職世代ではないのですがね!

悲しい出来事でした

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アメリカユタ州ソルトレイクシティのショッピィングモールで、銃による殺人事件がありました。


我輩は3年前にソルトレイクへ行ってきたのです。英語が全く話せない我輩は、銃社会であり人種差別も強いアメリカに行くことは嫌だったのですが、一緒に行った人が英語が堪能だったため仕方なく行ったのです。


モルモン教の本部がある街で静かな街だと聞いていたのですが、我輩の予想を遥かに越える素晴らしい街でした。確かに片田舎の都市ではありましたが、静かで人も大変優しく、何より夜中にレストランに行って帰っても全く問題が無いほど治安が良い街だったのです!


アメリカ本土への渡航には拒否反応があった我輩でも、是非もう一度行ってみたいと思っている街なのですよ…
だからこそ今回の事件には大変なショックがありましたし、残念でならない思いが強いのです!


二度とこのようなことが起こらないことを祈るばかりです!


*因みに我輩は仏教徒です!

ご存知ですか?

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我輩恥ずかしながら殆ど知りませんでした(情けなや…)。


長寿を表す言葉に還暦、古希、喜寿、傘寿(さんじゅ)、米寿、卒寿、白寿、上寿というのがあります。(細かくはもう少しあるようですが…)


我輩、居酒屋「パン屋」の常連Kさん(博識、雑学王)に飲みながら質問されて傘寿、卒寿、白寿、上寿というのが答えられませんでした(フニャフニャフニャ〜)。殆どが略字にするとわかるようなのですが、思いつきませんでした。


覚えるためにも、誰か知り合いにそのまま話そうと(知ったかぶり)思って、早速今日友人のOオヤジとお洒落な喫茶店で会って昼食を取りながらこの話をしていました。隣の席には試験休みなのか女子高生らしき娘が2人ワイワイ話しをしていたのですが、どうやらオヤジは全て知っていたようで…


我輩が白寿というのは?と聞きながらヒントのつもりで『お前百まで わしゃ九十九まで、共に白髪の生え揃うまで』っていうでしょ!って言ったら、何とOオヤジ『ウチは既に夫婦とも下に白髪生え揃ってるわい』と言いながら大声で笑い始めました。。。(最悪〜)


隣の女子高生ははじめこそキョトンとしていましたが、そのうちクスクス笑い・・・我輩あまりに露骨でお下品なOオヤジに頭を抱えてしまいましたよ!!!
さすがに我輩『そんなもん知るかい!聞いてないわい』と一喝してやりましたぞえ…


ちなみに略字は上の図を見て頂くとして、還暦は60歳、古希は70歳、喜寿は77歳、傘寿は80歳、米寿は88歳、卒寿は90歳、白寿は99歳、上寿は100歳なのです〜
白寿は百という字に1が足らないというとこうことのようです、居酒屋「パン屋」ではKさんから漢字を聞かれたり(例えば韮:ニラはわかっても、らっきょという漢字はわかりませんよね?薤が正解なのですが…)、陰暦月の名称を順番に言わされたり・・・恐ろしいことにすっと出てこないのです。。。昔は当たり前に言えたのに・・・一度紙にでも書き出してみて下さい。驚くほど忘れていますから!
最近では居酒屋パン屋に行くとお勉強タイムとなってしまいます。。。(わからないことが多く恥ずかしい・・・)
ゆっくり飲ませて頂戴Kさん、お願い〜我輩おバカなのよ〜


皆さんご存知でしたか?知らなかったのは我輩だけかな〜?

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