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小倉百人一首 8番 喜撰法師(きせんほうし)
久しぶりに百人一首です。エイッと開けた頁が、喜撰法師でした。
喜撰法師
我いほは 宮このたつみ しかそすむ
よをうち山と 人はいふなり
我が庵は 都の巽 然ぞ住む
世を宇治(憂し)山と 人は言ふ也
私この哥、昔は「鹿ぞ住む」と理解していました。(笑)
「しかぞ」は、「然ぞ」。これは「さぞ」とも読むね。
「そのように」なんて意味です。
「鹿ぞ住む」と言う説も有るそうですが?
それでこの哥の語釈は、
我が庵は都の東南に、このように住んでいるよ、
人は世を憂しと隠遁して、宇治山に居ると言っているそうだ。
人は憂しと隠遁してしまったと言ってるけれど、
私としては「そうは思っていないよ!」と、言う気持ちがあると言われてます。
湖月抄や女郎花物語の作者、北村季吟は、「我はこゝにしかすめども世をうく思はぬといふよしなり」と、解釈しています。
さて出典です。
←古今和歌集です。雑下・983
きせむ法師
我庵は みやこのたつみ しかそすむ 世をうち山と 人はいふなり
貫之は、古今集・仮名序で喜撰法師を、
このように評しています。→
宇治山の僧
きせむは こと葉かすかにして はしめをはり(始め終わり)たしか
ならす いはゝ秌(秋・異字体)の月をみるに あかつきの雲に
あへるかことし(小さい文字「わかいほは 宮古のたつみ しかそすむ
よをうち山と 人はいふなり」)同じ写本の中でも、使ってる文字が違います。
六歌仙の一人だけど、古今集と玉葉集で2首以外、
確かな哥は伝わっていない。少ないね。
う〜〜ん、六歌仙なのに言葉 幽(かす)かです。
さらに、生没年不詳、伝不詳ですから、
「始め終わり」も確かではありません。
秋の月を見ようとしていると、暁の雲が遮ってよく分からないように、
ナゾの坊さんです。
紀貫之さんが、そう言ってるんですから、私はもっと分かりませんね。
←古今六帖にも、同じ哥が載っていますが、
すこし文字が違います。違うところ色変え
喜撰法師
我宿は 都のたつみ しかぞすむ よをうぢ山と 人はいふらん
2首目のもう一つの哥は、玉葉集・400→
題しらす 喜撰法師
木の間より みゆるは谷の 蛍かも
いさりにあまの うらへ行くかも
多くは「海へ行くかも」と有りますが、この写本では「浦へ行くかも」。コピペの怖いところです。
なにやらワケが分からなく、難しくなったので、
宇治とお茶について、簡単に話します。
宇治にお茶を持ってきて、栽培を教えたのは「明恵上人」。
上質なお茶の産地として名声が有りました。
その宇治に昔、住んでいたのが「喜撰法師」。
上質なお茶のブランドに「上喜撰(じょうきせん)」がありました。
もちろん「喜撰法師」に、ちなんだネーミングです。
ここまで来れば、みなさんお分かりですね。
ペリーの黒船(蒸気船)来航
「泰平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず」
こんな所にも、「喜撰法師」は登場しています。
真ん中のラベル「上喜撰」
お茶を濁して、蒸気船のように煙に巻きました。
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小倉百人一首
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ん〜難しいね〜〜
2013/5/21(火) 午後 0:02 [ sanshin☆ ]
三線さん、こんにちは。
ごめんね。専門的すぎたね〜〜
「上喜撰」の所だけでも、覚えてね。
2013/5/21(火) 午後 0:12
こんにちは。
この歌は、「しかぞすむ」が単に「そのように住んでいる」では無駄な言葉に聞こえてしまいますよねー。「しか」が何を指しているか、具体化すると、自然な文脈では「たつみ」ですよね。「巽」には、「恭」の意味があるそうで。それなら、「しかぞすむ」は「慎ましやかに住んでいる」の意味に取ることが可能ですね。
「鹿」と掛けていると取ると「ぞ」で強調するほど「鹿」に重点を置く必要性があるのか、疑問ですよね。
明恵と宇治茶の関係は、先日調べました。馬に土を踏ませて、その後にお茶の種を撒いたとか。
「上喜撰」はおもろいです。
ナイス進呈。
2013/5/21(火) 午後 0:53 [ sofashiroihana ]
sofashiroihanaさん、こんにちは。
「すむ」は、「住む」と「澄む」という掛詞もあるのかな。
「ちゃんと心も澄んで住んでいるよ。」と、言うように。
「明恵上人」は、sofashiroihanaさんの記事が頭に有りましたので、入れたんですよ。
ありがとうございます。
2013/5/21(火) 午後 1:06