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そして2002年秋、少しずつではあるが自分の足で歩けるようになっていた。ここまでくるのに、実に10年以上の歳月が流れていた。
マイケルの回復振りに驚いたハムリン医師は、ある提案をした。彼は脳と脊髄に障害のある人のための基金を立ち上げ、チャリティー活動の盛んなロンドンマラソンのレース中に募金活動を行っていた。マイケルがいれば士気が高まるからと、チームリーダーになって練習のメニュー作り手伝って欲しいと提案したのだ。
ずっとリハビリに打ち込んできたマイケルが、色々な人と接して気分転換になれば、とハムリン医師は思っていた。しかしマイケルは、ただのお飾りでは嫌だから、ロンドンマラソンに自分も参加すると言い始めたのだ。
走るのは無理だから、歩き通してみせると決心したマイケル。一生歩けないと宣告された人々に、希望を与えられるチャンスだと思ったのだ。同時に、何かをやり遂げて再び輝きを取り戻したいという気持ちも強かった。
レナードはもちろん彼を支えることになり、トレーニングを開始した。
一周1700メートルの公園を歩くのに、1時間以上かかった。だがロンドンマラソンまであと半年足らずしか時間はなかった。
2003年4月13日、ロンドンマラソンが開催された。参加者は32,746名。スタートの喧噪が一段落した頃、マイケルとレナードがスタートし42.195kmの挑戦が始まった。マラソンコースを歩くマイケルの周りには、募金用のバケツを持ったハムリン医師らが同行した。沿道で応援する人々はみな、マイケルの勇気ある姿に心を打たれ、バケツに募金を入れていった。
マイケルは順調に歩を進めた。障害のある左足を補うために、右足を徹底的に鍛えていたのだ。マイケルの近くには、応援したり握手を求めたり直接募金を渡そうとしたり、多くの人々が寄ってきた。
彼らの応援はマイケルにとって強い心の支えとなったが、歩みは決して止めなかった。一度止まってしまうと、歩き出すのに大変な体力を必要とするからだ。足を止めて応援に応えるかわりに、マイケルは右手の人差し指を天に向けた。それは、完走への強い意志の表れだったのだ。
スタートから2時間15分25秒、女子のトップを走っていたラドクリフ選手がゴールした。その頃マイケルは、全体の10分の1にも満たない4km付近を歩いていた。それだけでも相当体力を消耗していることは、誰の目にも明らかだった。
ところが5km付近で車椅子のランナーが立ち往生しているのを見つけたマイケルは、足を止めて手を差し伸べた。困った人を見るとだまっていられないのだ。
ゆっくりとマイケルは進んだ。いつゴールできるか、誰にも予想はできなかった。スタートから10時間、マイケルは8km付近にたどり着いていた。この日はゴールはるか手前で無念のドクターストップだった。
翌日、マイケルは再び歩き始めた。大会はすでに終わり、レース用の設備は撤去されていたので歩道を歩いた。彼が一日に歩くことのできる限界は8kmだった。毎日毎日、マイケルはゆっくりと歩を進めた。長い、孤独な闘いになるはずだった。
ところが、マイケルの歩みを新聞各社が報道し、連日のようにマスコミが彼の元を訪れた。さらに多くのサポーターもマイケルと一緒に歩いた。著名人達も応援にかけつけた。
日没後は、近くのホテルで体を休めた。マイケルの右足は、障害のある左足をかばうために負担がかかり、水ぶくれがつぶれて出血し、さらには化膿していた。その痛みから眠れない日もあった。体力は限界に達しつつあった。
スタートから7日目、彼は39kmを歩いていた。ゴールまであと少しのところで、マイケルがバランスを崩して倒れそうになった時があった。しかしレナードがとっさにマイケルを守って支えた。彼でなければマイケルの異変に気付き、助けることはできなかったであろう。
ゴールまであと1km。そこで待っていたのはクリス・ユーバンクだった。かつてのライバルであり、マイケルの人生を一変させた人物。彼がマイケルの到着を待っていたのだ。
実はこの12年間、クリスは片時もマイケルのことを忘れたことはなかった。彼の人生を台無しにした罪悪感を背負っていた。事故の直後には病院を訪れて母親に謝罪をしていた。母親の「事故だったのよ」という慰めにも、涙を流すことしかできなかった。強い罪悪感から、意識の戻ったマイケルに会うことができずにいたクリス。
だが、マイケルがロンドンマラソンに挑戦していることを知ったクリスは、もう逃げてはいけないと、会うことを決心したのだ。
クリスの姿にとても驚いたマイケルだが、二人はすぐに固い握手をかわし、その後はマイケル、クリス、レナードの三人で並んでゴールに向かった。それは、苦しみ続けた12年間の集大成にふさわしい光景だった。
6日2時間27分18秒。マイケルはついにゴールした。6日間で集められた募金総額は25万ポンド(当時5340万円)にものぼった。
マイケルのマラソンへの挑戦は、かつての自分を取り戻す旅だった。しかし、それは予想をはるかに越える人々の感動を呼び、12年間苦しみ続けてきたクリスの心をも救った。彼は不屈の精神で、再び栄光を掴んだのだ。
実はレース中、もう一人の伴走者がいた。元バンタム級ボクサーのスペンサー・オリバーだ。彼はマイケルと同じく試合中の事故で生死の境をさまよった経験の持ち主だ。だが彼は、マイケルが起こした訴訟により講じられた安全対策のおかげで的確に救助活動が行われ、命を救われていた。マイケルの勇気ある行動はここでも実を結んでいたのだ。
さらにマイケルはロンドンマラソンでのたぐい稀な精神力と崇高な行いを認められ、今年4月にイギリス勲章第五位を授与された。
そして現在、マイケルとレナードは今も二人三脚でリハビリに取り組んでいる。一人での歩行も可能になり、なんと再びボクシングを始めたマイケル。ジムに戻り器具に触れるととても興奮すると話す。グローブをつけて練習するマイケルの顔には、満面の笑みが溢れていた。
「坂道や悪路を走った後には、平地では得られないものを手にします。一歩一歩がチャレンジで、だからこそ人生は面白い」とマイケルは話してくれた。
フジテレビ 奇跡体験!アンビリバボー:04.10.21放送より
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