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幼学綱要 巻之一
孝 行 第一
孝子彌(弥)作
○常陸の国行方(なめかた)郡玉造村の農民に。彌作と云者あり。家貧して田産無し。人に依て耕作す。父
早く死し。母老て足痿す。彌作性魯鈍。而して母に事へて至孝。妻と與に心を合せて生を営
み。母を養ふ。既にして妻疾に罹り。操作すること能はず。彌作謂(おもへ)らく。此の如くなれば。則必
母の養を缺(欠)くに至らむ。遂に妻を去り。母と共に居る。其田に往くや。母を獨處せしむ
るに忍びず。母を負ひ。農具を挟み。又母の飲食を携えて往き。夏は凉く冬は暖かなる地を
擇(えら)みて。母を處き。且耕し且候し。且飲食を薦めて之を慰む。母酒を好む。彌作日に酒を沽(か)ひ
貯へて乏しからざらしむ。延寶の初め。領主徳川光圀之を聞き。路次彌作が家に入り。両手
に金を掬(きく)して。彌作が頭上に?薦(さゝ)げ。其孝を褒賞し。之を與へて曰く。此れを以て著く母を養
へ。此れ我が與へる所に非ず。天の賜ふ所なり。又村吏を召て曰く。聞く彌作は性魯鈍なり
と。此金或は人に奪はれむ。汝等之を計り。田圃(でんぽ)を購はしめ。常に善く之を視よと。後儒臣に
命じて。彌作が傳を作らしむ。
魯鈍=愚かで頭の働きが鈍いこと。
延寳=延宝(えんぽう)1673年から1681年までの期間を指す。
徳川光圀=水戸黄門さま
路次=道の途中。みちすがら。
孝子弥作顕彰の碑
孝子・弥作のお話です。
水戸黄門さまが、弥作のことを聞き、
顕彰し、弥作伝が作られました。
黄門さま、まさに民百姓の味方。
弥作、少し頭が弱くても、
親孝行の手本と成りました。
「茨城県行方市立玉造西小学校ホームページ」に、
こんなに素晴らしいサイトが出来ていました。
合わせて読んでいただけたら、嬉しいです。
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幼学綱要
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実在の人物のお話だけに、一層こころを打つお話しですね。
親孝行・・・子どもの時分から、こうしたお話しを聞くことの大切さを感じました。孝行をしたいときには、親は亡し・・・。悲しいかな、それが多くの現実ですね。
2013/3/26(火) 午後 9:05 [ 桂 黒猫 ]
光圀公はTVで諸国漫遊ばかりと思われていますが、地元では
明君ですね。
2013/3/27(水) 午後 2:48 [ 栗の木童子 ]
桂さん、こんばんは〜〜。
遅くなりました。
やっとブログ世界に戻りました。
はい、親不孝をしまして心配ばかりかけてきました。
2013/3/30(土) 午後 11:11
栗の木さん、こんばんは〜〜。
遅くなりました。
黄門様、諸国漫遊はしていないそうで。
やっぱり「大日本史」を作らせたのが、もっとも偉大なところですね。
2013/3/30(土) 午後 11:13