新・雑感集

「激しき雪」

 野村秋介さんの評伝ともいうべき「激しき雪」が届いた。「さらば群青」を若いころ読んで、以来その死後も気にかかっていた人物である。本格的な評伝のようで前書きを読んだだけだが、明日からの勤務に楽しみができた。秋の夜長、面白くもないテレビや小説では間が持たない。山平重樹さんの書下ろしである。結構買うのに思案した。すでに今月は予算をオーバしていろいろ本を買っていたからである。しかし、読みたさに負けた。
 このような気持ちで本を買うのは久しぶりである。先週、日本経済新聞で広告を見て、うずうずしていた。
 惜しい人であった。「朝までテレビ」に特別参戦してきたのはいつのことだっただろう。懐かしく、せつない。ことにあの程度の朝日新聞社で自裁したのが惜しまれる。死ぬべき場所は国会の参議院議場ではなかったか。口舌の徒らの前で「万死に値する」といいながらのうのうと生き永らえたあの総理を断罪したうえで、ではなかったか。

 「口舌の徒」といえば今の政治家すべてに言える。無責任野党に至ってはその極みであろう。この国がアメリカの大統領選挙のようであってはならない。アメリカは相当病んでいる。病み方も異常である。
 北朝鮮、中国、韓国は狂っている。そのことに気づいていない分さらに救いがない。巻き添えを食わないように祈りたい。
 それにしてもいつごろから「口舌の徒」ばかりにこの国はなってしまったのか。政治もマスコミも何もかもが。


新・雑感集

 どのように整理を?

 家の中を見回すとあちこちにいらないものばかり。特に問題なのが本。きっと必要になるかも、と思い起残しておいたが実際に必要になったのは一割にも満たない。なんでも大事にしておいたら周りはそんなごみの山。思い切って整理をし始めたところ、次々に出てくるは、埃で手がガサガサになるは、どうしたものかと考えてしまった。
 確かにもうほとんどがゴミ。旧い本など誰ももらってくれはしない。一度読んだ本はよほどのことがない限り再読することはない。今頃になって気が付いた。服や靴にしてもそうだろう。今では葬儀に着る黒の礼服だけあれば充分である。本ともなると何の為においていたのか分からなくなってきた。

 さてどう整理をするか。片っ端から箱にでも詰めて古新聞や何かの置き場に出しておくか。

 家の中に本を残して死んでも、残されたものは迷惑なだけだろう。それも小説の類がほとんどとなると。


新・雑感集

 再びやれやれ

 G20のために中国を訪れたアメリカ大統領。杭州の空港で大統領補佐官らに対して、中国側の職員が「ここは我が国だ」とか礼儀もわきまえぬ暴言を吐いたとか。詳しくはニュースに譲るが、今の中国にいるのはやくざのボスとその三下ばかり。かってのような常識をわきまえた周恩来のような政治家はどこにもいない。北朝鮮と全く変わらない指導者という親分の下でなんの値打もない札びらをまき散らし、それで大国になったつもりでいる。どれだけ印刷しているかわからない札びらにひれ伏す国も国だが、国際ルールさえ守れない国にG20など開催する資格はないだろう。オバマ大統領もそのまま帰ってしまえばよかった。空母R・レーガンが朝のニュースで横須賀を出港したと知りさもありなんと思った。第5空挺団も搭乗とのこと。むろん向かう先は南シナ海。やくざ相手の交渉など無駄だとすでに考えているのかもしれない。

 それにしても今の中国に必要なのは周恩来のような政治家だろう。話のできる人物がいない国はやれやれであろう。アジアなんとか銀行もかなり怪しい。紙くず同然の札びらなどあてにすると痛い目に遭う。これまたやれやれである。日本の企業もそろそろ気づいているのだろうが、狂人に刃物、中国にカネ。札びらをどんどん印刷して経済成長率何パーセントなどとつくろっているのだから。もう本当のところはどうしょうもなくなっているのではないか。

 とにかく、あの国がかかわると何かにつけやれやれである。海外に移民する一握りの富裕層は自分の国に見切りをつけたからであろう。

 それにしてもこの新・雑感集、なんでこんな政治のことばかり書くのか、自分でも嫌になってくる。

新・雑感集

 やれやれ、と言うべきか

 参議院選挙がやっと終わった。結果は多くの人が考えたように、自民党の圧勝である。当然であろう。無責任な野党に政権はまかせられない。民主党政権のあの救いのない時代を覚えている人が多かったことも幸いした。

 それにしても産経新聞は少し気が早すぎる。気持ちはわかるが、そんなに改憲をこの時点から言い出すと次の衆議院選挙に良い影響は与えない。ここは少し時間をおいてから、という辛抱も必要ではないか。勝負はこの次の衆議院選挙である。
 民進党はやっぱりあさはかであった。共産党などと野合連合を組み、結果議席数を減らした。共産党の本質を知っていながらアホである。

 今朝の読売新聞は、一面からうれしくてたまらないというような紙面づくりであった。あれでとりあえずはよいのである。いきなり改憲勢力がどうのこうのなどという見出しが今この時点で踊ってはいけない。余計な錯覚を与えかねない。多くの読者はそんなことはわかっているのだ。

 気持ちの良い朝である。連立の公明党は議席を増やしたが、ひところに比べ、200万票減らしている。喜んでばかりいると危ない。幸い野合連合に風が吹かなかったため、投票率が上がらなかっただけのことだ。
 おおさか維新はこの先どのようにして全国展開をしていくか。身を切る改革に共鳴する声は多い。

 都知事選が始まるが小池百合子さんをおおさか維新「推薦」すれば面白いことになると思うのだが。むろん公明党もである。しかしこちらは無理だろう、せめて自主投票にしておかないと次の都議選で苦しむことになるだろう。

 そうそう、石田純一のような勘違いをして名乗りを上げるアホな人間もいる。ちょっと市民運動的な活動をして大切な人生を棒に振るやつのことである。

 

新・雑感集

空想的平和論

 参議院選挙が投票日をむかえた。おそらく自民党の圧勝だろう。野党の野合連合が掲げる「憲法改悪」論に説得性がまるでないからである。九条を守れと唱えていれば平和でいられるということ自体、空想的平和論でしかないことは、日本を取り巻く現状を見れば誰もが納得するからである。そんなことが一部の空想的人間にはわからないらしい。
 ま、人それぞれなのでどのような空想をしようと自由だが、現実の政治の場にまでそのような空想を持ち込まれても困る。十三条には何と書いてあるか。そもそも他国の信義に基づいて、という言葉自体が空想的である。誰がこの国の人々の安全と平和を、何によって守るのか。中国の信義を期待するのか。北朝鮮の信義を期待するのか。
 平和ボケというのは恐ろしい。ボケではない、完全な認知症である。いやいや認知症の人に失礼かもしれない。アホといいなおそう。

 憲法改正は時代の必然である。憲法に人間を合わせるのではなく、人間の営みにこそ憲法がある。平安時代の貴族でもあるまい、平和、平和と唱えていたらそれで平和が訪れるのか。愚かさ、アホさ加減ももここまでくると絶望的である。せめて自民党の圧勝が救いである。

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