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七 夕
古典での七夕 思いついたのが、
伊勢物語(第95段)です。
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七夕と夏花2
不忍池に今日行った。
ネジ花
桔梗
百合
蓮は今日撮影したモノで、
その他は、撮り貯めたモノです。
見てくれて、ありがとうございます。
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絵入 本 朝 美 人 鑑
本朝美人鑑 巻第二
小 式 部
小しきぶ内侍は 藤原保昌が娘にて 母は いづみ式部也 おさなき
比より 才智人に勝れ 文の道たくみにして 心ざまやさし 殊更(ことさら)和哥
は天性の徳そなはりて 其世に かたをならぶる人なし 常に内に
のみ侍りて 御門につかうまつる事おこたらず 此ゆへに上にも もて
なし 恵ませ給ふ事 こと人に こえたり 其比いかなる人の いひなし侍
るにや 小しきぶは 哥よむ事かなはで 母いづみ式部によませて 哥
合(あわせ)などにも出(いだ)すと いひあへり 内侍 此事を傳へ聞て 日比 口
おしうは やましく思へど せんかたなし 一とせ いつみ式部 夫保昌
に従て 丹後の国に侍けるが 其比しも 都に哥合ありて こしきぶ
も 哥の人数(にんじゆ)たるに 中納言定頼卿 内侍のつぼねのかたに まふでゝ
哥はいかゞ せさせ給ふ 丹後へは御人つかはし給はずや 使いはまふで来ら
ずや さぞ心もとなう おぼされん はやく哥もまいれかし など たはふ
れて 立出らるゝを 小式部 定頼の袖をひかへて
大江山 いくのゝ道 遠ければ まだふみもみず あまのはしだて
とよみけれは 定頼 大きに驚給ひ さて/\かゝる 当意即妙の哥
よみなるに 口のさがなきいひなしなる物よとて これより心を置給ひ
けり・・・
小式部内侍=父は橘道貞、母は和泉式部。母とともに上東門院彰子に仕えた。26、7歳で死去。
歌は後拾遺集・金葉集などに載る。
いひなし=言ひ成し、有りもしないことを言う、もっともらしいことを言う。
哥よむ事かなはで 母いづみ式部によませて=小式部は哥を詠むことが出来ず、
母の和泉式部に読ませて・・・
やましく=気にやまれる
中納言定頼卿=四条中納言、藤原公任の長男。中古三十六歌仙の一人。
大江山・・・=大江山を越え、生野(行く野)を通る丹後への道は遠すぎて、
まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの文(ふみ)も見てはいません。
「行く野・生野」「文・踏みもみず」など、巧みな掛詞を使用した見事な哥でした。
当意即妙=すばやくその場面に適応して機転をきかすこと。
母が代読しているという「言いがかり」に対して、
見事な哥で返した小式部内侍。
この哥は百人一首にも撰ばれ「女子の誉れ、これに勝るもの無し」
定頼卿は、グーの音も出ません。藤原定頼だってヘボではありません。
中古三十六歌仙の一人でも有るんですが、
返歌が出来ないほど恥ずかしい思いをして逃げ出してしまいました。
この部分は、以前の小倉百人一首 60番「小式部内侍」で扱いました。
他のサイトでも、だいたい同じような事が書かれています。
そこでyoshyらしさとして、「十訓抄」を翻刻しました。
原文は片仮名ですが、読みやすいように仮名に、また濁点を補いました。
十訓抄には、このように書かれています。
和泉式部 保昌が妻にて 丹後に下ける程に、京に哥
合のありけるに 小式部内侍 哥読にとられてよみけるを、
定頼中納言戯れて 小式部内侍のつぼねにありけるに、丹後へ
遣しける人は参りたりや、いかに心もとなくおぼすらむ と
云て、局の前を過られけるを、御すより半らばかり出
て、わづかに直衣の袖をひかへて、
大江山 いくのゝ道の 遠ければ まだふみもみず あまのはし立
とよみかけゝり、思はずに浅ましくて、こはいかに かゝるやうや
はあるとばかり云て、返哥にも及ばず、袖をひきはなちて
逃られけり、小式部 是より哥よみの世におぼえ出できに
けり、是はうち任ての理運の事なれども、彼卿の心には
是程の哥 只今よみ出すべしとは しらざりけるにや、
金葉和歌集にも同様の記述が詞書に有りますが、既出ですので、
金葉集での記述は、以下から見てくださいね。
小倉百人一首 60番「小式部内侍」
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